見出し画像

チャレンジする機会がほしかった(ネパールルーツNさん)

こんにちは!カタリバRootsのジェイミーです。
今回初めてnoteへの投稿を行うのでやや緊張気味です…!

カタリバRootsプロジェクト(外国ルーツの高校生支援)の進路体験記シリーズ(2022年版)では、多様性あふれる卒業生たちの歩みと、彼らが自分のことばで語る成長と学びを、インタビュー形式*でご紹介しています。
*2023年4月時点(インタビューは2022年6月実施)の情報です。

🌸 これまでの進路体験記シリーズの投稿はこちら 

#1 自分のなりたい姿は、自分で決める(ネパールルーツSさん)

#2 学びを通してつながった人たちと、今度はいっしょに社会を良くしていきたい(インドルーツDさん)

#3 会話ができると、心のドアが開く感じがする(中国ルーツJさん)

#4 自分の物語を面白くするのは自分(フィリピンルーツJさん)

#5 できるできないは、やってからわかる(中国ルーツSさん)

#6 進路選びは、「自分がどう生きたいか」を考えること(ネパールルーツPさん)

投稿#7は、ネパールルーツのNさんのストーリーです。
慣れない、何が起こっているか分からない環境でやっとチャレンジしようと思ったら、外国ルーツだから、という理由で「あなたには難しいんじゃない?」と言われてしまう。
その悔しさ、そして自分の子供の頃からのモヤモヤに向き合い、夢に向かって周りを巻き込みながら行動を止めないNさんのエネルギーに元気をもらえます。

Nさんのプロフィール

ネパール・バグルン出身。

3さいのときに父が、6さいのときに母が日本へ来日したため母方の祖父母に育てられる。Nさん自身は12さいのときに来日し、11月に中1(公立学校)に転入した。

中学校の卒業までにはひらがな・カタカナを学んで、リスニングだけはできたが自発的には話せなかった。はじめは質問されたら何かしら答えていたが、間違いをからかわれたりしたので、途中から話さなくなり周りの人が言ったことをこっそり書き留めてあとで調べていた。また、図書館で英訳付きの本を読んだり、街中で見かけた漢字もその都度調べたりと積極的に日本語を学んだ。そのおかげか高校に入るころには、自分で聞き取りができるようになっていたそうだ。

高校2年生
同じネパール出身の女子のグループといっしょに行動することが多かったが、先生とはよく話しており、授業にも真面目に取り組んでいた。先生やカタリバのスタッフの働きかけがあれば、授業内でリーダー的な役割を果たしたり、意見を言うこともできていた。

高校3年生
冬まで進路決定に専念し、確定後は、授業内でも発言が増えたり、高校生活を振り返った卒業文集を日本語で自分の力だけで書き上げるなど(母国語で書いてから翻訳したり、言語ヘルプを使う選択肢もあった)、自信がつき行動の自発性・積極性が増した様子だった。

卒業後は、明海大学ホスピタリティツーリズム学部・ホスピタリティツーリズム学科で、既存の観光産業や人どうしのつながりを、ITの知見によって活性化するという夢に向かって、学んでいる。

念願の大学生生活

カタリバ:
Nさん!大学に入学して少し経つけど、最近はどうしてる?

Nさん:
大学生になって嬉しい!漢字が多い勉強やレポートは大変だけどがんばっています。2週間毎に奨学金のミーティングがあります。*居場所になってるという意味?*コミュニティとして良いと思います。自分の状況やチャレンジを共有して、フィードバックをもらえる。他の人と助け合えるので、成長できます。

あと、高校の友達が恋しいです。グループでは自分がいちばん年下だったので、他の生徒が色々ケアしてくれたし、気を使わなくてもなんでも話してよかったです。いつも私がどうしているか聞いてくれて、気にかけてくれました。それが懐かしいですけど、まだ連絡を取り合っていて、困ったことなども相談し合います。

カタリバ:
Nさんはどうやってカタリバとつながったんだっけ?

