あざとくて、何が悪いの? 

今流行りの?私人逮捕が目の前が行われ、動画を回しながら警察に引き渡す様は、なるほど、世の中は移ろいゆくものですなあと感心したような、それでいて何か異様でもあり、その変化は良いのか悪いのか、たとえば最近、家の近所の銀行(首都圏地銀)にのぼりが立ててあって、そこには「スマホのお困りごと相談」と書いてあった。

銀行が?なぜスマホを?というのも、きっと高齢者向けのサービスの一環として始まったのだろう。
これまで散々殿様営業を続けてきた銀行も、お客様のことを第一に思ってサービス心が旺盛になったのね!と見ればそうかもしれないけれど、別の捉え方もできる。

銀行はもう金がない。
窓口に来るのは若手起業家なんかひとりもいなくて、高齢者しかいない。
しかし、高齢者は貯蓄が多い。銀行は、なんとかそのお金を回してもらいたいのだけれど、頭を下げて言うのも嫌だし、かといって魅力的な金融商品もない。

そこで、スマホ操作という高齢者にとって一番の困りごとであろう問題を解決することで、銀行がいかに親身で慈悲心に溢れた存在であるか、孤独な高齢者にとっていかに身近で温かい場所であるかアピールし、情に訴え、会話のきっかけを作り、「あんたがそう言うなら」と銀行都合の商品を売る、と考えることもできる。

正義を振りかざした正義に、優しさを強調した優しさに、はたしてそこに情熱はあるのかと疑問を抱いてしまったらキリがないけれど、数年後、きっと銀行は本当に潰れるんだなあと思った。

また新しく発見した変化は、ある路上ライブでのこと。
春夏秋冬、必ずといっていいほど僕らスカウトマンの隣には路上シンガーがいる。
それは近頃見かけるようになったある女の子で、これまでの女性シンガーといえば、
「ウチ、歌しかないんよ」みたいなやや野生的な感じだとか、はるばる地方から出てきましたというアンニュイさを唯一の売りにしていたり、
ジーンズ姿のシンプルな服装で真っすぐ芯の通った目つきで歌うmiwa的な子、とだいたいそのパターンは決まっていた。

そんな中彼女は、メイド調の服を着てある日現れた。
アンプやスピーカーの類よりも照明を大事にし、二台のスマホをスタンドに立て、なんと、なんと彼女は、ほとんど歌わないのだった。
おそらく自作であろう歌を流しながら、左右のスマホに向かって画面サイズに小さく手を振り、「ありがとおぉ」と時折口にする。彼女は、動画配信をしていた。

ニュータイプな彼女は、酔っ払いの若者たちにからかわれたりするのだけれど、絵に描いたようなオタッキー男子たちをリアルでもしっかりと引き寄せる。
僕は、そんな彼女に無関心でいられなかった。
甘く甘く、甘ったるすぎるぐらいのご主人様声で流れる歌声、ほとんど喋らずにじーっと画面を見つめるその様子、目と耳で、僕はいつも彼女にヘラヘラしてしまう。

不思議な感覚、それはニヤニヤではなく、決まってヘラヘラ。
「なあ、あの子見てるとヘラヘラしちゃわない?」と聞いても、誰も賛同しない。ニヤニヤじゃなくてヘラヘラなんだよ、と言ってもポカンと口を開ける。え、まさか僕は彼女が好きなのか?という線を疑ってみたけれど、それも違う(ホントに違うよ)。
そして彼女のもとには、路上ライブにお決まりの警察がなぜか来ない。僕は、このヘラヘラの正体を掴みたかった。


そんな彼女に顔立ちそっくりな大学生キャバ嬢サヤは、「ワタシ、あざとくなれない」と悩んでいた。僕が、君はあざとくなった方がいいと言ったからだ。
同じ系統の顔立ちといっても、サヤはその真逆な格好を好んだ。よく言えばできる女風な、悪く言えば港区女子的な、コンサバなキレイ目お姉さんを目指していた。

でも彼女は、きっとその理想的女性よりも小柄だし、顔立ちもスウィートで、年齢と経験値も相まってお姉さんというよりはお嬢さんだし、華麗であろうとすればするほど、その幼さが悪目立ちした。

