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【きくこと】 第3回 曽我大穂(音楽家)人と芸術が出会う場所

曽我大穂
音楽家。舞台芸術グループ “仕立て屋のサーカス” 演出家。

1974年、奈良市生まれ。二十歳の頃、路上でのハーモニカ演奏をきっかけに音楽を始める。

フルート、カヴァキーニョ、テープレコーダ、鍵盤楽器、トイ楽器などを使った即興演奏を得意とする。

バルセロナ・リスボン・ベルリン・パリ・ニューヨークでの公演を行うなど国内外で活動を展開するジャム・バンド“CINEMA dub MONKS”のリーダー。

2014年には “仕立て屋のサーカス” を結成。同グループの基本設計、総合演出を担当している。

その他、⟨ハナレグミ⟩⟨二階堂和美⟩⟨照井利幸(ex. BLANKEY JET CITY)⟩⟨グットラックヘイワ⟩⟨ mama!milk ⟩など、様々なミュージシャンのライブサポートや レコーディングとしての活動でも知られ、テレビCM音楽の演奏・制作や、他ジャンル(映画、ダンス、演劇、写真、小説)とのセッションも多い。これまでに、CINEMA dub MONKSとして3枚のCDアルバムと1枚のアナログ盤をリリース。

本を出したことで伝えられたこと

染谷 3人目の曽我大穂さんには、「人と芸術が出会う場所」というテーマでお話をしていただきます。まずは曽我さんのここまでの道のりと、「仕立て屋のサーカス」の活動について伺っていきます。またトーク後には、「読書のための音楽会」というミニライブも行っていただきます。クライマックスに近づいてきて、非常に楽しみな時間です。では、曽我さん、お願いいたします。

曽我大穂(以下、曽我)(ラッパを吹きながら登場) よろしくお願いします。
昨日のサウンドチェックではリラックスしていたのですが、今日はちょっと緊張しますね。ぼくは学校など上下関係の存在する場所に入ると緊張する癖があって。一歩外に出れば、社長さんも無職の人も関係なく歩いているし、がやがやいろんな音が響いている。そういうほうが気楽なんです。

これまで音楽家としての活動が多く、昨年末に本を出すまではトークの機会はほとんどなかったのですが、人前で自分の意見を話すと、アドバイスやヒントがもらえて一歩前に進める気がするので、とてもありがたいです。

染谷 今回ぼくが曽我さんにお声がけするきっかけになったのも、この『したてやのサーカス』(曽我大穂・監修協力、髙松夕佳・聞き手/編、夕書房)という本でした。本書の刊行までは、ライブ活動がメインだったのですよね。

曽我 そうですね。沖縄にいた頃、物語のある音楽を作るというワークショップをしたことはありましたが、ちゃんとしたトークというのはこの本の刊行以降です。そろそろ図書館にも入っていると思うし、古本屋でも見つかると思うので、ぜひ多くの方に読んでいただきたいです。

染谷 本はいろんな人に循環していくものですから、友達に貸すとか、古本屋で安く買うのもいいですよね。

曽我 まずは活字中毒の人を増やすことが、ひいては書店や図書館の利用者を増やすことにつながっていくと思うので。1億人の国民中、7000人から8000人が活字中毒者になれば、本屋さんも図書館も自然と充実していくのではないかと思っています。

旅と記憶

染谷 曽我さんは子どもの頃から、本を読むほうだったのですか。

曽我 はい。『したてやのサーカス』の冒頭にも書かれていますが、うちにはテレビがなかったんです。ぼくは赤ちゃんのとき目の粘膜がよく腫れ上がっていて、お医者さんから「強い光の出るものは、なるべく使わないように」と言われた両親が、思い切って捨てたんですよね。だから物心ついたときから家にテレビはありませんでしたが、本はたくさんあって。両親も読書が好きだったし、漫画や小説など、毎月たくさんの本が本屋さんから届いていました。本にハマったのは、たまたまそういう環境だったからです。

