映画日記:PERFECT DAYS
ヴィム・ヴェンダース監督が、TTT(東京(渋谷)のトイレをデザイナー建築にして、今迄より綺麗に使ってもらいかつ観光に役立てよう、というプロジェクト)からの依頼で製作した映画。
TOTOウォシュレットを使った荻上直子監督の『トイレット』を思い出した。あれは日本人がアメリカで撮った映画で、やはり何でわざわざ外国で?と思ったけども面白かった。
この映画は、出来事が起きている脚本に描かれた部分と、決められた日常生活を送る行為をドキュメンタリー風に撮り貯め編集された場面とで、構成されている。
渋谷のデザイナーズ・トイレを掃除して生計を立てる、寡黙で読書と60-70年代洋楽カセットを愛する、ある種清貧のような中年男性を、役所広司が演じる。環境音や実際の天候がうまく取り入れられている。
ネタバレあらすじ。
トイレ掃除夫平山は、スカイツリーの見える街の古びた二階建て文化住宅に暮らしている。早朝、老女の使う箒に起こされてつなぎの制服に着替え、そこら辺で採取して育てた植木に水をやり、缶コーヒー(カフェラテ)を買って、マイカーのラジカセで音楽を聴きながら通勤する。
時々遭遇するホームレスの男と言葉でない会話をし、お昼に公園でサンドイッチ食べながら木漏れ日をフィルムカメラ(オリンパス μ)に納め、仕事上がりには銭湯で汗を流し駅地下で一杯飲んで読書して寝る。
休日は、コインランドリーで洗濯し、写真を現像に出し、行きつけの小料理屋で呑んで帰る。
大変に規則正しい日々を繰り返しながらも、後輩が急に仕事をやめて新しい人が入ったり、家出してきた姪を泊めて何年かぶりに妹と再会したり、いきつけのお店のママの元配偶者に癌の話を聞くなど、イレギュラーな出来事も起こる。そういうお話。
まず、デザイナーズトイレについて。
名建築を公共建築として建てて残す意義は認めているけれど、それをトイレに特化して実施する微妙さ、というのは感じます。
そこに一部政治家の中にはびこるトイレの神様的スピリチュアル志向が関係しているかは、分かりません。大阪万博のように保存予定の無いものでやるのは論外。
普通の公共トイレをわざと乱雑に扱う人の持つ余裕のない心持ちは、トイレを豪華にしただけで解決する訳もないし、そもそもそこを捌け口にするに至る社会体制の問題が背景にあるはず。
なのに、豪華トイレ関連にだけお金を潤沢に使い、肝心な社会福祉へのコストを削減して、公園の樹木も伐採し高層ビルは増やしている、木漏れ日のあはれじゃねーじゃんよ、ということも当然思います。
それでも、映画は良かった。
素直に喜びづらい良さが、日本という国へのわたしの感情とも重なってきます。美しいものと歪なものとが同居していて、片方だけは選べない。たいていのものがそういう風だけれど、この映画は表面の振れ幅もあからさま。
このプロジェクトに、日本人監督でなくドイツの巨匠を起用するのにも、根深いヨーロッパ第一主義が潜んでいると思うけれど、今回は采配が見事に結実している。
この映画が今の日本の社会や文化にとって善か悪か、白黒判断つけられそうにはないし、そもそもそういう映画の観方を基本わたしはしていない。
内容の感想。
石川さゆり演じる小料理屋のママが発した、何故このままで居られないのかという問いへ、平山からの返答が最後に示されているように思った。
父を捨て嫌な人間関係を排除して、修道僧のようにルーティンだけの毎日を繰り返していても、死や破綻は必ず訪れる。
皆それを知らされて生きているし、破綻をより身近に感じる時ほど、今手にしているものの大切さに圧倒される。
その瞬間に鳴り響くニーナ・シモンの声。
幾つかの波紋が収斂され、この日この時この曲を聴いたことで歯車がカチッと噛み合わさり、平山が変わらないように頑なに守ろうとしていたうちの何かが僅かに動いたのかもしれない。
音楽が持つそういう力を撮るのは、とてもヴェンダースらしい。
自国ドイツを描く時には、彼は現実や歴史の苦さをちゃんと織り込んできたけれど、外国を舞台にすると、どうしても美しい夢や憧れが溢れてしまうのだろう。
平山が家の鍵を掛けない件。
うちの田舎は、近所で空き巣が入るまでは鍵掛けにおおらかで、用があれば戸をガラッと開けて大声で呼ばわる方式だった。
けどこれは現代の東京で平山は几帳面な金持ち育ちだから、わざとだという設定だろう。盗られて困るものは持たない表明?鍵が嫌い?
