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ビャクラン

 砂を撒くような音がする。トンネルの曲面にぶつかり歪んで響く。外では雨が降っている。ショーは壁にもたれていた身体を剥がす。
 夜の雨は幽霊が最も好きな天気だ。ショーは経験から知っていた。幽霊は人間と違って雨に濡れない。だから純粋に雨を愛でられる。今日現れる奴もきっとそうなのだろう。
 ……耳鳴りがした。電灯が明滅する。前方から橙色の細波がショーを通りすぎる。
 ショーは家着のままだった。黒のパーカーにグレーのスウェットパンツを身につけている。だが、靴はおろしたてのニューバランスの996を履いていた。ショーのこだわりだった。死んだ時に、まともな靴でなければ地獄まで歩けない気がした。
 再び電灯が明滅する。先ほどよりも激しい。ショーはポケットからワイヤレスイヤホンを取り出す。装着してから、右側のイヤホンの縁を3回撫でる。「アンビエント」と機械音声が発した。こもった聴覚をホワイトノイズが満たす。イヤホンの外音取込み機能は、音楽を聴きながら環境音も聞き取りやすくする。だが、ある調整をすれば異界の音を聴き取り、霊を狩る道具となる。
 ホワイトノイズは雨に似た音だが、低音が削られており、聴き心地は軽い。ノイズに異音が混じった。
 ば……ば……
 溺れているような声とともに目の前の電灯が火花をあげた。
 ショーは目を瞑り聴覚に集中する。幽霊に会った時にまず行うのはスケッチだ。異界の音が示す特徴を脳裏に描き出す。念入りに、かつ手早くなければならない。声の響きから身長を160センチと割り出す。ショーの頭上の電灯が割れた。一歩前進する。破片が床で細かく砕ける。霊に怯えを見せてはならない。風の音、地面の反響音がショーに手がかりを与えた。脳裏に描いたスケッチがくっきりと輪郭を象る。
 ひゅ……
 ショーが右に飛ぶ。彼のいた場所に亀裂が走る。コンクリートが音を立てて砕ける。姿は見えないが、ショーの脳内には髪の長い女が出力されていた。女は顔をこちらに向け、飛びかかる。伸びきった爪を振り回している。どれも床を抉るほどの力だ。当たれば死ぬ。ショーは左脚を大きく退げ、股をすり抜けた。女の後頭部に三度打撃を打ち込む。
 聴覚を頼りにしていると、速くて細かい動きは把握しづらい。その場合は、相手に付き合わずに背中に回り込むのが鉄則だった。
 女の首が180度回り、こちらを向いた。顔を覆う髪が風で捲れた。鼻や口の輪郭がある場所に、目の輪郭が描かれる。女の顔には眼が縦に五つ並んでいた。ショーは腰を捻り、右拳をぶつける。首が90度余計に曲がった。
 し……し……
 たたらを踏みながら女は笑っていた。後ろ向きの身体を回転させ、裏拳を放った。ショーが身を屈める。頭上数センチ上を爪が走る。続いて爪が宙を裂く。主導権はすでに女に移り始めていた。このまま連撃を避けられはしない。頬を一撃が掠める。一筋の血の線は瞬く間に太くなった。
 女が爪をかち上げる。足先から頭まで真っ二つになる寸前、ショーの姿が消えた。女の動きが一瞬止まる。ショーは目の前にいた。ギリギリまで攻撃を引き寄せ、数ミリだけ後ろに移動していた。
 がら空きになった顔面に右拳を振るう。破裂音の後に、女の眼がひとつ潰れる。左拳を当てる。右左右。流れるような連撃は女の顔面に吸い込まれていく。破裂音とともに眼が破壊される。
 女が膝から崩れ落ちたときには、身体の輪郭が薄れていた。急所を撃てば活動が止まるのは人間の頃から変わらない。ショーは項垂れる女の首に手刀を落とす。崩れかけた身体はホワイトノイズの海に消え去った。

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