染谷 テレビのない環境だったから、本を読むようになったと。音楽についてはご両親の影響はあったのですか。

曽我 いえ。ぼくは音楽家になろうと思ったことはなかったし、まさか自分に音楽ができるとは思っていませんでした。進学した高校がちょっと変わった学校で、派手な人が多かったので萎縮してしまい、休みになると学校から逃げるように旅ばかりするようになったんです。母親の影響で考古学が好きになったこともあって、旅先では郷土博物館を回ったりしていました。卒業後は、旅をしながら考古学をやろうと思っていたくらいで、音楽家なんて考えたこともありませんでした。そんなぼくがなぜ音楽の道に入ったのかは、ぜひ『したてやのサーカス』を読んでいただければ。

染谷 この本には、なぜ曽我さんが音楽家になっていったのか、またその後の活動についても詳しく書かれているのですが、それがすごく刺激的なんですよね。廣木さんも読まれましたが、どうでしたか?

廣木 いやもう、人生そのものが旅だし、その中に本当にいろんなエピソードがあって。どのページもめちゃくちゃおもしろい。これ、脚色しているわけではないんですよね?

曽我 脚色はないのですが、長く生きているとだんだん不安になってきますよね。思い出だと思っていることの中には、実は自分の創作も入っているんじゃないかと思う瞬間がある。

廣木 ヒッチハイクしていたとき、自己紹介を続けているとだんだん脚色づいてくる、それが嫌でもうやめようと思った、と書かれていましたね。

曽我 ヒッチハイクって、多いときは1日10台、20台と乗り継ぐんです。毎回、乗せてくれた人になるべく安全な人と思ってもらおうと、生い立ちや旅の動機を話すのですが、数十回も繰り返していると、サボり始めるし、より安心させるために省略や改変が多くなっていって。ある日「あれは人生でしたことないのに、20回はしたと嘘をついたな」と気がついて、もうやめようと思いました。別に嘘だけを語ったっていいんだけど、自分の場合は心と体に問題が起きそうだと感じたんですよね。

染谷 でも、長年口伝で歌や物語を伝えていくうちに、だんだんストーリーが変わっていくというのは、よくあることですよね。

曽我 そうですね。個人の人生の1、2年という短いスパンでもそれが起きるのだから、歴史に残っているものの多くも、どんどん変わってきているんだろうと思います。

染谷 曽我さんのこれまでの人生については、ぜひ本を読んでいただきたいです。めちゃくちゃおもしろいので。

廣木 図書館でも借りられるんじゃないですか。

曽我 刊行直後に都心の書店でトークイベントをやったとき、ある女性がやってきて、「高校生の娘が夢中になって読んでいます。読み終わったら旅に出そうです」と言ってくれたんです。「こんな分厚い本で申し訳ない」と言ったら、「いえ、娘は今日読むぶんのページを携帯で写真に撮って、通学バスの中で読んでいるんです」と。ああ、そういう読み方もあるんだ、おもしろいなと思いました。ぼくとしては、この本は頑丈にできているので、カバンに入れておくと護身にも使えますよ、とおすすめしているのですが(笑)。

あらゆる営みは社会の仕組みと無関係ではない

染谷 笑。電子書籍を自分で作る高校生ってすごいですね。「仕立て屋のサーカス」の活動についても、少しお話しいただけますか。

曽我 それも本にぎっしり書いてありますが(笑)。
ぼくはひょんなことから音楽が生業となり、20代からずっと音楽をやってきたのですが、20代後半から幸運なことにいろんなミュージシャンのサポートやCM音楽も手がけるようになると、澱のような違和感が自分の奥底にどんどん溜まっていって。2011年に東日本大震災が起きたとき、今回のコロナ禍もそうでしたが、いろんな仕事が一気に止まり、これからどうやって生きていくべきかをゆっくり考える時間を得ました。そこで出た答えが、もう一度自分が本当にやりたいことに立ち戻り、やりたいグループを作って、誰かにもらうお金じゃなく自分で稼いだお金だけでやっていこう、ということでした。

