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クレンザー KILL!!KILL!!KILL!!【ハンマチェットガール】

 座布団のような大きさのフォカッチャに、拳大のアイスがふたつ乗っている。カナエはフォークをぶっ刺し、大口を開けて頬張った。
「んま!」
 もぐもぐと咀嚼しながら、水に手をつけかけ、結局酎ハイに手を伸ばした。好きなものを好きなだけ摂る。そういう食べ方だった。
「すごいな」
 俺の感嘆にカナエが不明瞭な言葉で返す。
 カナエのテーブルにはパスタ2皿、食べ終わったアヒージョ皿にバゲット3個が積んである。酎ハイは5缶空いており、新しくワインを頼んでいた。
 一体、俺より細い身体のどこに吸い込まれていくのか。
「どうなってんだろうな」
「んー」
 隣に座るブレインジャッカーは上の空な返事をした。パスタは冷め切っていた。フォークで熱心にオリーブの中をこじ開けようとしていた。
 黒い実の内側をぐりぐりとフォークの端の角でほじっている。
 もしかして俺の中もこうやってたのか。嫌な想像を振り払い、カナエに向き直る。バゲットが半分もない。
「食べ過ぎだ。死ぬかも」
「あははっ」
 カナエは笑って吐いた空気を吸い込むようにワインを傾ける。
「後悔するよりはね。そっちは断食中?」
 俺はドリアを頼んだものの、一口半で満腹になってしまった。
「生きるには十分だろう」
「省エネだね」
「残りいるか?」
「いらない」
「腹が減ってるんじゃないのか」
「あたしはあたしの好きなものしか食べない」
 カナエが真っ直ぐ俺を見た。
「そうか」
「それに、いつ死ぬかわからないし」
 カナエの言葉に満腹な胃が石で満たされた。息がつまりそうになり、水を飲み下した。
「さっきの話で、クレンザーってのは本当にその、率が.....」
「ええ、死亡率70%」
「言わなくていい」
 思った以上に声を張り上げてしまった。
 隣の卓から舌打ちが聞こえる。見るからにガラの悪い男たちが六人卓を占領していた。机の下には鞄が積まれ、旅行帰りのようだ。
「でも薄々気づいてたでしょ」
 カナエはまたパスタを平らげる。右脳がじりじりと熱を持つ。マンションでの戦闘を思い出す。まるで生きた心地がしない。死を覚悟したポイントは10を超えていた。
「君も紳士もこんなマネをずっと?」
「そ。でもあの変態はもっとヤバい。はじめの戦争の前からクレンザーだからね。歴が違う」
「禍舞姫かぶきが歌舞伎だった時からか」
「うん」
 今よりも街が狭かった頃の話だ。ざっと数えて10年は超えている。
「そんなベテランを俺たちが?」
「そうみたい」
「上手くいきすぎだ」
 死線をくぐり抜け続けた猛者が、俺たちにあっさり殺されるのは腑に落ちない。
「だよね」
 カナエが口角を上げ、ブレインジャッカーを見た。
「だから連れてきた。紳士はマジで強かった。コイツが何かしたんじゃないかな」
「おい、どうなんだ」
「うーん」
 ブレインジャッカーはオリーブの解体に夢中のようだ。
「黙ってるなら組合に突き出すよ」
「うーん」
「なに?」
「あー!」
 手元のオリーブが潰れた。ブレインジャッカーが残念そうな声を出した。
 また舌打ちが聞こえた。さっきよりも大きい。隣卓の一人、オールバックの男が睨みつけてきている。
 俺は会釈してブレインジャッカーの説得を試みる。何をしても手元のオリーブ以上に興味をひけなかった。
「参ったな」
 カナエは頬杖をついている。
「飽きちゃった」
「早すぎる」
「店変えない?」
「待てよ。もう少し……」
「死亡率70%」
 俺はテーブルに足をぶつけてしまう。水が盛大にこぼれ、皿が大きな音をたてる。隣卓は怖くて見られなかった。
 カナエは頬杖のままにやにやしている。酔いが回り、俺を揶揄うフェーズに入ったらしい。
「事実は変わらないのに」
「口に出すと本当になるんだぞ」
「スピの話? あたしの友達にもいたよ」
「マインドセットの話だ。口に出すと事実になる。例えば、モハメドアリは試合前に『俺は最強だ』と言って──」
 話はそこで終わった。
 カナエの視線が俺に向いてないのに気づいた。たしかにモハメドアリは興味を引かないだろうと思ったが、違った。