Nさん:
カタリバと会ったときは、私は学校では、親しい友達と担任の先生だけと話していて、他の人に自分から話しかけにいかなかったです。

(出張授業にて)カタリバのスタッフさんからカジュアルに「元気?」みたいな感じで話しかけてもらって、自然に会話をはじめました。私は慣れるとたくさん話すのですが、最初に人に話しかけるのがあまり得意じゃないです。なので、最初に話しかけてもらえてからは、自然にどんどん慣れていきました。だんだんいろんなメンターと話すようになって、たくさん質問をしてもらって、たくさん自分のことについて考えるようになりました。

いちばん楽しかったのは、カタリバが行った授業で、ゲームをしたことです。いつも授業でしないことなので、新しいと感じました。

カタリバ:
カタリバと活動するにあたって心配事とかあった?

Nさん:
たくさんありました。私は、はじめての場所に行ったり、人といるのは緊張してしまいます。あと、当時は自分にすごく自信がなくて、何もできないと思っていました。カタリバの人と話しながら、少しずつ考えが変わっていきました。試してみたらできると思いはじめました。

カタリバ:
どういうふうに考えが変わっていったか教えてもらえるかな?

Nさん:
自分のことをたくさん話したときに、メンターが受け入れて、元気づけてくれました。ちがうメンターと話しても、だれもがポジティブな反応をして、きっとできると言ってくれた。ビザのことや進路のことなども、なんでも話していいよと言われて、安心しました。そうやって、できないかもしれないけど、試してみたいことがある・できたらどうかな?やってみよう、と思うようになりました。チャレンジの気持ちはそこからきたと思います。

教室にいても周りで何が起きているのか分からない


カタリバ:

自分に自信がなかったって言ってたけど、それはどうして?

Nさん:
残念ながら、日本にきたときに自信がすごくなくなってしまいました。私はネパールでは、オープンに意見を言えるし、友達にアドバイスを聞かれるような人だった。慣れた環境だったのと、自分が使える言語(英語)で勉強していたことで、特に学校などで問題にぶつかることはありませんでした。

ずっと、「英語は世界の共通言語」と教わって、それを信じてきたけど、日本に来たら、それは違ったことがわかりました(笑)。周りで何が起こっているか全然わからないということが続いて、どんどん自信がなくなって、誰とも話さなくなってしまいました。来たばかりの頃、日本の中学では、話したらからかわれたり、笑われました。間違ったことを言ったかな?と思ったけど、でも、だれもどこが間違っていたか教えてくれなかったです。

でも、今日本語ができるようになったことは、自分で学んだ結果ということができます。できなかったことに対しては、自分ひとりでがんばった。それを続けて、今は少し自信が戻ってきたと思います。今は、なにか間違えてもたくさんの人に教えてもらえる環境があるし、大学で友達もたくさんいるので安心します。

カタリバ:
なるほど、Nさんは友達に間違いを教えてもらえると、安心するんだね。

慣れない環境によって失っていた自信、ある先生との出会いで変化し始めた


Nさん:

はい。間違いをすると、恥ずかしいとも思うけど、高校では「間違えてもいいよ」と言ってくれた先生が1人いて、中学校のときよりも話せるようになりました。なので、カタリバと出会ったタイミングでも、その先生とは話せていたんです。間違えても、ゆっくりでも理解しようとしてくれて、先生も英語を使いながら話してくれました。

カタリバ:
そうだったんだ!実は、全く同じことを言った生徒がいました。別の学校の子だけど、自分の日本語は変わらなくても、特定の先生には通じやすかったり、話しやすかったりするって。

Nさん:
はい。やっぱり、聞いてくれる人の姿勢で、私は少なくとも気持ち的には、だいぶ話しやすくなりました。

でも、1つ覚えているのが、高校2年生のときに学校で授業を選択するときに、取りたかった授業について「あなたには無理だよ、難しすぎる」と別の先生に言われたことがあったんです。日本人の生徒がむずかしい英語のクラスを取ろうとしたら、がんばっているね・やる気があるねと言われるのに、私や他の外国人の生徒のときは、がんばろうとしていることも認めてもらえない。たしかに苦労したり、できないかもしれないけれど、私はがんばりたかったので怒りました。怒ると、さらに日本語が支離滅裂になっちゃうんですけど(笑)

そのときは「簡単なクラスを取るくらいなら、家で自分で勉強できる」と思いました。チャレンジする機会がほしかったのに、それを否定されてしまったことに腹が立ちました。平等じゃないと思いました。
私は、1年生のときは、優等生というか、トラブルを起こさない生徒だったんですけど、2年生になったら反抗的と思われていたかもしれないです。自分の意見を言うようになったので。

ちなみに、進学したいと言ったときもそうでした。大学は難しすぎる、専門学校にしておいて、そのあとに大学に行きなさいと言われました。でも、私は大学にチャレンジしてみて、無理だったら他の道を考えると言いました。人生に簡単なことなんてないと思うんです。私にとっては、いろんなことがむずかしい。日本語で勉強することは、毎日むずかしい。でも、あきらめずに続けます。

カタリバ:
なるほど…Nさんは、自信がなかったけど、そんなふうに自分の意見や進みたい道をはっきりと持つことができたんだね!それは、どうしてかな?

