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一年前、不登校は突然に

小4の娘は、今日から新しい学校に転入しました。一年の不登校を経て、新しい学校に今朝、私が一緒に行き、新しい担任の先生に娘を託してきました。

夏休みの宿題を終わらせてなかったから?

一年前、当時小3の娘は、二学期の始業式には行きましたが、その少し前から「お腹が痛い」ということが増えていました。そして、二学期2日目の朝は、ちょっと様子が違うと思い、学校を休ませて病院へ。そこから、学校には行けなくなりました。

直接のきっかけは、担任の先生に、夏休みの宿題を終わらせてなかったことをきつく叱られたから。9月1日に、その件で担任から私に電話が。私も驚きました。書字や計算などに学習障害があり、全部の宿題はできないことは以前から説明していたのに、です。

昔は、夏休み明けでも、宿題が全部終わってない子には、多少の猶予があったりしませんでしたか?(私は夏休み前半に宿題を終わらせる子でしたが、そんな子たちもいたのを記憶しています)。できていなくても、9月1日に親に電話がかかってくることに、正直、私は驚きました。

コロナ禍の学校生活のストレスの中、見え隠れしていた前兆

思えば、一学期から前兆は色々ありました。

一学期はコロナ休校で、実際の通学は6月からでしたが、「学校行きたくない。コロナがストレス」「友だちと話せないから、つまらない」「〇〇ちゃんと図書館に行きたかったのに、ダメと言われた」などなど。

毎晩話を聞いて、私なりのアドバイスをしたり、「コロナで我慢が必要なのは、つらいけど、仕方のないこと」などと、後で思えば、何の役にも立たないことばかり娘に話していました。

学校を休まないのも特性のせいだった!?

けれども、娘には、何があっても「学校は行かねばならない」という思い込み(もしくは、特性によるこだわり)が強かったんだと思います。病気でなければ、遅刻も早退もしないし、保健室にも行けないのだと後でわかりました。

一度プッツリ切れてしまった糸は、登校しぶりの“行ったり休んだり”ではなく、「もうあの学校には行かない」一択になっていました。

実際には、数回行ったのですが、運動会や遠足の行事は別物だから楽しみ、クラブ活動は一度行ってみたいから一度だけ、という感じで。イジメとか、イヤな子や先生がいるわけではなく、あの教室で勉強する自分の限界を決めちゃった、という感じでした。

ゼロか100か、中間の程よいところを選ぶことがとても苦手なのだと、最近ようやくわかってきました。それも、いくつかの相談機関に通い、様々な専門家、先生と娘の様子を見たり話してきた中で気づいたこと。

そうと理解できるまでの親の葛藤も、大変な紆余曲折がありましたが、それは今後また別の記事に書くとして、まず今日からは、ここ数ヶ月の経緯や経験談をスタートします。

本日は最後まで読んでくださってありがとうございました。


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