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いち個人としての責任

たくさん思うことというのはあるのですが、
それを言葉にしたり話したりすることは、私にとってとても難しいことと感じます。

小学生ぐらいの頃から、人と話すことが面倒でした。大人しく、明らか元気のない子供だったと思い出します。
話すことも嫌、遊ぶ約束をするのも嫌で、遊びに行くことも大人になる前から面倒でした。

当たり前のように一人になりますが、寂しいと感じたことは一度もなく。
でも恥ずかしいとは思っていました。なぜか


周りの人たちと一緒に。が出来ない。
普通といわれるようなことが出来ていない
、と感じていたからです。


焦りと恥ずかしさは、いつもいっぱいいっぱいで溢れていました。

人が友達などと大勢で遊んでいるのを見ると、楽しそうだなあ。とは思います。
でも、その楽しさはどうしたって私には味わうことはできません。

私がたくさんの人と遊んだところで、ただただしんどいだけの話なので。
私が楽しいと思う環境やモノは、他にあります。

それでも後悔というのがしっかりとあり、それは何かというと。

その時々、自分が思ったことを素通りしてきたこと。
明確な言葉にしようとせず、何も考えなかったことです。

ずっと周りの大体の意見に合わせて過ごしてきたことに、とても後悔しています。

おかげですっかり、
怒りや悲しみ、嬉しさを表に出すことがとても不得意となってます。

なにが正しいのか、悪いのかという判断さえもあやふやです。
今まで、いち個人として周りときちんと向き合わなかったことは、自分でも馬鹿だと思います。


自分というものをしっかり知ることは、私にとって
とても大事なこと
でした。

今は大人という年齢ですが、何も立派な部分はないです。


最近、
甥が生まれて。

自分を大事にして、幸せな環境で過ごせるような努力をしてほしいな
と思いました。

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