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「『強制連行』は歴史研究の常識」と文科省が認める

参議院予算委員会、1997(平成9)年3月12日

○政府委員(辻村哲夫君) 
 …一般的に強制連行は国家的な動員計画のもとで人々の労務動員が行われたわけでございまして、募集という段階におきましても、これは決してまさに任意の応募ということではなく、国家の動員計画のもとにおいての動員ということで自由意思ではなかったという評価が学説等におきましては一般的に行われているわけでございます。
 そのような学説状況を踏まえまして、教科書検定審議会におきましては、この強制連行というもとにおきましても、この募集段階の写真につきましてもこれを許容したという経緯でございます。
○政府委員(辻村哲夫君)
 …強制連行の中には、先ほど申しましたように、募集の段階も含めましてこれを評価するというのが学界に広く行き渡っているところでございます。
 例えば、ここに国史大辞典を持っておりますが、募集、官あっせん、徴用など、それぞれ形式は異なっていても、すべて国家の動員計画により強制的に動員した点では相違なかったというような、歴史辞典等にも載せられているところでございまして、私どもはこうした学界の動向を踏まえた検定を行っているということでございます。

(出典:第140回国会 参議院 予算委員会 第8号 平成9年3月12日)
https://kokkai.ndl.go.jp/#/detail?minId=114015261X00819970312&current=2

●解説
 閣議決定の動員計画に基づく、朝鮮から日本内地の事業所に配置するべき人員の確保の方法は、「募集」、「官斡旋」、「徴用」の3つがあった。このうち、時期的には募集が1939年9月から行われ、官斡旋が1942年2月以降、国民徴用令に基づく徴用が44年9月以降に展開されたことが知られている。いずれの段階でも、実態としては本人の意思に反して人集めが行われていた。
 ところが、“強制連行は44年9月以降の徴用だけ”とか“募集は民間企業が行ったものなので強制連行ではない”といった主張が繰り返し現れている。

 上記の答弁は、そうした主張に基づいて自民党の小山孝雄参院議員が行った質問に対して、文科省の辻村哲夫初等中等局長が答えたものだ。小山議員は、歴史教科書の中で、朝鮮人強制連行を扱った箇所に1939、1940年頃の、つまり募集段階の写真が掲載されていることについて、それが教科書検定をパスしたのは問題ではないか、と文科省に迫ったのである。
 それに対する文科省の辻村局長の答弁は、ご覧のとおり。「募集」段階であっても「国家の動員計画」で動員されたものであって「自由意思ではなかった」。「国史大辞典」にも記述されているように、それが歴史研究の常識であって否定できない――。こうした日本政府の見解が、国会ですでに表明されているのである。