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オチをつけるのが難しい

  ある程度まとまった期間創作活動を続けている人ならわかってくれると思うのだが、作品を作るたびに最後にオチをつけることに苦労する。次への抱負、こなれたシャレなどを毎回毎回考えつくわけでもないし、本当は伝えたいことを伝えられたらオチなどは結構どうでもいいのである。



  この問題の対処法をいくつか考えてみたのだが、そのうち一つに決めゼリフを作ってしまうという案を思い付いた。言いたいことを伝えた後に決めゼリフを放てばそこで作品にピリオドを打つことができる、そういう何かを自分で決めてしまうのである。手紙の最後に述べる「敬具」などはこの最たる例だろう。決めゼリフとしてオリジナリティのある文言を挟めば自分の作品の味わいを深めることにも役立つだろうし、一石二鳥の効果が得られるはずだ。



  逆に言いたいことを伝えてしまったらあまりまとまっていなくても、そこで作品を終わりにしてしまうという方法も考えられる。いいオチというのは作品に深い余韻を与えてくれるが、それはよく分からないオチをつけてしまうと、見ている人を混乱させてしまうということでもある。この場合いいオチが思いつかないなら、思い切って投げっぱなしにしてしまうのも一つの方法ではなかろうか。



  そうでなければ日頃からオチとして使えそうなエピソードや言葉を地道に集めておく、という方法を取るしかないかもしれない。創作に脳を支配された人間は日常の中でも血眼になってネタ探しをするものなので、一部の廃人にとってはこの方法もなくはないだろう。とはいえわたしなどからするとこの方法は大変そうだし、できれば敬遠したい。ただでさえ普段から友人知人を散々ネタにしているのである、これ以上日常を切り売りするのは自分でもいかがなものかと思ってしまう。



  「それでも人生は続く」というのはわたしが以前この記事で書いたブロガーさんがよく述べていたことばである。

作品が終わっても私たちという存在はあり続けるのだ。だから、作品にオチをつけて私たちと物語の出会いというものにピリオドを打つ、ということを強く意識しなくてもいいのかもしれない。とはいえ雑記ではなくきちんとした物語を作っている人は、わたしなどよりよっぽどこの問題に悩まされているだろう。オチを考えるというのはやはり大変なことのである。


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