Nさん:
多分、悔しい気持ちやフラストレーションが、背中を押してくれたんだと思います(笑)私はあまり怒らないけど、不平等と思ったことには腹が立ちます。
そもそも、1度、2度ならいいけど、何度も、いろんな人に「あなたはできない」と言われたのがこたえていました。実際にできないこともあって、自分にがっかりもしたので、自信がなくなっていったのだと思います。

ネパールでも、子ども時代に転校生として9ヶ月くらいいじめられたことがあって、それを思い出しました。そのときは、自分は悪くないしまちがったことをしているのは相手だ、と確信をもって、相手に伝えていじめが止んだことがありました。それを通して強くなったと思います。そのときに、自分がどう扱われたいかは自分が伝えないといけないと思いました。そのときは、親は日本にいるし、育ててくれている祖父母を心配させたくなくて、ひとりで解決しようとしたけど、結局またすぐ転校することになったし、結果的に解決することができました。

幼い頃から感じてきた不平等へのフラストレーションから思い描いた夢と覚悟


カタリバ:

小さい頃のNさんの話をもう少し聞かせてください!

Nさん:
両親は、「親といっしょに子供時代を過ごせなかった。ごめんね」と言い、よく謝ってくる。小さいときから大人びていて、甘えなかったらしい。今は、そのおかげで自立したし、今の自分がいると思っている。

小さいころは、お花や森での散歩が好きだった。勉強は好きじゃなかったけど、「学ぶ」ことは好きだった。この考えはどこから来たかわからない。いつも「他の子供と違う考え方をするね」と言われてきたので、小さいときからそう。人が言うことはあまり気にせず、正しいと思ったことは貫く性格だった。

ネパールの学校では、テストの点が重視されていた。私ほど英語が話せなくても、テストの点は高い生徒が評価されることはたくさんある。Practical things(*実用的なこと)はあまり評価されない。私は、成績の上では普通。80点以上は取りたくていつも取れていたけど、1位・2位の生徒は常に暗記をがんばっていてストレスを感じていたように見えた。自分は、いい成績をとっても何も学ばないなら意味がないと思っていて、自分が将来何をしたいかいつも考えていた。

自分には夢がずっとあった。
ネパールでは、女の子は結婚して家庭に入ったり、簡単な仕事をするのが普通とされていた。

自分はそれにあまり共感できなくて、家庭に入っても自分のことはしたい、他の人のためにすべてを犠牲にすることは嫌だと思っていた。
結婚したくないわけでも、家のことをすることが悪いとは思わないが、自分の興味やプロジェクトなども持ちたい。

それが何なのか探したかった。そのために大学に入りたい。

ネパールでは、「主婦」は立場が低い。
今は家のこともして働きもするという生き方があるけど、私の子供時代は、家では1人の人がお金を稼いで、その人が一番偉くて、それは男性でした。

女性は家を出れないし、世間知らずとして扱われるし、
感謝されず他の人の言うことを聞く。
朝から晩まで、周りのみんなのためにやることはとてもたくさんあるのに、何もやっていないとして評価される。それは不平等だと思います!
...やっぱり、私は不平等に対してフラストレーションを感じるみたいです(笑)

とにかく、私はこれを小さい頃から見ていて、いやだなと思っていました。勉強は好きじゃないけど、したいことを見つけるために、勉強することには納得がいっていました。
自分ができること、やりたいことを実現する選択肢をもつために、ずっと頑張ってきました。


自分で切り開いていく道


カタリバ:

今、その途中の道にいると思いますか?

Nさん:
いると思います。今はITの分野に興味があって、将来のキャリアをそこからスタートしようかなと思っています。ネパールにいたときに少し、インターネットの歴史などを授業でならい、それ以降興味があったけど学ぶ機会がありませんでした。今、ようやく学ぶチャンスがきたと思っています。

カタリバ:
ITに興味をもったプロセスについてもう少し教えてください!

