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ECサイトは農業の課題根本解決にはならないし、廃棄を無くすことにもならないこれだけの理由。その2

前回書かせていただいたことをまとめると、

(1)ポケマルや食べチョクなどの農家向け「マッチングサイト」は農産物の物流の使命のうち、いくつかを満たせていない、ということ。
(2)とはいえ、ECサイトを活用できる農家もいる。ただ、その割合は決して多くはない。
(3)送料の問題、スーパーマーケットとの棲み分け。ECサイトで解決すべき問題はECサイト自身で解決できるものではない。
(4)農業流通の問題の多くは、既存流通の中で、新しい基準を持たせることで解決していく可能性がある。

ということだ。

今回では、
(5)最近話題になった「農産物の畑における廃棄」と、それを解決するためにどういう方法があるのか、というお話について、論じさせていただく。


(5)農産物の畑における廃棄はなぜ起きるか

リンク先のツイートのような、「捨てるなんてもったいない」声は、こういう廃棄が起きるたびに上がってくる。しかし、このツイートに対しては非常に多くの「農家からの指摘」が相次いだ。

幾つかのツイートを見ていただければご理解いただけるだろうが、まとめるとこのようになる。

年末年始(特に12月28日以降)は、鍋物需要で白菜や大根といった重量野菜の引き合いは強い。それに向けて多くの農家が生産の狙いを定める。
②その野菜生産には多くのリスクがつきもの。雨が降らない、台風、様々ある。なので、農家は大体が「多め」に作る。大手流通と契約している農家なら、契約数を納入できないことは次回の取引解除につながりかねない。
③ところが、暖冬ということになると、農作物の生育が早まる。市場には、需要以上の農作物が来すぎると、価格崩壊を招く。これでは、取り扱う流通者(小売業と卸売業)、輸送業、誰の得にもならない。ただでさえ大根などを消費する量は限られている。一人1本大根を毎日なんてとても食べることができない。
加工業も受け入れられない。そもそも年間作れる量は決まっている。突然受け入れられるような体制でもない(そもそもそういう地方の工場も慢性的人手不足で、外国人労働者に支えられているようなものだし、こういうところは元々規格外品を扱うことも求められているので、農家から買い取る金額は非常に安い。)柔軟性のある加工業とか加工品というものはそもそもむつかしい。

なので、産地側としては『農業者自身の収入だけでなく、農業の流通にかかわる人の利益を守るために』産地で収穫せず、畑に漉き込む。決して、食べ物を無駄にしているわけではない。
食べ物を無駄にしているのは、「年末に鍋ばかり食べて他のものを食べなくなる」消費者が悪いのである。これは、ある一定の時季に鰻ばかり食べたり、寿司屋でサーモンとマグロばかり食べるのも同じである。食べるものが偏ったり、食べる時期が偏ったら、しわ寄せを食うのは農業者の現場である。ではそれでも調整しようとすると、すべての農産物をある程度計画的に生産面積や種の販売数まで決めなければならない。そこまで踏み込んでやれというのだろうか。台風で、芽が出たとたんの農作物が全滅したらどうするのか。それも、生産現場が結果的にダメージを受けることになるのだ。

そういう仕組みを知ってか知らずか、下記のようなサービスも生まれようとしている。

これもまたECサイトであるが、過剰在庫を消費者と結びつけるというのははっきり言って無駄なビジネスである。

なぜかというと、ただでさえ相場が下落しているときに、その「余っている産品」を消費者に届けようとしても、そもそも消費者が「スーパーに行ったら通常よりも半額で売っているものをECサイトで買うか」という問題もある。スーパーよりも多少値段で『産地を助けるために』買ってくれる人がいるとしても、結局市場にあふれている野菜の需要を減らすだけである。一部の農家はECサイトで儲けられる人はいるかもしれない(ただ、個別に配送伝票作成して箱詰めして届けるという手間賃は出ないだろう。そこまで高い値段付けたら買ってくれなくなるし。やるだけ実際は赤字、ということになることが多いのだ)が、その分市場流通を圧迫して「さらに野菜の値段を下げさせて、流通業や運送業に携わる人の赤字を増やす」ことにつながるだろう。

もう一つ、規格外の品物を高く売れるのでは、という指摘もあるのだが、これは別の問題を生む。例えば、サクランボなど高級果樹でこれをすると、「正規品のニーズを食ってしまう」ということがある。いわゆる「訳あり品」が販売できる場所が多く生まれてしまうと、それまで高い値段で正規品を買っていた人たちがどうしてもそちらに流れる。これは、TV通販の普及で明太子たらこなど海産物や割れせんべいなどのの訳あり品が軒並み売り上げがよく、結局製造会社は正規品を潰してまで「訳あり品」として売ったことでかえって会社の利益率が下がったという事例を多く見ているのでそれを言える。人口はこれからも少なくなるし、高い値段を払って買う人が少なくなりつつある中で「訳あり品」をそのまま市場に出して金にするのは将来の自分の収益性を損なう。6次産業化や農商工連携を考えるほうが長期的には良い。どういう加工品なら収益を埋めるか、ということであれば数多くのアイデアがあるが、訳あり品の販売はその入る余地をなくす。