ちょうどその頃、青山のスパイラルホール地下のレストランから、当時活動のメインだったデュオ「CINEMA dub MONKS」として好きにやっていい、という機会をもらいました。そこで、名目はライブでしたが、現在の「仕立て屋のサーカス」に近い試みを始めることにしたんです。実験を重ねるうちに予想を超える反響があり、確信が生まれてきた。そうして生まれたのが「仕立て屋のサーカス」です。

ミュージシャンやダンサーなど、さまざまな分野の人を取り込みながら実験する中で、ほぼ毎回出演してもらっていたデザイナー、スズキタカユキの動きに大きなヒントがあることに気づきました。そこで、スズキや実験の中でおもしろい試みをしていた他のメンバーを呼び出して、「これまではCINEMA dub MONKSのゲストとして来てもらっていたけれど、今後は新しいグループ名でフラットにやっていきましょう」と宣言したのです。

染谷 そうして本格的な活動を始めたのが、2014年だったのですね。

曽我 はい。実験を始めたのが2013年からで、2014年に立ち上げました。
人の前でパフォーマンスをするということは、実は社会と密接につながっているんですよ。料金はどう設定し、どんなお客さんに来てほしくて、どんな接客をするのか。その背景には社会のいろんなルールがあり、だからこそ社会への提案を入れる余地がある。お客さんにあえて説明はしなくても、「社会はもっとこうあってほしい」という思いを匂わせることはできるんです。音楽家は音のことだけ考えていればいい、という雰囲気もありますが、音楽家が出す音自体、社会の仕組みの中から生まれているものだし、社会のルールを日々浴びている人たちがお客さんとして来てくれるわけです。決して無視できない、セットなんですよね。
そうした提案の一つとして、「仕立て屋のサーカス」では、18歳以下の料金は無料にしています。それはぼく自身が、自由に仕事に就けない年齢の人は、どこまでも無料でいいと考えているからです。厳しく18歳かどうかを見極めるのは嫌なので、MCではいつもこう言っています。「最近19になった人も18だと宣言すれば入れるし、今月ちょっと懐が寂しいという人も、鏡を見て工夫すれば18歳に見えそうだと思えば、そのつもりで来てもらっていい」と。受付には問い詰めず受け入れるよう伝えています。

世の中にはさまざまなルールが線となって敷かれていますが、ぼくは子どもの頃からその線を消えない消しゴムでこすってぼかす行為が好きでした。ルールは確かに存在しているけれど、ぼやけている状態を目指したいという気持ちがいつもある。

「仕立て屋のサーカス」公演では、そうした考えを隅々にまで浸透させているのですが、本が出るまでははっきり言葉で伝えたことはなかったので、お客さんもどこか居心地のいい空間だな、というくらいの認識しかなかったと思います。

染谷 線はあったほうがいいけれど、ぼやかしたり、足したり引いたりできるというのはすごく共感するし、そういう場所があるのはいいですね。公共図書館も、きっちりしなくてはいけない部分が多いですが、どこかぼやかしていけたらいいですよね。

公共図書館には救われました。

廣木 曽我さんのその考え方の根底には、お金のない人にも見てもらいたいという気持ちがあるのだと思いますが、その考え自体、図書館が本来持っている公共性に近いのではないでしょうか。

曽我 そうですね。ぼく自身、旅をしていた4年間、図書館に非常にお世話になりました。外での寝泊まりを続けていると、駅や公園よりも図書館の軒先に紛れ込んで寝るのが一番快適なことがわかってきて。最後の2年間はほとんど、行ったまちの図書館の軒先で寝ていましたね。あ、決して図書館の軒先で寝ることを勧めているわけじゃありませんよ(笑)。でも図書館って不思議と怖い人も来ないし、安全なんです。

旅の最中、ヒッピーや旅人と思われるのが嫌で、そのまちの予備校生を装って生きていた自分にとって、図書館はありがたい場所でした。朝起きたら図書館に入り、無料のお茶を飲んで、朝刊を広げて。それだけで地元の人になった気分が味わえる。雨の日は1日中D V Dの映画を見ることもできる。地図もあるので便利です。夕方勉強しに来ている女子高生に恋をすることもあったりして。閉館時間が来るのが寂しいんですよね。みんなは帰る家があるけど、ぼくはないので、一応みんなと駅の方向に向かって歩くけれど、途中でUターンする(笑)。図書館には本当に救われましたね。

