10/20の滴り「週末に母①まだ子供が体育座りをしていた」

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先日、久しぶりに実家に帰ったときに
母親が持っている着物用のアレコレ雑貨を借りようと箪笥を探っていたら
色褪せた木綿の布があったので「これはなに?」と聞いた。
すると
「お姉ちゃんが赤ちゃんだったときの産湯用のタオルだよ」とのことだった。
「捨てられなくて・・・・」と母が言った。
約60年、母の元にあって
母はこのタオルを目にするたびに手に取ってお姉ちゃんのことを思い出していたんだろうなぁと思っていたら
母が話をはじめた。

「お姉ちゃんが亡くなってお友達が弔問に来てくれたとき「C(姉の名前)はいつも「お母さんみたいなお母さんになりたい」って言ってました」って教えてくれてね、私はその言葉を支えに生きてこれたんだよ」

姉がお友達に「お母さんみたいなお母さんになりたい」って言っていたことは子供の頃から何度も何度も聞いていたので知っていたが、
母がその言葉を支えにして生きてきた、というのは初めて知った。

私はその時、胸がギュッとなった。
母の気持ちに沿って、ということではなく、
母と対面すると途端に飛び出してくる子供の私が反応したのだ。

「私の存在がお母さんの支えだと思っていたのに」


姉妹母娘と言われるくらい仲良しでいつも一緒にいた母と姉。
なんでもできて良い子の姉。
反対に、
母親が憎んでいる男にそっくりで、不出来で愛想もない暗い妹の私は
母に疎まれて育った。
別にいじめられていたわけではなかったしちゃんと育ててはもらったけれど。

姉は亡くなったことでいよいよ母にとっては特別な存在となった。
思い出は美しく。
それでまあ私は相当ひねくれて育って
本当に信じられないけれど、ずいぶん最近までそういうことを引きずっていて、
いや、今でもまだスッキリはしてないし相変わらず母親は大嫌いだけれど、
でもまあずいぶん消化して昇華させたよなぁと思っていたら。

母の言葉にちょっと動揺するとは。
やっぱりまだ子供の自分が私の中の押入れの隅っこで体育座りしていて(笑)
「ああ、そんな簡単じゃないよね」って思って
子供の自分をよしよしって撫でてやった。

あのさ、お母さんは大切な娘を亡くしたんだよ。
こんなつらいことはないよ。
そんなお母さんの支えに、蜜蜜がなっていないわけないじゃん。
でもあまりにつらすぎて、支えがたくさんないとお母さんは生きていけなかったんだよ。
そのうちのひとつが蜜蜜の存在だし、お姉ちゃんの言葉だったし、他にもいくつかあるってだけだよ。


そうやって撫でてあげたら、子供の自分の心がおさまったようだった。
うん、こうしておさまるって、前なら考えられなかったから、よかったね私。

翌日になって母親から電話があった。
「久しぶりにあんたたち(私と私の娘)と会って話ができてよかった。
蜜蜜もHちゃんも元気でのびのび生活できているようで安心したから
昨日は久々にぐっすり眠れたよ」

ほらね。

私は子供の時に本当にイヤな目にあってきて
そこからどんどん自己肯定感を失っていったし、
母親は私のことを彼女なりに愛してくれていたってわかっていても
子供の自分はなかなか納得できないのは当たり前だ。
その気持ちは否定する必要もないし消すこともない。
ただ、同時にやっぱりちゃんと大切にされていたという事実を
頭でわかるだけでなく腑に落としていくっていうのが、すごく大事で
それが最近になってやっと、やーーーーーっとできるようになった。

色んなところで言われているし
私も周りの人を見てると
本当に本当に本当に本当に親からの呪縛や傷を癒さないまま育ってきた大人が多い。
というかほとんどそうだよね。


って言って、「いや、でも親には感謝しているよ」と軽く言う人を見ると
私はそーっとその人の中にいる子供に会いに行く。
そうすると、そこにいる子供は大体見つけてもらえてなくて
暗闇にいてボーっとしていたり、何かをにらみつけている。

親とのことは本当にちゃんと取り組んであげた方がいいよね。
それにはまず
自分の中にいる子供を見つけてあげなきゃね。
私もこれからも向き合って付き合っていくつもり。

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