Nさん:
親しいグループの友だちの励ましが大きかったです。みんな、パソコンなどで困ると私に聞いて、よくできるね、あなたなら仕事にもできるかもね、トライしてみたら?と言ってくれるんです。

それを覚えていて、自分ができることややりたいことを考えるときにヒントにしました。彼らのコメントについて考えていたら、自分がネパールで少し学んだときにも興味があったこと、いつかやりたいと思っていたことを思い出しました。それで、チャレンジしてみたいと思いました。

ネパールにはたくさんITを学べる学校がなく、当時やりたいと思っていたけどできないと思っていたんです。また、親もITのことをあまり知らず、学んでも仕事がないんじゃないか?母国に帰国した場合はどうする?難しそうだが勉強できるのか?などと不安に思っていました。なので、父にキャリアのことを説明して、なぜ自分にとっていい選択肢なのか伝えてわかってもらうことが難しかったです。父は、自分の経験に基づいたキャリアしか想像できなかったので… 「お父さんは、自分の information box(*情報の箱/常識・考え方などを表す)にとらわれている」と言ってしまいました(笑)。私も頑固でしたね。でも、父がやってほしいと思っていた、トラディショナルなホテルマネジメントやビジネスの分野を学んでも、仕事にリスクはあることや、自分はそれも承知でITの要素が入った学びが面白くやってみたい、頑張ろうと思っていることを説明したら、そんなに本気なら応援すると言ってくれました。母はもともと私がやりたいことを応援してくれたので、家族のサポートが得られたことを先生に言いにいったら、S先生が「Nさんなら大丈夫。高校と同じようにやれば、できる」と言ってくれてさらに勇気がわきました。そのあとにカタリバに伝えて、もちろん応援してもらえました。そうして、みんなの応援をもらって「あとは私ががんばるだけだ」と、覚悟が決まりました。

カタリバ:
すごい道のりでしたね… 特に、最初に反対していたお父さんを説得しにいった時点で、なぜそれがNさんにとって正しい選択肢なのか、自信をもって説明できる必要があったから、たくさん考えて調べて、準備をしましたよね。強かったね。

Nさん:
はい。父は普段からとても説得するのが難しい人で、1度なにかを決めたら意見を変えません。世代が違うので、マインドセットが違うと思います。

でも、最終的に、今回は私の人生のことだったので、少し考える時間をとってもらったら、理解してくれました。私が、やると言ったらやる性格なのも父は知っていたので。とても大切な選択肢だと思っていたので、がんばって実際に進学することができましたし、今は両親は私がしたいと言ってくれたことを前よりも信じて応援してくれます。「あなたができると思うなら、そうなんでしょう。やってみなさい」と。

心に残っていた祖母のことばの意味


カタリバ:

Nさんが高校でいちばん学んだと思うことはなんですか?

Nさん:
自分のことをたくさん学びました。自分の強さや、弱さ。前は、自分の弱さばかり知っていたけど、友だちや信じてくれた先生の視点を通して、自分の強さも知りました。そして、チャレンジするということの大切さについても学びました。やってみないと、自分の実力はわからない。できなくても、そこから学んでまた試せばいつかできるということ。間違ってもいいけど、なぜ間違えたか学ぶということが大切です。

小さいころ、こういうことを祖母から聞いたことを思い出します。当時は、あまり祖母が言う意味がわからなかったけど、自分でチャレンジをしてみてわかりました。彼女のシンプルなことばが、何年もかかって私にcatch up(*追いつく、理解する)しました。

カタリバ:
素敵なおばあちゃんですね。彼女はまだネパールにいるの?