染谷 今日はここで明日はここ、というのではなく、1つの場所に長期間滞在されていたのですか。

曽我 毎日移動するのは高校時代までで、同じ街にしばらくいてから移動することが多かったですね。今から30年近く前ですから、図書館の雰囲気もだいぶ変わってしまったでしょうけれど。

かつて昭和の日本の交番には「虎箱」という施設があったそうです。酔っ払いを放っておくと見ぐるみ剥がされたりして危ないから、警察が収容していた。会社員が朝起きて「どこだ、ここは!」と焦っても、顔を洗ったり髭を剃ったりできて、そこから直接会社に行ける。いいですよね、図書館でもそういうことできないでしょうか。

廣木 「虎箱」とは違いますが、北欧の図書館には、行く当てのない移民の子どもたちが、ご飯を食べたり宿題をしたりと一日中過ごせる場所になっているところがあるそうです。

染谷 日本では住処のない人のケアは、管轄がまったく違いますが、北欧ではそれが図書館になっているというのは興味深いですね。

廣木 外国には公民館がないので、図書館がコミュニティ施設を兼ねる場合が多いようです。日本でも今、複数の機能を持たせた複合的な図書館が増えてきています。

曽我 自分も図書館はどこか安心できる場所として、頼りにしていた気がします。図書館って、心に効く側面があるというか。公民館は堅くて嫌いという人も、図書館にはどこか親しみを抱いていますよね。

染谷 みんながなんとなくいいイメージを持つ場所って、他にはあまりないかもしれません。

曽我 本だけじゃなくて、CDもありますしね。高くて手が出ないジャズや民族音楽のCDはだいたい図書館にあった。ヒソヒソ話さなくちゃいけないところ以外は、いい場所だなと思います。でもそれが秩序を保つ秘訣なのかな。世界にはうるさい図書館もあったりしませんか。

染谷 日本にもあると思いますよ。ヒソヒソしなきゃというのは、暗黙のルールみたいなものじゃないでしょうか。

曽我 月に1日でいいから、ヒソヒソしなくていい日を設けてみたら、借りる本も変わってきそうですね。少しぐらいうるさいくらいのほうが図書館に行きやすいという人もいるかもしれませんし。

染谷 書店は、立ち読みはしても基本的には本を購入するのが目的の場所ですよね。一方、図書館は選ぶ・読む・借りる・勉強するなど、利用目的が多岐にわたっている。1つの要素に傾きすぎると、他とのバランスが崩れてしまうのかもしれません。

廣木 最近のトレンドとしては、多様な人が来やすいように、うるさくていいフロアと静かにするフロアを分ける図書館も増えてきました。あるまちで図書館の来館者数を調べたら、人口のわずか十数パーセントの人しか利用していなかった。残りの9割の人に来てもらうにはどうしたらいいかを考えた結果、十数パーセントの人は無視して、9割の人にウケる方法を採用した。その方法の1つが、騒いだり走り回ったりしてもいいということだったと。

曽我 運営が難しくないのなら、いろんな日を作ってほしいですね。日によって分ければ、静かな環境が好きだった人も来られますから。

誰もが安心できる場所、ワクワクできるルールを求めて

染谷 「仕立て屋のサーカス」では、公演中もお客さんは座って見てみてもいいし、マーケットで本を立ち読みしていてもいいんですよね。観客の過ごし方の自由度を全面的に許す場にしている。

曽我 どの体勢で観るのが一番しっくり来るかは、人によって違うと思うんです。「仕立て屋のサーカス」では、席は自由に移動していいと伝えているので、ぐるぐる歩きながら観る人もいるし、最初は左側の席から観たけど、後半は右から観るという見方もできる。そういう体験を重ねるうちに、舞台鑑賞ってどこか窮屈な感じがあったけれど、あんなふうに自由に見せてくれるならアリだな、と舞台に足を運ぶ人が増えてくれるんじゃないかという期待もしています。