 視線は気持ち上で、俺を通り越して遠くを見ている。
 振り返ると、入口近くでテーブルの上に立つ女がいた。
 綿飴じみた女だった。兎耳のついたもこもこフードから、パステルブルーとピンクの髪が垣間見える。手には金槌と大振りの山刀が握られていた。
 山刀にはリボンが巻かれているようだ。得物に焦点を合わせようとすると女は消えていた。
「伏せて!」
 カナエが叫ぶのと同時に銃声が鳴り響く。アンティーク照明が砕け散った。
 ぎゃん、と耳障りな金属音が響く。
 女は一飛びでカナエの席に到達していた。壁に右足をかけ、クロスさせた山刀と金槌でカナエに襲いかかっている。カナエは山刀の間にショットガンの銃身をねじ込んで防いでいた。
羅々々木らららぎッ……!」
「やっと真っ平らにできるねぇ」
 羅々々木、と呼ばれた女はさらに体を押し込み、カナエを切り刻もうとしていた。山刀が擦れ、手首に血が滲む。
「痛い?」
「ぐっ……」
「上司殺ったクレンザーなんて生きられるのかなぁ。私はあんたみたいな整いさんが真ッ平らになればっ、それでいいんだけどねぇ!」
「相変わらずいかれてんね……」
「ほら、ほらっ、ほらぁ……!」
 山刀で押さえ込みながら、羅々々木がハンマーを振り下ろす。
 カナエが首をずらす。鈍い音がして壁に穴が開いた。
「アタシだって二重と矯正くらいやってんだよッ!」
「それで済んでると思ってるのがもう傲慢なんだよぉ!」
 ハンマーがさらに速度を増す。俺はベルトに挟んだ銃を引き出す。引鉄を引くが、女は止まらない。
 狂った暴走機関車じみてハンマーが振り下ろされる。
 致命の一撃の連続。カナエはショットガンの銃身で僅かにハンマーの軌道をずらす。火花ががちんと散った。
 火花は俺の脳裏に、なかった記憶をスパークさせる。何度も女が襲ってくる光景がよぎった。カナエの記憶だ。
「お前、羅々々木らららぎ裏莉うらりか」
 記憶を辿った俺の言葉に一瞬、女の動きが止まる。カマキリが首だけ動かすように、ぐるんっと俺に向いた。
「土壁。誰の名を呼んでいる」
 笑顔だった表情がゼロになっていた。
 こちらに来る。俺が身構えると、羅々々木の身体が吹っ飛んだ。
 カナエの厚底パンプスが鳩尾にめり込んだのだ。羅々々木は空中で姿勢を制御し、受け身を取った。反撃の態勢を取ろうとする。
「ぎっ」
 銃声がして羅々々木が呻いた。立ちあがっても、ぎゃんと音がして仰向けに倒れる。
 隣の卓でオールバック男がライフルを構えていた。後ろの男たちも銃を手にしている。
 兎耳が動こうとするたび、さらに銃声が迸る。火薬の匂いが辺りに立ちこめた。
 やがて羅々々木が動きを止めると、店内は静寂を取り戻した。
 緊張の糸が切れた。客たちが我先にと退店していく。
 今度は男たちの照準がこちらに向いた。
「地雷女から300万も、ぶんどれてゴキゲンだったのによ。お前らときたら、マナーは最悪だし異常女も連れてくる始末。死ぬ以外に理由があるか?」
 俺が出方を窺っていると、甲高い金属音がした。
「ぎゃっ」
 オールバック男の後ろに、長髪の男が立っていた。その横顔に山刀が深々と突き立っていた。
 羅々々木が立ち上がっている。ハンマーをくるくると回し、
「試してみるもんだねぇ」
 と愉快そうに肩を揺らした。
 恐るべき戦闘能力だった。羅々々木はハンマーで山刀を打ち出したのだ。兎耳のフードから覗く顔は心底楽しそうだ。
「今日は豪遊だってのに水差してんじゃねぇ! 全員死ね!」
 オールバック男が叫ぶ。男たちが四方八方に銃を撃った。
 銃弾が頭上を掠めた。カナエが素早くテーブル下に潜りこむ。俺はブレインジャッカーの後ろ襟を掴み、それに倣った。
「やばいぞ。俺たち」
「大丈夫」
 カナエが指さす方を見た。再び転がっていた羅々々木がむくりと起き上がった。
「ゾンビなのか」
「さっきからハンマーで避けてんだよ」
「すごー」
 さすがにブレインジャッカーも驚いた様子で口を半開きにしていた。
「おへっ、おへへへ」
 不快な笑い声を伴って羅々々木が飛んだ。
 ぎち、ぼきょ、とも聴こえる異音がした。生木を折るような音が連続し、覆い被さるように悲鳴があがった。
「あいつ、マジでなんなんだ」
「アタシの同僚。美人は全員殺すって決めてんだってさ」