Nさん:
そうです。彼女はあまり移動が好きじゃなくて、今も育った村にいます。日本にはきたことがありません。

カタリバ:
さっき、お父さんとは違う世代なので分かり合えないことがあったと言ったけど、おばあちゃんの場合は、日本にきたこともなく、経験が全く違う彼女のことばがNさんに刺さったんだね。

Nさん:
そうですね。でも、彼女はむしろ私よりもたくさん苦労をしました。そこから学んだことを私に伝えてくれたんだと思います。親の世代もそうだと思っていて、私も大変なときもあるけど、やっぱり相当恵まれていると感じます。私の家族は、サポートしてくれるし、生活をさせてくれるし、何かをやりなさいと言われたことは、ちゃんと学びなさい、自分を大切にしなさいということだけ。なので、将来はすてきな人生を築いて、家族にやりきったよと言える自分になりたいです。

カタリバ
なるほど… それを踏まえて、Nさんは将来どんな人になりたいですか?少し、もう話してくれたこともあるけど…

Nさん:
私は、行動を止めない人になりたいです。自分の天井を決めたり、何かをしないで後悔することがない人生を送りたいです。間違いは、そこから学べることだからいいけど、後悔は嫌です!

今、その姿に近づいていると思います。学びたかったことを学べているし。あと、人を助けられる人にいつもなりたかったので、今なり始めていると思います。

カタリバ:
今、このインタビューを通してもとても助けてくれているよ!Nさんのような生徒の経験や考えることを知れるのはとてもいいことです。もう少しくわしく聞かせてもらえますか?

Nさん:
はい。人を助けられる人というのは、そんなに重大なことじゃないと思います。大きなことをする人に限らず、いつもその意識をもっていれば機会はたくさんある。今は、同じ高校のPさん(ネパールルーツの3年生)を助けています(笑)

カタリバ:
Pさん、知ってます!どんなことをしてくれてるの?

Nさん:
Pさんが進路で悩んでいるので、自分の経験を話したりしています。仲の良いと違う進路を選ぶことなどについて不安があって、それについて私の意見を話しています。先生や親など、いろんな人から、進学できる・できないと言われて混乱もしていて、まさに私が経験したことなので、人の意見は色々あるけど、最終的に行動するのは自分だからあなたが決めることが大切だし、その道で他の友だちなどと別れても、他の仲間はできるから自分のことを一番に考えるといい、と自分の考えを伝えました。

カタリバ:
それは強力なサポートだ…!Pさんと話してくれてありがとう。

Nさん:
Pさんは、カタリバともつながっていると言っていたので、私もたくさん相談するように伝えました!私が言ったことも、カタリバからたくさん学んだことの一部だし。自分も力になるし、彼ら(カタリバ)はとても助けになってくれるから、活用してねと言いました。私もとても助けられたので… 

ちなみにPさんは最近、オープンキャンパスに行ったらしいですよ。どこが気に入ったかなども聞いておきました。

カタリバ:
ありがとう!Nさんが私たちといっしょにやったことを、Pさんにやっていて面白いです(笑)でも、こうやって、サポートのサイクルができているのを聞いて、とても嬉しいな。カタリバのスタッフになって欲しいくらいです。

Nさん:
いつでも助けになりますよ。今年はPさんで来年はSMさんとSJさん(ネパールルーツの2年生)と話すかな(笑)

カタリバ:
無理せず、でもぜひよろしくお願いします、先輩!
インタビューを受けてくれてありがとうございました!

〜編集後記〜
同じ学生としてNさんの「みんなの応援をもらってあとは私ががんばるだけ」という言葉が印象に残りました。大学に入学するというタイミングでNさんのようにここまで将来に対して意思と決意が固い人はなかなかいないのではないでしょうか。Nさんの不屈の精神、自分の意思を貫くというかっこいい姿に感銘を受けました!

また、不平等へのフラストレーションで怒るという簡単なことのようで難しいことを実行する姿も見習いたいものです。自分ができるかどうかは自分で実行してから決める!そのようなマインドで私も夢に向かってもっと頑張ろう、そう思わせてくれるお話でした。

◾️カタリバとの伴走内容(週1・60分)
・進路伴走(高3年)8月〜12月
本人のキャリア観や興味関心・希望する学びの環境など、学校での進路指導を元に、情報整理や自己分析のサポートを行いました。志望校の決定後は、志望校への出願書類の準備と面接練習を、学校と連携して行いました。JASSOの奨学金を申請できない在留資格のため、「家族滞在」の在留資格でも受けることができる奨学金の情報提供と申請のサポートも実施しました。
・進学コミュニティ・社会人との対話の機会(高4年)
様々なバックグラウンドをもつ同級生や大人との対話の機会に参加。自分の移住の経験や多文化共生についての考えの言語化、ロールモデルとの出会いをとおして、周囲との学び合いの経験をかさねました。