東洋一美しい女、自称ね。

子供の頃から、お年寄りに好かれてきた。
そんなの子供だったら当然だけど、思春期あたりになれば、子供はお年寄りと距離を取り始める。
でも僕はその線引きをせず、むしろよく接した。なんか、話しやすかったんだよね。

それは土地を変えた今も変わらず、僕はお年寄りに囲まれてる。近所には、ご高齢の友だちがたくさんいる。
散歩中に仲良くなった人もいるし、庭いじりの手伝いをして以来の人もいるけど、たいていは、近くの定食屋で仲良くなった人たちだ。

その店は、80代のおばあちゃんが営む定食屋で、僕は週5でそこにいる。
店主の年齢につられてか、客のほとんどが高齢の、それも女性が多い。ランチどきに行くと、推定エイジ60オーバーの女子会数組に囲まれながら、金髪のスカウトマンがぽつんとひとり飯を食うわけだ。

年齢を感じさせないほどみなさまパワフルで、なかなか声も大きい。(重なりすぎてうるさいときもあるけど)
年代的にもちろん内容は違うけど、話に耳を傾けてみるとそのテンションというか、目線は、若い女性たちのそれとあまり変わりがない。

目が合うとニコッと微笑まれたりして、数の力も相まって、「あらお兄さん、長渕剛の若い頃みたいだね」なんて言われて(調べたらそんなに似てなかったけどね)、店で一番若い僕は、あっという間に彼女たちのアイドルになった。

ワタシたちだって昔は若かったんだよと言われて、ほんとかなあ??と小ボケをかましながら、彼女たちの若い頃を想像してみた。
というのも以前一度、あるおばあちゃんが一枚の写真を見せてきた。
それは荒めのカラー写真で、若い女性の集合写真だった。その中に一際キレイな人がひとり、昭和の名女優かのように明らかな異彩を放っている。

昨今の整形でも作り得ないような顔立ちのその女性が、写真を見せてくれた若かりし頃のおばあちゃんだったのだ。
今、その面影はあまりない。でもそれは、美しさを崩してしまったというより単純に時間が経ったというだけで、写真は40年ほど前のものらしい。

「○○さんは、ほんと美人だよ」
と周りが囃し立てても、彼女は照れ笑いをしたのち、昔を思い出してか、一瞬だけ暗い表情になった。彼女の過去は知らないが、「美人は美人なりに大変なのよ」とでも言いたげに。

そりゃそうだ、美人だからといって努力もなしにオールオッケーとはいかない。
でもそれは非美人にはわからないことで、美しさはすべてを攻略するはずだと、羨望の的となる。

そうだ、美人になろう。

と思えば、なれてしまう現代。
スポットライトが当たるのは、ステージの上だけじゃなくなった。整形が徐々に市民権を得始めていて、かわいくなった?と聞けば、「二重やったんですよー」「鼻やったんですよー」なんて返りはざらにある。
顔さえ変われば道は開ける、彼女たちはそう信じているのかもしれない。少なからず効果はあるだろうけど、その力は、果たしていかほどか。



「何でですか!」とミエコは声を荒げた。
ミエコはネットで応募したキャバクラの体験に向かう道中で、その店名を聞き、きっと落ちるよと僕が言ったからだ。

その剣幕になるのはわかる。
たしかに僕の発言は失礼だったかもしれない。でも、事実を伝えないのもまたそれはそれで失礼なわけで、ミエコはその店の採用レベルには達していなかった。

行ってみなきゃわからないと言うミエコ。
そうだね、僕が間違う可能性もある。受かったら謝るよ。でも、ダメだったら電話をくれと別れた30分後、ミエコから電話がかかってきた。

「他の店に在籍してるからダメって言われました」とミエコ。
でもそれは、体よく断られただけだ。
店もわざわざ相手を傷つけたいわけじゃない。本当に欲しければ、それが他店の女であろうと獲りにくる。ちょうどいい理由がそこにあったというだけだ。

「じゃあワタシの何がダメなんですか?」とミエコ。
何だろうねと僕は濁した。
というのも、ぱっと見ただけでもいくつか原因が浮かんだからだ。きっとそれは氷山の一角で、掘り出したらまだ出てくるだろうと勘が騒いだ。

曖昧な態度の僕に、この際だから教えてくれとミエコは迫った。
怒らないか?と僕は何度も確認した。
きっと彼女は自分に自信がある。それは揺るぎない絶対的なものだと身構えてるから、むしろこちらが気を遣うのだ。

怒りません、だから教えてくださいとそれでも言うので、覚悟しろよと思いながら、僕はミエコの全身を眺めた。

このレベルにはなかなか出会えないほどの美脚なのに、お腹に肉が乗ってること。
髪の毛と肌が荒れすぎていて、食生活がきっと悪いこと。
メイクが年齢に対して幼く、その差の分だけバランスを崩してること。
服のシワ、それは着てついたというより扱い方によるもので、汚く見えること。
全体的に管理不足で改善すべきところがあるにもかかわらず、それには無自覚のまま責任を外へなすりつけてること。
と、まず一目でわかる欠点を僕は並べた。