「あいつらは美人じゃないだろ」
「知らないよ! いくよ!」
 俺は銃を取り出した。頭に浮かんだ死亡率70%の文字を沈め、カナエとテーブル下から転がり出る。
 隣卓は散々だった。
 顔が潰れた男が寄る辺を探して空をかいている。頭がひし形になった男はテーブルに突っ伏し、小便を漏らして痙攣していた。
 羅々々木はオールバック男へ馬乗りになっていた。
「クソが……」
 男は武器を手に取ろうともがく。両手はハンマーで潰されて赤い肉塊に変わっていた。
「私の邪魔したから文句言えないねぇ」
「なんなんだテメェ……」
「アンタはちょ〜〜っと美だねぇ。奥二重じゃないし、鼻の形も悪くない。でも……」
 男の口をこじ開け、ハンマーの鍵抜きの部分を前歯の内側に入れた。
「歯並びが終わってる」
 俺に見せたゼロの顔だ。男の表情が固まる。下の前歯を支点にして、ハンマーを後ろに倒した。
 男の悶絶する声が響いた。
「土壁が然るべき努力をしないのはもっとムカつくんだよぉ!」
 羅々々木は山刀を振った。男の鼻が勢いよく飛んでいった。
 こちらに気がついていない好機だった。
 カナエがショットガンを撃った。羅々々木が反射的に飛びのくが遅れる。散弾は肩をわずかに撃ち抜き、残りの弾はオールバック男をバラバラにした。
「ハズレぇ」
 俺は着地点を予測して引鉄を引く。
「ハズレぇ」
 確実に当たるはずだったが、ハンマーが火花を散らすだけだった。
 いかれた反射神経だ。
 俺はため息を漏らした。
 羅々々木がにたりと笑って接近する。
 山刀が鼻先を掠める。連続してハンマーが振り下ろされる。左腕で庇い、ハンマーを受ける。
「ぐおっ……」
 骨が軋んだ。ハンマーの当たった手首から神経に電流が走る。俺は構わず、ハンマーを握る腕を掴む。
「カナエさんが目当てなんだろ。放っておいてくれ」
「いらない壁は壊さないとぉ」
「勘弁してくれ!」
 羅々々木のハンマーがじりじりと上がる。手首の痺れで力が入らない。そもそも馬鹿みたいに力が強い。
 止められず振り下ろされた。
 俺は目をつぶってしまう。ハンマーが到達するまで永遠に感じる。待てどもその時はこなかった。
 目を開くと、羅々々木が俺の顔を覗き込んでいた。
「んん〜〜〜?」
 首をへし折りそうなほど傾げている。俺を突き飛ばすと、カナエににじり寄った。
「あんたたち……」
 どうやら額の傷を見ているようだった。
「ブレインジャッカーだよ」
 カナエが言った。
 羅々々木から風船が萎んでいくように攻撃性が消えていった。
「……おへっ、おへへっ」
 彼女は肩を揺らして笑いだす。口角だけを吊り上げて発声していた。
「おへへへへへへへ」
 顔の美しさを塗り潰して余りある不快さだった。
「その傷、笑えるねぇ。LINEのスタンプにしたいよぉ」
「あっそ」
「整いさんが自分からレースを脱落してくのは楽しくって仕方ないよねぇ」
 外が騒がしくなりつつあった。他のクレンザーがやってくるのは時間の問題だ。どうすれば切り抜けられる? 俺の思考を心得たようにカナエは頷いた。
「おまけに、このおじさんとアタシは脳を入れ替えられてんの。これじゃあんたには何しても勝てないってわけ」
 羅々々木が俺を凝視した。数秒たって完璧にホワイトニングされた歯を見せて哄笑した。
「こんな土壁とコンビ組まされるなんてねぇ。ブルータルジャック捕まえたあんたが落ちぶれるのを見れて最高の日だよぉ、おへへへっ」
「こんなアタシとやり合う?」
「まさかまさか、カナエぇ。いいもん見せてもらったよぉ、じゃあねぇ!」
 羅々々木裏莉は、余った酸素を全て笑いに変えると全速力で店を出ていった。
 足音が遠のいていく。それから数分後、俺はようやく息を吐いた。
「台風みたいな女だった」
「ああいうのは調子に乗らせるに限るよ」
「それで、これからどうする」
「まずは、紳士について知る。んでもってブレインジャッカーの換金」
 カナエがテーブル下のブレインジャッカーを呼び寄せた。
「あいつは話にならないってさっき……」
「まあ見てて。ねぇ、オリーブよりすごいのあるよ」
 カナエはブレインジャッカーを、羅々々木に殺された男たちの前に置いた。
「おおー! たすかる!」
 ブレインジャッカーは、男たちを品定めする。頭のへこんだ男を見ては首を振った。
