見出し画像

『カタツムリレポート#2 株式会社放電精密加工研究所』 前編

JST「共創の場形成支援プログラム(COI-NEXT)」地域共創分野(慶應義塾大学✖️鎌倉市)リスペクトでつながる「共生アップサイクル社会」共創拠点の循環者学習分科会が運営するnoteです。こちらのnoteでは、子どもの目線でわかりやすく技術を伝えたり、研究者や技術者などの「みらいをつくる職業」をもっと身近に感じられるように、参画企業の取り組みやエピソードをインタビュー形式でご紹介していきます。


放電精密加工研究所さんにおじゃましました!

2020年に開所された大和事業所に伺いました。

こんにちは!大学生カタツムリレポーターの飯島詩(うた)です。
カタツムリレポート第2回目は、『みんなの「知らない」をカタチにする』ことがミッションの 株式会社放電精密加工研究所 さんにおじゃましました!

入り口すぐの階段
さまさまな領域と共創関係を実現するために、共有スペース等はオープンイノベーションをコンセプトに設計されているそうです。

インタビューにお答えいただいたのは、サステナブルものづくり推進室長の高橋昭人(たかはしあきと)さんです。

人にフォーカス

これまでのご経歴を教えてください。

飯島
では、よろしくお願いいたします。
まずは高橋さんのご経験やキャリアを教えていただけますでしょうか?

高橋さん
私は放電精密加工研究所サステナものづくり推進室に所属しています。名前からすると何をやっているかわかりづらいですが、現在弊社は脱炭素と資源循環社会の構築に向けて取り組むという中期経営計画を立てており、資源循環をメインとした持続可能なものづくりをテーマに、どういうことをやれるかというリサーチと研究を行っています。
元々は理系で機械系の勉強をしていて、弊社のホームページを見ていただくとわかりますが、事業領域が航空機や発電所、住宅の部品など、ざっくり言うと色々なところで社会のインフラの役に立っている会社だな、なにか作れそうだな、と思い入社しました。最初は技術系の部署に入り、その後はタイの子会社に、いきなり行ってみないかと言われてそのまま3年間行くことになり(笑)2008年のリーマンショックを受けて、日本に帰ってきた先は人事だったんですね。
人事で新卒採用や労務管理などをやりながら、2011年以降に洪水でタイの工場が水没してしまうということがあり、3ヶ月間ほど現地で急ピッチな復旧作業の応援に行っていました。
復旧を無事に終えることかでき、戻ってきたら今度は経理業務をやってみないかと。ただし経理といっても、主な内容は投資家さんが相手。当社も上場会社で株式公開をしておりますので、個人投資家さんや機関投資家さん、また調査会社さんたちに会社説明をする業務になりました。世に言うIRという仕事をやらせていただいているうちに、SDGs推進してみたいな話になり、技術もわかる、採用も担当していた、学校とも喋れる、一般の方への説明も慣れているということで、SDGsに関する活動をあれこれやってるうちに、そのまま2030年のゴールだけでなく、将来に向けたものづくりを考えるという話になり、今のポジションになったというのが私のキャリア。
極論どんな職種もやってますって人です(笑)

飯島
人事や経理もされているのですね。

高橋さん
そうですね。あまり研究畑にはいないタイプだと思います。

飯島
最初の方は技術に携わったということですが、そのときはどういったことされていたのですか?

高橋さん
私がやっていたのは金型と呼ばれるものですね。金型とは何かというと、大量生産でモノを作るときに、たいやきの型やたこ焼きの型を思い浮かべていただくとわかりやすいですが、いっぱい量を作るために最初から型を用意しておいて作るということが楽ですよね。中でも私が担当していたのはアルミ押出用金型ですね。最初1年目はものを作る方で技術者や技能者から仕事を習い、2年目でどういった生産方法がいいか設備がいいか、という検討を行い、海外拠点であるタイでは実際に作る人たちもタイスタッフがほとんどなので、維持管理をするためにはどうするとよいかといったマネージメントを中心に行っていました。

飯島
アルミ押出用金型というと、どのような業界に対してのものづくりなのでしょうか。

高橋さん
一番イメージしやすいのは建材や窓枠といった製品ですね。色々な作り方がある中で押出の金型と呼ばれるものは、ところてんのようにぐっと押してものを作る方法です。1個1個削ったりすると毎回セットしなきゃいけなくて大変ですが、バーって押して切るだけで製品ができるため量産には必要な技術となります。日本のアルミ押出用金型は歴史ある技術なので、より生産しやすい方法を検討したり、新しい設備や機械に入れた時にどうなるのだろう、という検討をしていました。

飯島
その機械との整合性みたいな。

高橋さん
そうですね。あとはこの機械入れたら人が楽になるかな、というような検討などをやっていました。

飯島
どういうところに楽しさや難しさ、逆にこれはすごく面白かったというようなことはありますか?