「でも、ワタシよりかわいくない子もいましたよ」とミエコ。(ほら、結局怒ってんじゃん)
けどそれは、ミエコの主観でしかない。
系統や好みの差はもちろんあれど、見下した子は、総合点でミエコを上回っていたということだ。
どこか一部を強調してもそれはあくまで部分点でしかなく、部分点である以上、配点にも限度がある。

それに、他人と比べる必要なんかない。
誰かよりかわいい、かわいくないと一喜一憂しても疲れるだけだ。満足いく答えはひとつしかなく、
「ワタシが世界で一番かわいい」
という答えが出るまで、問題は終わらない。

あんたは、ミランダ・カーよりかわいいんか?と自分に問いてみればいい。
はいそうですーと適当に答えを書いて提出するか、空欄のまま解くのをやめるか。どちらにせよ、そんな難問まともに向き合うべきじゃない。
しかしミエコは、その斜め上をきた。

「でも、東洋一ならいけますよね?」とミエコ。
冗談を言える余裕が出てきたかと見たら、その顔はマジだった。
ワタシ、東洋一なら自信あるんですと真顔で続けるミエコに、全ての時間が無駄だったような気がして、このときばかりは僕もムキになってしまった。
いかにそれが無根拠で、想像力の乏しい発言か、すでに僕は新しい店の提案をする気がなくなり、討論として喧嘩腰になっていた。

「じゃあワタシの位置は?」とミエコ。
立ち話からカフェに場所を移し、年齢が横軸、容姿が縦軸の座標を書きながら、僕は話し始めた。
ミエコは脚といい、顔立ちといい、素質はある。だが、上記の通りの無自覚さで全てに陰りがある。27歳という年齢に対して位置取りしても決して下ではないが、もちろん上でもない。

整形すれば27歳のてっぺんになれますか?とミエコは聞くが、もちろん答えはノーだ。
もう、てっぺんとかそういう考えは捨てろ。何よりミエコは見落としてる。27歳のてっぺんを目指す間に、体と時間は28歳に向かってるということを。

あるときまでは上りの、あるときからは直線、もしくは下りのエスカレーターに乗ってるようなもので、人間は常に一定じゃない。
だから健康管理をしなくちゃいけないが、案外それさえできれば事足りるケースは多い。みなさまご存知の通り、それが一番難しいんだけどね。

身の程を知った方がいいと僕は言った。
それは諦めろという意味じゃなく、知った上でできることを探せという意味だ。
ミエコは無遠慮にピザトーストとハムサンドを頼み、座標にパンくずをまき散らし、ふたつとも少しずつ食べ残した。(払ったのは当然僕。内心ちょっとキレてたけど、まあ払いますよ)
そんな女のどこに、東洋一の美しさを見いだせと?

結局聞く耳を持たなかったミエコは、しばらくして整形をした。
前回不採用になった店に再挑戦したものの、結果は同じ。ウチでは無理ですと、今度はハッキリ断られたらしい。

タガが外れてしまったのか、それからミエコは整形を繰り返すことになる。
顔に合わせてか、メイクや髪の毛には以前よりも気が回るようになったが、美人になったとは感じなかった。
少なくとも僕は、ミエコの東洋一不思議な中身を知ってるからだ。ハトに餌をあげ続けるような寂しい男なら、それでも喜んでついていくのかもしれないけど。



定食屋のマダムたちは、みなさんよく肉を食べる。
あるとき『粗食のすすめ』という本がベストセラーになったらしい。肉などは控え、昔みたいな質素な食事の方が健康になれるという内容で、マダムより上の世代では粗食が流行ったという。

しかし、質素な食事しかしなかった高齢者たちは骨密度が減ってしまい、病気にもかかりやすく、実際には真逆の効果を招いた。
今では、高齢者こそ肉を食え、コレステロールを取れと医者が言う。マダムたちは、上の世代を反面教師にして肉を食べていたのだった。

整形が手軽に行われるようになったのはここ最近のことで、それがどんな運命を迎えるのか、まだモデルケースがない。
レディーたちがマダムになる頃、ようやくそれは出揃ってくる。それはハッピーか、バッドか、エンディングは、そのときになってみないとわからない。

教科書が充実する未来では、より整形がポピュラーになるかもしれないし、危険視されるようになるかもしれない。
自然と時間の力に抗うのはいい。むしろ大事だと思う。けれど、それを超越できるほどには人間は強くないでしょう。

その抗いと、退化の調和が個性を生むのかもしれないと、マダムたちを見ていると思う。
赤ちゃんと同じように、老人になるにつれ、見た目に大差はなくなってくる。実際、マダムたちは似たような顔をしてる。外見があまり機能しなくなるのだ。

赤ちゃんと違うのは、その中身の情報量、経験値。個体差は、露骨に出る。
実際、マダムたちにも差がある。食べ方、言葉遣い、総じて、所作のいいマダムの方が身なりもキレイで美しく見える。それは、決して顔の作りゆえじゃなく。

だから整形に関して否定しないけど、肯定もしない。どうせ、僕は部外者だしね。できることはもっと他にもあるんじゃないかと、ちょっぴり思うだけだ。
少なくとも、東洋一かどうかにこだわる必要なんかない。

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