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繋がりたい、繋げたい人に捧ぐ

今回は、最近なんとなく色々な状況をみているなかで、モヤっとしたというか、違和感を抱いたということがあり、それに対する現時点での自分の考えを整理したいなってことで、書くことにした。

キーワードを挙げるとすれば「人と人との繋がり」「人と人を繋げる」の2つあたりかな。

こういう感じ、僕も好きだし、大切だと思っている。
ただ、僕の違和感の源泉は、これらの言葉を多用すること、振りかざしすぎること。
そこに対してちょっとした違和感を抱いている。

たしかに繋がりも大事だし、繋げることは大切(繋いでもらったことに対するありがたさって意味で)だと思う。
繋がりも、繋げることも、AとBが繋がるという意味では第三者の目線。
そう考えると、繋げる行為も繋がった結果も、究極的には第三者の自己満足的な価値基準という見方もできる。
そう考えると、語るべきは、その際の当事者間であるAやBの感覚。
そこを表現すべきだと思う。

そもそも、繋がりが大事だっていうから、繋ぎたいとかいう人が出てくる。
けど、実際はそういうことじゃないのでは。
確かに第三者から見れば繋がりかもしれないけど、当事者からしたどうだろう?ってこと。単なる自己満足じゃね?ってこと。
だから、AやBからすれば、繋げられて迷惑な場合もあると思う。
繋げたいとか繋がりたいとか言う前に、そこを理解する必要があると思う。

で、ハッキリとは言えないけど、僕が意識してるこの感じを紹介すれば、なんとなくニュアンスは理解していただけるのではないかと思う。

例えば、なんにゃら交流会的な立食パーティーの場面でどうするか。
繋がり信者は名刺配りまくる気がする。繋げたい信者はひたすら誰かと誰かを引き合わせるだろう。
けど、僕はその感じがすごく苦手だ。
ちょっとした人見知りもあるけど、それは置いといて、そういうことに対して、なんか虚しいと感じるから。
もちろん、何かの明確な目的があって、そのために必死に色々やるっていうのは当然アリだと思うけど、なんとなく繋がることや繋げることを目的にしてるのは、なんか違うと思ってる・
名刺を配ったところで、覚えてもらえるわけではないし、ただの社交辞令的な上辺だけのやり取りに過ぎないし、結果、つぎに何もつながらないと思っているから。
それよりも、たった一人の相手であっても、いかにしてインパクトを残すかってことほうが大事だと思っている。

だから、僕はこうしている。
この方って思った人にとにかく張り付く。最後まで。
そして、ひたすら横で話を聴く。そして、タイミングをみてこちらも適度に話しかけてみる。で、共通の何かが見つかったタイミングで、テンションあげて一気につめよるというか、距離を狭める。そうしないまでも、とにかくずっと一緒にいる。
そんな感じ。

ちょっと???って思った人もいるかもしれないけど考えて欲しい。
2時間です100人に名刺配るより、これだっていう1人の相手と2時間話したほうがよっぽど効果的ではないかと。
繋がりっていう文脈では、その方が絶対いい。
ファンベース理論的にいうとその1人をハブとして、ぐわっとひろがるので。

という感じ。
色々と、とっ散らかったかもしれないけど、まとめるとこんな感じ。

繋げたい人や繋がりをよしとする人。
そもそも、その言葉を使う時点で第三者感がある。
だから、あなたが人と人とを繋げることや、人と人との繋がりをあなたが評価するような表現は避けたいところ。そのうえで、誰かから、あの人に繋げて欲しいと言われるような存在になるほうがいいと思う。それが何を意味しているのか?
そこに、人と人との繋がりの真髄があるんだと思う。

ということで、今回も最後まで読んでくださり、ありがとうございました!

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