高橋さん
私も採用担当をしてたときに、製造業楽しいですかって聞かれると「9割大変1割楽しい」という表現をよくしていました。一生懸命ものを作っていますが、お客さんに評価されることはなかなかな少ないですよね。それもそのはずで、お金払ってもらっているので、いいもの出してくるのが当たり前でしょみたいな。そうなってくると日常の楽しさというものはほぼ自己満足を得られるかなんですよね。
自分ができなかった、難しいと思っていたことができたときの達成感や、それよりも嬉しいのはお客さんにすごい技術だね、すごい会社だねと、自分より企業としてや会社で一緒に働いている方々のことを褒められたときに楽しさがあります。タイにいたときは、日本よりいいものづくりができたって自慢できるときはテンションが上がってましたね。

飯島
消費者の声がダイレクトに届く機会というのはよくあることですか?ものづくり企業と消費者、一見距離があるように思うのですが。

高橋さん
距離はありますよね。というのも、みなさんがよくご存知の企業が製品を販売し、その製品を販売する会社にBtoBとして仕事をしている企業は、消費者の方が社名を知っているということはなかなかありません。特に弊社の場合、色々な業界に技術提供をしている分、中身を話してはいけないというような規制があるため、この製品実はうちの会社が作っていますということを言えないことが大半ですので、一般消費者の方からの声はなかなか届かないというところです。

飯島
一般の声が届かないということですが、今やっていらっしゃるサステナブルものづくりというところは、消費者の方はかなり関心が高い、企業の方も関心が高いというところなので、消費者の声が届く方が何かやりやすいような気がしたのですが。

高橋さん
そうですね。やはり脱炭素や資源循環に関しては、今私が部署で担当させていただいている理由にも繋がりますが、非常に価値観が広い中で、興味ある人ない人に分かれているのが現状です。ものづくり屋としてわれわれは今63年目ですが、本当に必要なものを社会に提供したいと考えた場合に、まだまだ答えがないんですよね。今は消費者の方含め、SDGsイベント等に参画して話をしながらヒアリングしたり、慶應義塾大学さんの本コンソーシアムに参加した理由にもなりますが、色々な方と話をして、本当に必要なものとはなにかを考えるためにこの部署がありますね。

飯島
本当に必要なものってなんだって思いますね。

高橋さん
そうですね。でも我々が63年間ものづくりをしてきたものは、必ずしもエンドユーザーの人たちに顔が見えなくても、例えば自動車が走っていたらその中に弊社のものづくりが関わっていますし、家を建てるときも使われているし、飛行機が飛んでれば、あぁうちのだなって思ってしまうぐらいで、陰ながら社会を支えてきた自負がありますので、ファッション的なサステナブルやエシカルのような表現ではない、本当の意味で必要なものとはなにかということをテーマにしています。やりながら答えを探していますけどね。

「なんでなんで星人」から携帯電話ショップの経験を活かして

飯島 
高橋さんご自身について、研究や機械などに興味を持ったきっかけやバックグラウンドについてお聞かせください。

高橋さん
元々父がプログラム関係の仕事をしていて、家にプラモデルやものづくりが好きな環境がありました。小学生ぐらいまではなんでこういうものができるのだろうとか、空の色はなんで青色なんだろうとか、「なんでなんで星人」だったんですね。中学生ぐらいになると、なんで生きてるんだろうと思って心理学や歴史に興味をもち、高校生になってからは研究者を目指そうと。でも現実的な就職先を見たときに、すごく門狭いよねと。
そのときにちょうどHONDAさんの人型ロボット発表のニュースを見て、ロボット楽しそうだなと思って勉強し、自分が好きな世界はものづくりだなと気づいて理系の大学に進学しました。

