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第2回『「生きている」ってどういうこと?』

こんばんは。思考帝です。語ルシスというラジオでDJをしています。Twitterのフォローもぜひお願いしますネ!

早速ですが、「生きている」とはどういった状態を指すのでしょう?

「生きているっていうのはこの世に存在していることです!」小学生でもコンマ1秒でこう答えるでしょう。

しかし、車もコンビニもこの世に存在しています。車やコンビニは生きているのでしょうか?

「生きているっていうのは呼吸しているということです!」。確かにその通りだ。植物も呼吸をしているといった点で「生きている」と捉える人は多い。それでは呼吸=生きているなのだろうか。「生きている」という言葉を曖昧に使っていないだろうか。いや、当たり前すぎて考えたこともないのではなかろうか。そんな疑問からradio『語ルシス』で思考帝とニセ=ソクラテスは「生きている」ということについて話しました。

ニセ『「生命」に定義が必要だと思うんです。「生命」っていうのはなにかしらの形で「成長」するという要素が必要だと思うんです。例えば人間はものを食べて成長しています。植物も水などで成長するという点では共通項を持っていますよね。もう一つは「繁殖」という要素ですね。自力で子孫を残すというのが一つ生命体の共通項なのかなと思います。』

ニセ『昨今人類が生命体、いわゆる「人工生物」を作り出そうとしている動きがあるらしく』

思考帝『ほぅ』

ニセ『ハーバード大学のキッド・パーカー教授という方は人工生命を作り出しています。どうやらネズミの菌細胞を再生させてロボットでもない人間でもない間の存在を生み出したみたいです。』

思考帝『つまり交配を必要とせずに生命を生み出したということですかね?』

ニセ『まさしく。』

思考帝『自然の摂理に逆らってますね』

ニセ『ある意味それも自然なのかと思いますね。万物は自然の摂理には抗えないと思うんですよ。』

一般的に自然と人工は対義語であるとされています。私自身そう思っていましたが、こうして議論することで、思考帝は「人工物の登場もまた自然の摂理」という新たな解と出会うこととなる。これが我々の目的とする思考学冥利なのです。

思考帝『人工物に関して、例えば今問題になっているのが、責任の所在問題ですよね。仮に新しい生命が作られ、罪を犯した場合、本人と製作者どちらが裁かれるのかという問題』

ニセ『そもそも議論すら不毛だと思うんですよね。例えば核爆弾とか。核爆弾自体が罪に問われるかって話ですよね』

思考帝『確かに...では人工物が自我や人権を持ったらどうでしょう。人間と同等の価値が付与された場合、当然法律も人間と同じように適用されますよね。』

ニセ『自我の定義って難しいですね...例えばAIなどであれば、あくまでインターネット上の情報を集積しているのであって、元情報をネット上にばらまく人間に責任の所在がありますよね』

思考帝『そうなんですよね。1つに人工生命が感情を持った時、自我が構築されたと呼べるのではないかと思います。しかし彼らが感情を持ったことをどう我々が認識するのか...ここが非常に難しい問題だと思います。』

ニセ、思考帝『哲学ですねえ』

残念ながらここでタイムアップ。今回の議題も終了してしまいました。

皆さんも最も近くにある哲学『生きているとは』についてぜひ考え、ぜひあなたなりの問や解を教えてください。

それでは次の配信でまたお会いしましょう!Have a good day!

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