染谷 一つのやり方で鑑賞してねというのではなく、自由にしていいんだよ、と。そうすることで観客の気持ちを解きほぐし、他のおもしろい舞台への間口を拡げている。

曽我 公演中、つまらなくなって後ろで売っている本を立ち読みしていたら、ある瞬間、舞台の音が耳に響き、読んでいた本の内容と一体化して、「おおっ」と振り向く……というような見方もあっていい。ぼく自身が落ち着きのない子だったからかもしれませんが、通りに出れば誰もが好きな方向に歩いているし、コントロールされていない多様な音が鳴っている。舞台にもそういう要素があれば、もっと安心できるんじゃないか……そう考えてしまうんです。みんなそれぞれ違った気質を持っているのに、必死に取り繕っているだけかもしれない。せめて自分が作るものには、いろんな人が気楽に観られて、途中で帰ってもいいような状況をはめ込みたいというか。

染谷 今のお話にはすごく響くものがあります。本来はみんな無秩序な中で暮らしているのに、ある場所に入るとみんな同じ方向を向いてしまう。

曽我 図書館もまだ発展途上だと思います。永遠に模索を続けて、グニャグニャ形を変えていければいい。考古学をやっていると、今世の中に残っているものは、実はある程度吟味されて、他のものよりよかったから残っているわけでもないということがわかってきて。その時代の社会の事情や、殿様の一声で決まった可能性もある。あらゆるものは、所詮は途中経過にしか過ぎないと考え、もっといい形があるのではないかと見直すべきです。

その際、歴史を丹念に勉強していくと、過去に消えてなくなったものの中に、今の社会にぴったりなものが落ちていることもある。そういうものを拾い上げていくと、多様な人の心に効くぼやけた線がたくさん作れる気がします。
こういうこと、『したてやのサーカス』に、たくさん書いてありますので(笑)。

染谷 ああ。ドッヂボールの話、すごくよかったですよね。

曽我 ありがとうございます。小学校に入ったらドッヂボールというゲームを教えられたけど、やるうちにこのスポーツまだ完成していないな、と思ったんですよね。

染谷 ルールを改善する余地がまだある、遊び方が他にあると思えるのはすごいです。

曽我 ある日、興奮して寝られないぐらい、めちゃくちゃにゲームが白熱した日があったんです。男子も女子も体の大きさも関係なく、みんなが均等に活躍して、最後の最後まで勝負が決まらなかった。生きているのもまんざらじゃないな、と思えるくらいの強烈な体験でした。明日もあんなゲームができたらいいなと思いながら翌日学校にいくと、やっぱり力の強い男子が勝ってしまった。そこから、「ドッヂボールは今のままだと、どう考えても体の大きい強いやつが有利だよな、もっといいルールはないだろうか」と考え始めて。

ぼくがワクワクするのは、自分だけが勝ち続けるとか、おもしろさを味わえるということではなく、自分のいる場所や社会全体がワクワクできるという状態を作ることのほうなんです。

染谷 その日のドッヂボールはたまたまそうなったけど、ルールや仕組みを変えればそれが毎回再現できるかもしれないというところから、舞台の仕組みにおいても実験を続けられているということなのですね。

新時代の「働き方改革」へ

曽我 皆さん、自分が所属する会社や家族でも、試せることはいっぱいあると思います。
……もうライブはやらずに、このままトーク続けてもいいんじゃないですか?

染谷 え、ここまで準備されたのにライブをやらないと……?