飯島
色々なことに疑問を持つということが軸としてあったのですね。

高橋さん
そうですね。その中でも今の会社に決めたきっかけは、大学生の時にやっていた携帯電話ショップのバイトですね。取扱キャリアの製品説明や販売などをお客さんにするのだけど、自分が作っているわけではないので、例えば壊れたと相談されても、想定はしているものの店員としては謝りながら預からせていただき、その症状を修理の方に連絡する一方で、理系の勉強をしていたので、これはこういうエラーではないかと綿密なやりとりができました。そういう経験もあり、就職するときはぜひメーカーに行きたいなと思いました。自分で作ったり関わったりするものを説明できる人になりたい、説明したものが社会に貢献してくれたらいいな、という発想です。その中でも、本当に何でもできそうな会社に来ちゃったなというところが、今の状態ですね。

飯島
すごいですね。

高橋さん
いや、やりすぎてましたね、大学にスーツで行きましたからね。
ちゃんと店長はいたのですが、技術的なクレームの嵐になると説明がつかないから変わるということで、やりすぎて本当の店長どっちだっけみたいな状態にもなりました。クレームの電話でメーカーさんに対応するのに、授業を抜けようとして教授から電話すんな!って怒られながら、こっちはクレーム処理だよ!って思わず言ってしまい(笑)。

飯島
だいぶ異端な大学生だったんですね(笑)

放電精密高橋さん
そうですね。その後大学院に進むか進まないかというときに、当時は進学に全く興味がなく、早く実践したいという思いの方が先でしたね。

飯島
「なんでなんで星人」だった高橋さんのなんでなんでの火が消えなかった理由はどんなところですか?また一番の理解者は?

放電精密高橋さん
消えなかったのはなんででしょうね。最近妻からも「首突っ込み太郎」と言われますね。気になったらどこでも首突っ込むけど、なぜなのかと言われると自分でもそうやって生きてきたからとしか説明ができなくて。
ただ、考えることがすごく好きですね。サッカーをずっとやっていて、足が速いとかドリブルが得意という人間ではないのですが、どうやったらチームがうまくいくか、そのために自分は何をするのか、といったことをずっと考え続けてやっています。そうした中で一番の理解者と考えると、難しいですね。今もそうですが、面倒くさいけどなんかいいよねと言ってくる人たちが多く、困ったときにこれどう思う?と聞いてくれることに自分の喜びを感じる、ということがあるのかなと。

飯島
なんでなんでって常に終わりなく考え続けるというところは、人から頼っていただけると仰ってましたが、お仕事の中で役立つと思いますか?

高橋さん
思いますね。自分は典型的な面倒くさがりですが、それでも自分に確認してもらえるということは、期待してもらえているからこそだと考えています。それには常に応えらえる人でありたいなと思っています。老若男女、人種越えても同じ感覚で向き合っていました。

飯島
子どもたちが「なんでなんで」と考える力や、そのような力を身につけるためにはどうしたらいいと思いますか?

都内小学校で実施されている環境学習の一コマ

高橋さん
今の子どもたちにとっては自由であって自由じゃない時代というか、失敗すること自体をもう正解がわかっているからやらせない風潮があるように思います。わかりやすい例としては遊具。私の子供の頃は公園で遊んでいて怪我してなんぼみたいなところがありましたが、当然怪我しちゃいけないからといっぱい規制されています。だから安全で怪我しないですよね。
怪我しないからいいことの反面、こうしたら怪我するよという考え方をちゃんとどっかで教えないとわからないですよね。スマホやパソコンで調べたことが、じゃあそれが答えかというと、意外とそうじゃない、ということが実は世の中にはいっぱいあります。だからまずは自分でやってみる。それが正解だろうが間違いだろうが自分でやってみて、周りの大人が許容できる社会だったら、たぶん子どもは自由に育つのかなと思います。
最近小学校で資源循環について話をさせていただくのですが、小学生の方がよく知っています。これとこれは資源だから混ぜちゃいけないんだよねとか、プラスチックって元々生まれは象牙なんでしょとか。そうした小学生を見ると、それを教えてる人たちがいるから当然そうなるわけで。学ぶことはいいことですが、知識が先行しているというか、それが資源循環とつながっているかというと、これまた話は別なんですよね。。。

ーー後編へ続く。



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?