見出し画像

BOBCUT〈6〉

〈illustrated by おばあちゃん5歳〉

承前

 次の日。

 土砂降りの雨だった。私は髪文字さんに肩をかして路地裏を走っていた。いや、はた目から見ればそれは足枷をつけた奴隷が鉄球を引きずるような速度だったのだけれども。とにかくその時の私には「奪徳から1ミリでも遠くに離れる」かつ「誰にも行き先を知られてはいけない」ことが最優先で、どちらもトチれば間違いなく死ぬ。放送の日に遅刻するスリルも、吉田が刀で襲ってきたのも今となっては些事だ。

 どうしてそんなことに?

 8時間前にさかのぼる。
 私達は吉田の死体を漁って(正確には髪文字さんがだけど)見つけた入場証で、奪徳の演説場に潜入していた。演説場へ入るには、区の認可が必要で一般生徒で入れる者はいない。しかし、ボブカットの守護者である吉田なら可能なのはごく自然の流れだった。
「宿凰院奪徳区長の……御登壇である!!!」
 暗幕が開き黒ずくめの男が声をあげると、奪徳が現われた。聴衆の妖しい熱気は、拍手が最高潮に達するのに合わせて高まっていく。紫のスーツに金に輝くボブカット。講堂の画面越しに見ていた時に感じていた何倍もの気迫に私は息を呑んだ。それはカナとユキも同じようで、髪文字さんは......、いつもの感じ。というかそれ以上。髪を隠すためのフードからのぞく鼻梁からでも怒気は感じられた。だから奪徳もこう言った。
「お上がりなさい」
 髪文字さんのアクセルべた踏みの怒りは、カナも私ももう慣れっこだったし、むしろ都合良かった。訊きたいことを聞くためだけに、何時間も演説を聞く気はない。フラッパー達が海を割くようにスーッと道を開け、私達は壇上によじ登った。
「15年前の借りを返しに来た。」
「久しぶりだね。会いたかったよ。」
「黙れ」
 髪文字さんが奪徳の言葉を制す。私は裾に隠していた雑誌を掲げた。
「単刀直入にいいます。あなたのボブカットに関する逸話......あれは嘘じゃないですか。」
 会場がどよめく。下から呻くようにフラッパーから呪詛が聞こえた。
「ふざけるな!」「ば、罰当たりめ!」「呪われろ!!」
「あなたの話では、落雷を受けて金のボブカットになったはずだ。それなのにどうして他に金髪のボブカットの女性が映っているのでしょう。この場で説明していただけませんかね。」
 ピンチの時のカナは頼りになる。驚くことに、カナの問い詰めに奪徳は窮していた。
「あんたおしまいだよ」
「ガキ騙すにも限度があるだろ」
 さっきまで縮まってたユキも続いた。
 フラッパー達のどよめきが後ろから聞こえる。黒頭巾たちの落ち着きが気になった。いや、もっとこの時私達はこれに敏感になるべきだった。
 俯いた奪徳は、おもむろに両腕を広げていた。その不気味さと言ったら!上からの照明の加減もあって顔のない天使が翼を広げたようにも見える。悪い予感は髪文字さんもしたのか奪徳の元に駆け出そうとした、その時だった。

ぱぁん

 乾いた音は、奪徳の両の手から鳴らされた。私が認識した時にはすでに遅かった。頭の中で音は反響し合い、立っていられなくなっていた。

ぱぁああんぱああああああん

 床に吸いつくように倒れこむ。私は必死に周りを見ると、ユキもカナも同じようだった。自分がなぜ倒れたのか困惑と苦痛の入り混じった眼だ。
 音はその間も反響し続ける。脳が銅鑼で頭蓋を叩いてるイメージがよぎった。髪文字さんが奪徳に何か言ってるようだけど全然聞こえない