 選んだのは山刀で死んだ長髪の男だった。
 薄汚れた白衣をめくり、手術道具を並べはじめる。どれも丁寧に磨かれており、照明を受けて銀色に輝いていた。手術に使うには、どれも異様な形をしており、何に使うか想像もつかないものもあった。
 ブレインジャッカーが施術をはじめた。焦点の定まらなかった眼球が患部をじっと見つめている。
「よく分かったじゃないか」
 ブレインジャッカーは先程と別人だった。泰然としており、哲学者めいていた。
「あんたがどうやって脳を入れ替えるなんて出来るのか考えてたの。もしかしたら施術の時しか役に立たないんじゃないかと思ったんだ」
「その通り。患者を生かしたままの脳の入れ替えは尋常ではない集中力を要求する。私は人格を保つ普段の集中力を手放すことで可能にしている」
「それで、先生に質問があるの」
「この患者はあまり質が良くない。応答は時間切れになってしまうかもしれないな」
「ねぇ、紳士は本当に死んだの?」
 ブレインジャッカーがメスを動かすと、つられて笑うように患者の体が痙攣した。
「私は患者を死なせはしない。彼はどこかに入っている」
「それは、どこ」
 カナエがブレインジャッカーの脳天にショットガンを突きつける。
「まだ言えんな」
 時計を真似た舌打ちとともに、ブレインジャッカーが指を振る。芝居じみた振る舞いだった。
 こいつは自分の価値を分かっている。カナエが引鉄を引かないことを理解して交渉しようとしているのだ。
 ぴんと立った指に目がいく。だんだんと俺の中でふつふつと、ショートカットを選びたい欲求が湧いてきた。
「いいかね。脳という未開の地は私の手によって明かされるのだ。君たちはその手伝いができるチャンスがある」
 指がメトロノームじみて揺れる。
「私には利用価値がある。それなのに、組合に突き出すのはいささか理性が欠けている。君たちは──」
 俺はブレインジャッカーの指を掴んでいた。小さな人差し指は手にすっぽりと収まった。ブレインジャッカーがこちらを見た。そのまま俺は逆の手で細い手首を掴み、人差し指を手の甲へと折り曲げた。
 湿った枝が折れるような音がした。
 一瞬の間が空いて、ブレインジャッカーの絶叫が響き渡った。
「あああっ! お前ッ!」
 カナエの右脳が俺の中でじんじんと熱を持ち、快楽物質で満たされた。
「駆け引きなんてできると思うなよ。お前は俺たちに飼われている」
 自分で思ってもいない言葉が出る。カナエ、お前いつもこんなことを?
 俺はブレインジャッカーの中指に手をかけていた。
「待てッ! 分かった! 話そう!」
「誰に脳を分けた」
「ブルータルジャックだッ!!」
「言えたじゃん」
 カナエはスマホを取り出し、通話をはじめた。
「クレンザー組合禍舞姫支部」
 通話口越しに落ち着いた男の声が聞こえた。
「もしもし、買取をお願いします」
「お名前を」
「桐咲カナエ」
 男は沈黙し、「失礼します」と言って保留音が流れた。
 しばらくして別の男の声がした。
「買取を」
「……申し訳ありません。カナエ様は取引を凍結されております」
「は?」
「コールバーナー社の申立により、組合は22条に抵触すると判断いたしました。カナエ様は組合のサービスをご利用することはできません」
「ちょっと! こっちは殺されかけてんだよ! 被害者でしょうがッ」
「規則ですので」
 男は含み笑いをして続けた。
「それに……上司殺しで信用の落ちた貴方を信じると言うのは……」
 明らかに侮蔑がこもっている。
「あたしは今、理性が半分しか無いんだ。言葉に気をつけたほうがいい」
 まずい。カナエの瞳孔が開いている。
「信用を取り戻すにも仕事が必要だ」
 破滅的な方向に向かう前に、俺は電話に割り込んだ。
「あなたは?」
「香西キョウ、クレンザーだ。カナエさんと仕事を引き受けよう」
「なぜ一緒に?」
「細かいことはいい。任せるのか」
 男はしばらく考え込むと、「それならひとつ」と俺たちに言った。
「ブルータルジャックを殺してください」
「奴はコールバーナーが勾留してるはずだよ」
「脱走したのです」

【続く】

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