大島弓子の描いた元新聞記者のホームレス鹿森さんの、世界へ向かってドアを開け放した話を思い出したけれど、平山の心の扉は、今後も万人にまで開かれることはないはず。
わたしは寝つき寝起きがひどいので、あんな美しい夢を見て箒の音で起きる平山がとても羨ましかった。モノクロとカラーの違いはあるけれど、『夢の涯てまでも』で詳しく研究をしただろうヴェンダースが映し出す夢映像は、非常に説得力がある。
箒やお湯の音、木漏れ日、雨音、泯さんの踊り、公園でじろじろ眺めてくるOLの表情、言葉以前のものが穏やかに生々しく映されている。
飲み屋の大将からの「お疲れさん」、古本屋店主の祝福のような口上、無口な写真屋(柴田元幸さんだと気づかなかった!)、銭湯の老人達、さゆりママの店、常連で保たれているお店の風景(豪華キャスト)。
トイレ掃除の後輩タカシは、いい加減なくせにやたら全てを点数づけて評価してわざわざ教えてくる。同時に、でらちゃんには自分の耳が必要なんだと気づく敏感さも持ち合わせている。耳を必要とされることで救われてもいただろうけれど、それを自分の手柄にしない節度がある。
タカシの彼女は、仕事とは言えお金をむしり取りながらも、終わりの予感に涙する。
生き物はどこかに必ず整合できない矛盾を内包している。自分では醜く感じる綻びを含んだその状態が、見る人によっては魅力そのものに映る。
平山の寝室の、カーテンの無いところや畳のへたり具合、薄い布団など、たまに泊めてもらう姉んちの寝室(角部屋)にやけにそっくりだった。あそこまで片付いてはいないけれど、物も同じくらい少ない。(四階で賑やかな道路のそばだから環境音はやや違う。)
最近、いなば食品の寮がボロ家としてネット記事をにぎわしていた。
わたしや姉は部屋の古さで家賃を浮かせているので、「あれくらいでボロ家ボロ家と騒がないでほしいよね~、全然普通に生活してるっつーの」と言い合ってました。(無論、新築寮と伝えていたのに建て替えず雨漏りして、給料も予定と違ったり、とちらっと読んだだけでも問題は感じるけれど。)
こんなブラックで儲からない職場でこんなにも丁寧な仕事をしている、という人はどの職にも数少ないけれど存在していて、たまに出会います。自分には決してなれなくて、拝みたくなる。
色んな考え方があると思う。働きに対して不当な雇用条件の職場では、怒って改正をさせた方が、労働者層全体にとってはいいに違いない。
低賃金で蓄えがなければ、病気を抱えていそうな平山に今後選べる治療は少ないだろうし、それをもう半ば覚悟をして静かに一人で死のうとしているようにも見えた。
「健康で文化的な生活」の水準は共通認識として決められているし、そこからこぼれる人を、本人が心底から拒まない限り保障できる福祉体制を目指すのが筋だ。
それはそれとして、個々の人生や境遇への受け止めはあくまで本人それぞれに委ねられるものだ。他人がそれは幸せだ不幸だ分相応だ、この境遇の人はこう行動すべきだと、勝手に属性を根拠に決めつける権利はない。
充足の指標はそれぞれが自分用に設定すれば良く、それを他人に強制したり誇ったりするものではない。
わたしは、社会階級的に言って、実家が裕福でなく健康と若さと蓄えはないし消費も控えられないので、おそらく平山&タカシより少し下に位置している。勿論先は不安だらけだ。
完璧とは思わないけれど不幸ではなく、退屈もしていない。これが自分の人生だから、このまま転がって行くだろうと思う。同時に社会に対し物言う気持ちも捨ててはいない。
映画のタイトルに使われている、ルー・リードの「Perfect Day」も、そばに「君」が居る以外はほぼこの映画通りの歌詞の曲だ。
「完璧とも言える日々に、どうにか踏みとどまって暮らしてる。
いくつかの問題は置き去りにしたままそこに転がっていて、自分の撒いた種を(良くも悪くも)いつか刈り取るだろうと分かってる。」
執筆陣や写真に惹かれて久しぶりにパンフレットを買った。
低賃金労働の美化と取られかねない点は、既にパンフレットで川上未映子さんが指摘していて、かつそれを平山の現実回避とも結びつけてより高度な批評が展開されていた(ミニマリストでない自分にも思い当たる節があり)。
人々が掃除夫やホームレスを直視していないように、平山も必要以外の人々を気にせずに生きている。それは乱暴な切り捨てとも言える。
ヴェンダースが著作の中で、ストーリーは大切なものを遠ざけてしまう危険な存在だと、口をすっぱくして書いている、ということ。
役所広司が語る、笠智衆は表現し過ぎず委ねるということ。(役所広司も、それとは違うけど抑えが効いた絶妙な演技。老いてきた身体も良い。)
泯さんの手書き文字による、踊りは本来どういうものかという文章。
取り上げられていた本、ウィリアム・フォークナー『野生の棕櫚』、幸田文『木』パトリシア・ハイスミス『11の物語』どれも読んでいない。幸田文はたしか『おとうと』を読んで気に入ったので、いつか読めたら嬉しい(積読多すぎで無理めだが)。
あの音を映画館で観て良かった。
何年か毎にまた振り返りたい映画だ。
木漏れ日をそんなに撮ってないので(眩しいので加減がむずい)、自分がよく撮ってる反射像の写真で。これは川だけど、これもなかなかいい具合の揺らぎを捉えるのが難しい。
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