曽我 昔、山口冨士夫さんというロックミュージシャンがメインゲストとして出演する沖縄でのライブに、自分のバンドが前座で出演したことがあったんです。その日の冨士夫さんはリハーサルから最高の内容で、スタッフも手を止めて興奮して見ていたほどでした。今夜はすごいことが起きるぞと思っていたら、リハーサルをバーンと終えた冨士夫さん、「いやー、今日は満足したあー」と言ってホテルに戻っていった。みんなの頭に一瞬、「あの人ひょっとして……」という不安がよぎったんですよね。

案の定、本番直前にスタッフの人が「冨士夫さんが消えた!」と叫んでいて。その後、「メインの山口さんが見つからないので少しお待ちください」とアナウンスが流れ、1時間ほどして山口さんが首根っこ掴まれ、階段を引きずられてきて。「わかったよ、やりゃいいんだろ、やりゃ! 俺はもうリハで満足したんだよ!」と言いながらステージに上がり、20分ほど演って「はい、やりました!」と言って帰っていきました。あれはよかった。

まあ、冨士夫さんほどの勇気はぼくにはないですが(笑)。

染谷 準備しているほうも気が気じゃないですね、それは(笑)。

曽我 でも実は、「仕立て屋のサーカス」にもそういう裏ルールがあります。「今日は行きたくないと思ったら来なくてもいい」とか、公演中に「自分はもうやり切った」と思ったら、その場で帰っていいとか。みんなだいたいうまくいかないから最後までいますけれど。

あるとき一度だけ、自分はもうやり切ったと思ってステージを降りたことがあったんです。楽屋で着替えて帰る準備をしていたら、どうも会場がシーンとしている。様子を見に行くと、なんだかざわついていて。ぼくの去り際が不自然すぎて、お客さんはトラブルが起きたと思っているし、メンバーはルールを忘れて「大穂がいつか戻ってくる」と思って続けていた。だからまあ、難しい問題ではあるのですが、自分はこれでいいんだ、と思ったら、やめてもいいじゃないですか。会社だって、「今日は1時間すごく集中して仕事ができたから失礼します」と退社できたらいいですよね。

廣木 昨日曽我さんと立ち話で、「労働時間を4時間にできないか」という議論をしましたよね。あのあと家に帰って、真剣に悩みました。そうしたいのは山々だけど、そうなったら結局全部ぼくのところに仕事が来るだけだなと……。それなら、「1日やり切りました、終了!」のほうがいいかなあ。

曽我 振り返ってみれば、週休2日だってある日突然始まったわけですよね。今回のコロナ禍で世界中の人が気づいたと思いますが、こんなに便利なテクノロジーが発達したのだから、週休3日、4日、あるいは午後は休みという働き方だってできるのではないか。

かつて暮らしたバルセロナでは、みんな午前中仕事したらたっぷりシエスタをとり、午後は片付けをするだけというペースで社会が回っていたんです。午前も午後もしっかり働かないと社会は回っていかないと思っていたけれど、そうじゃなかったんだと驚きました。

ぼくはコロナ禍で、空き時間ができたからこそ本を読むようになったし、家族との会話も増えました。これは世界中で起きていたことだと思います。きっとみんな本が嫌いになったのではなくて、その時間がとれなくなっていたか、心が疲れすぎていたのではないか。1日8時間も仕事に拘束されているのですから。

週休3日、4日が難しければ、本を読んでいる時間も勤務時間とみなすシステムはどうでしょうか。8時間の勤務時間中、2時間読書していいとなれば、その経験は会社にも長期的に還元されるはずです。

こういうことを染谷さんや廣木さんの会社で始めてくれると、多方面で社会がごそっと変わるのではないかと思うんです。そのうちお2人が政府の「週休3日検討委員会」の座長になって、働き方改革の先頭を走っているかもしれない(笑)。本に携わる人がそういうことを言い出すのって、嫌じゃない感じがありますから。国全体の雰囲気までも変わりそうな、みんなの生活の根元に効くことなので、ぜひお願いしたいです!

染谷 笑。では、これから「読書のための音楽会」に移りたいと思いますが、そもそも読書をするための音楽、ってどうですか。

曽我 自分は本を読むとき音楽をかけたりはしないのですが、頑張ってみます。読書の邪魔も少ししようかと思っています。

染谷 曽我さんの音楽が心に刺さる読書体験になるかもしれませんね。実験的な試みなので、気軽な気持ちでお願いできたらと思います。皆さんも、ぜひ本を1冊お手元において、楽しんでみてください。

2021年11月30日収録