そして、この手のビジネスで「コロナ」で行先を失った野菜を消費者に届けて農家を救おう、ということはよくあるのだが、ではその野菜は本来どこへ行くはずだったのか。給食センターや飲食店、イベント会場だったはずだ。では、農家を救って他は救わなくていいのか。コロナ後に乱立した「産地を救え」というSNSの活動は、なぜか「通常より安い価格で」農家や飲食店が消費者に販売するサイトだった。しかし、本来救うためなら「通常価格で」買い取るべきだ。なので、あの活動は結局「いい人になった気がする」程度の活動で、本来もっと救わなければならない流通業(卸売りや運送業)の人や飲食店の人の多くは見えていない

我々の手に食材が、食事が届くまでには多くの人の手を介在する。コロナで影響を受けた人を救うなら、その人たちの仕事を創りながら食べることで救わなければならなかったはずだ。すなわち、飲食店によるケータリングやミールキット購入、テイクアウトなどや、給食センターで作られた商品を購入するなどだ。ただ、ケータリングなどは個人で何とか利用することができても、給食センターで大量につくられる商品を大勢が食べる、というのは個人では無理なので「その地域の人が大勢で食べる」などの仕組みが必要になる。ここを何とかしようというビジネスは生まれなかった。また、ミールキットなども加工した後どう販売するかの仕組みが必要となる(これもある程度多くの人に買ってくれることがないと成り立たない)。保健的な話もある。

こういったところを「調整」するためには、間に入る人・ビジネスも汗をかく必要がある。要望を取りまとめ、運送業者を手配し、販路を開拓する。これはプラットフォームビジネスではできない。そもそも、そんなリスクを取りたくない、取れるような知識や技術が無いから単純なプラットフォームビジネスをするのだ。多くの農業産直関連プラットフォームビジネスは、「地方の、産地の人を助ける」と言いつつ、野菜の目利きもできるわけでなければ野菜の流通の本当のところも知らない。知っていても上っ面のところだけである。

食品の流通はいろいろなリスクが伴う。それを上流に押し付けてきたのが今の農業界で大きな課題になっている。(押し付けてきたのは大手小売業ということは確かにあるが)

今乱立している多くのECサイトはその根本的な課題を全く理解していない。農家がすべてやるわけではなく、農家が安心して生産に取り組んでいられる仕組みが現在の市場流通の根幹であった。しかしそれでは農家の新しい取り組み(新品種の導入、味の改良などなど)が評価されない。その取り組みを評価するのは料理人だが、東京の料理人が熊本県の一人のトマト農家の野菜を4キロだけ買いたいというような仕組みに対応していない。だからヤマト宅急便で農家が直接送るのである。農家が直接レストランなどに営業するのである。ECサイトで売り込むのである。
しかし、今の市場流通が、農家の情報やその農家個人の生産物の様々な評価(生産の安定性や価格や味)を正確に流通業に対して、飲食店に対して、消費者に対して届けられるようになれば、その課題は解消されていくだろう。

私は農業漁業のコンサルタントとして目指しているのは、そのような流通網の構築である。現状ECサイトを進めることもあるが、それは「何でもかんでもできる」農家だからだ。そうではない人、地域であれば、販売や加工や流通の構築をできる仲間を探し、そういった組織化を手助けしている。

もちろん、CSAを作るためのECサイトはそれはそれとしてあっていい。しかし、現状のECサイトの多くはそこを創り上げるための「農家への支援」が圧倒的にできていない。前回の記事で取り上げたポケマルはそういう取り組みをするための資金調達みたいなことが記事であるが、そもそも農産物を自分たちもリスクをもって取り扱うなどのところまで踏み込まないとCSAの「Comunity」はできない。ただストーリーだけでファンは作れない。その農産物そのものを成長させたり、消費者が求める品質を保っているかどうかをチェックしなければならない。そうした人材が本当にこの会社にいるのか。

私は、食品を扱うものとしてはまだまだ知識は不足している。淡路島の漁師より魚捌くのが早かったり、とある農産物に関しては一般の農家と同じくらいの肥料構成などの知識があったりするが、全部ではない。とはいえ、その生産者のことを知るために、ストーリーだけでなく技術や取り組みを、そして最も大切なのは、その農家を引き立たせようとするなら「世の中にある何百人もの」競合農家の情報も知らなければならない、ということはいつも考えている。

江戸時代、とある大坂の八百屋の主人が奈良から運ばれた蕪を見て、「ちょっと店を頼む」と番頭に言い残し、奈良まで2,3日かけて訪れて品質の劣化を叱り飛ばしたという。そして、種まき後の水やりなど注意すべき点を言い残して帰って行ったという。農産物の流通に携わるのであれば、こういうくらいの人でないと、農業界の課題解決などはとてもできないだろう、というのが私の考え方である。

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