ぱあああああんぱぁぁぁぁあああぁぁぁん……

 急に反響が鳴りやんだ。
 身体が軽くなり、私達は立ち上がると元通り奪徳は私達を見下ろしていた。奪徳の手元には雑誌があった。
「チエ……、あれ」
 隣を見ると、ユキは後ろを見て凍りついていた。嫌な静寂だった。
 私は振り向くと、数百人のフラッパーたちが消えていた。消えてはいない。正確にはフラッパー達のいる席は埋まっていた。私達に向くのは数百の無機質な瞳。マネキン達が壇上を見上げていた。
「私たちが聞こえてたのは全部……。」
 奪徳のボブカットが輝きを増した。
 逃げないと。私が出口を目で追うと、次々と黒い人影がなだれ込んでくるのが見えた。ガスマスクに黒の戦闘服、ボブカットの一部は三日月めいて金に輝いていた。
 ガスマスク集団はチェスのポーンのごとく奪徳の元に整列する。下からガスマスク集団、黒頭巾2人、奪徳となり、さながら逆光ピラミッドより出づる太陽の形をとっていた。
「[柳眉]だ。君らが見てきた有象無象とは違う。私が作った精鋭部隊だ。」
 太陽の言葉で、[柳眉]達は両手をクロスさせた信仰のポーズを一斉にとり叫ぶ。
「毛先の低さは知能の低さ!!肩にかかるは恥毛の証!!処理!処理!処理!」
 悪夢のようだった。K区に話の通じる大人は絶滅してしまったように思えた。
私は髪文字さんを見る。もはや私たち三人には髪文字さんの怒り、そして秘修羅しか頼れるものはなかった。
 髪文字さんが駆け出す。拳を振り上げ柳眉たちへ向かう。
「包囲!術式用意!」
 柳眉たちの動きは速かった。直線の配置から流れるように髪文字さんを取り囲んだ。そしてアイアンマンがやるみたいに片手を向けて声をあげた。
「ルイーズ法04!縛地!」
 一瞬バチバチッと火花が出ると、髪文字さんは地面に這いつくばらされた。
「あの時を思い出すなぁ」
 目を剥く髪文字さんに対して、奪徳の声には懐かしさがこもっていた。
「あの時も身動き取れなくて、ただただ見てるしかなくて、そうだったろ?」
 黒頭巾を引きつれながら階段を降りてくる。
「こうして会えるなんて感動するなぁ」
 奪徳は柳眉たちへ合図すると、髪文字さんの無理矢理に右手を捻じ上げる。髪文字さんのブレスレットが揺れた。
「権蔵」
 差し出されるようになった右手に黒頭巾の一人が前に出た。ここから先は……うん。思い出さないと。
 権蔵は宙に二本指を上げると、容赦なく右腕に打ちつけた。聞いたことのない音が右腕から出た。肉を打つ音からワンテンポ置いて、麻布をぶちぶち引き裂くような音、枯れ木を踏みしめるような音がした。髪文字さんのくぐもった呻き声もまざり私の頭に今もその音が離れない。
 髪文字さんの右腕はぼとり、と落ちた。それはもう赤黒い棒としか言えないものだった。
それでも諦めるわけにはいかなかった。
痛みで顔を歪ませていても憎しみの炎をちらつかせる髪文字さんの眼を見たらそう思わずにはいられなかった。それはカナとユキも同じだった。カナが柳眉の一人に肩をぶつけ、ユキもそれに続いた。
「チエ!はやく!」
「あたしらも後で行くから!」
 私は無我夢中で髪文字さんを担ぎ、右腕を拾い出口へ走った。
 出口を出て確か左、いや右だった。足音が私の記憶を急かす。
 何度か間違えながらも奇跡的に着いたのは化粧室だった。後ろを振り向くとすでに柳眉の一人が私にじりじりと迫っていた。
「処理処理処理」
 追い詰められ、自分の終わりを感じた。私は不意に、太筆めいた黒い風が柳眉の首あたりを撫ぜたのを見た。次の瞬間には、柳眉の頭は床に転がり落ちていた。後ろには、黒頭巾がいた。先ほどの奴とは違い背が高い方だった。
「化粧室の右手に窓がある。飛び降りろ。」
 黒頭巾はそう言い残して踵を返した。
 私は言われるがまま化粧室に入り、窓を覗くと10メートル下に川が流れていた。逃げ道をどうして?考えるヒマもなく窓をこじ開け、私たちは飛び降りた……。

 それから気がついて今に至るというわけ。制服は雨と川から水を吸って体に張り付いて気持ち悪い。しかも歩きっぱなしで私の体力は限界だった。
 遠くに男たちがいる。何かを探しているようだ。私たちの姿を見てこちらに走ってきた。ここがどこかも分からない。頭がぼうっとしてきた。だから、急に横のドアが開いて私たちを引っ張っても何も抵抗できなかった。
 カランコロンと音がなる。コーヒーの匂いが鼻をくすぐった。手は私と髪文字さんを引っ張り、革張りのソファに寝かせた。
ひどく目は霞んでいたけど、メニュー表らしきものに「喫茶ぱーぷるれいん」と書いてあった。
でも今はどうでもよかった。ただひたすらに髪文字さんの横でぐっすりと眠りたかった。
私の電源が落ちる前に、「殺す」と聞こえた。
(続く)

ここに送られたお金は全て電楽のビスコ代として利用させていただきます。