とはいえ、人は自分のことをなかなか客観視できないわけで、サヤは客の心を掴みかねていて、売上も芳しくなく、そんな現状を打破するには周りのお姉さん方みたくしたたかで気丈に振る舞わなければならないと思うものの、「でもワタシ、あんなわがままなんかになれない」とどこかでブレーキがかかって中途半端にB級お姉さんを演じてしまう、そんな悪循環から抜け出せずにいた。

苦しくない?と聞くと、苦しいとサヤは言う。
しんどくない?と聞くと、しんどいとサヤは言う。

「店の先輩でね、売上あって、たしかにその人キレイなんだけどさ、話の流れでかわいいからどうのって客とか周りの子に言われると、そんなのわかってるんだけどって平気で言うのね。で、それにみんな笑うわけ。でもさ、ワタシ笑えないんだよね。だって、そんなことワタシだったら言えない。そんなこと言ったら、場がしらけるかもしれないじゃん?」

「でも、その人はしらけなかったわけでしょ?」

「男の人ってさ、やっぱりそういうわがままな子が好きなの?」

「サヤも言ってみたらいいじゃん」

「怖くない?」

エンタメしてくれたんだと思うよ、と僕は言った。
その強気な発言は、先輩の余りある自信が溢れ出ただけという可能性もある。しかし、それだけが唯一の売りという女ならば、誰も彼女をリピートしないだろう。そんな女、うっとうしいだけだ。

その先輩は、場の空気を嗅ぎとったのかもしれない。そんなことないですよとシリアスに答えても無駄なラリーを生むだけだし、会話が着地しづらくなる。
かわいいなんて当然ですけど?という態度は、タイミングさえ間違わなければ会話の外しとなって、笑いを生む。
それは負の側面も覚悟した先輩なりのエンターテイメントだと見ると、途端に彼女が、わがままとは対極の位置にいるように見えてくる。

周囲の心がしらけるかどうか、心配の真意はそこにはない。
しらけた視線が自分に向いてくるかもしれない。サヤの不安は、その一点だった。そう思うと、本当にわがままなのは奔放な発言をする先輩ではなく、自分の見られ方しか考えていないサヤの方かもしれない。
「キレイなお姉さんでいなさい」と、誰もサヤに強制も願いもしていないのだから。

「プライベートで出ないかな?」

「たとえば?」

「友達の前でとか、そういうキャラじゃないで今まできたから、男に媚びてるって思われたら嫌じゃん」

あざとくなったら、女の友情が壊れるかもしれないとサヤは心配した。
でもそれ、キャラでできあがった友情なんだろ?あざといっていうのは、なにも男に媚びろって話じゃない。稼ぐためには、相手目線で物事を考える必要があるというだけだ。演じるとは少し違う。

今までの自分と、この先の未来でも想像したのだろう。どうしたらいいかわかんないと言って、サヤは両人差し指を額に添えた。
僕は思わず笑った。サヤ、自分のできることで勝負すればいいってだけなんだよ。ほら、今の自分を見てみろよ。そんな仕草、あざとくない女はとっさにできないよ。サヤ、お前はその筋の素質がきっとあるぜ………。


ロリ系じゃん、歌わなくね、と通行人に揶揄されようと、おそらく好ましくない性的な視線を浴びせられようと、メイド服の路上シンガーは動じなかった。
画面を見つめ、ありがとうと手を振り、リアルの男たちにビラを配る。彼女は、周りの反応がどうであろうと、自らのカワイイを毅然とした態度で崩さない。彼女は、紛れもなくアーティストだった。

「はいはい、ロリで男受け狙ったパターンね」と、おそらく僕は彼女を軽く見ていて、でもその実、彼女の中には確固たる芯があり、僕の安直な見立てはその固い芯に触れるといとも簡単に砕け散ってしまう。

僕はそんな自分の安易さに、ヘラヘラせずにはいられなかったのかもしれない。甘ったるい彼女の存在が、僕の中では塩辛くとどまっていたからだ。
ビラを見ると、ピンクまみれにライブの告知が書いてある。それはそれはスウィートな世界観だったけど、僕はもう彼女を甘く見ることができない。サヤ、お前が見習うべきは彼女だよ。あざとくて、何が悪いの?エンターテイナーたちは、やっぱすげえぞ。


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