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拵をつける重要性

昭和60年刊行の大素人第28号を読んでいたところ、「拵をつける重要性」と題した小海次郎氏による興味深いコラムを発見。

出典:「大素人 第二十八号 青賞社」より

詳細は上記を読んで頂けたらと思うが、このコラムで言いたそうな部分を抽出、要約すると主に以下のような感じだろうか。

■上記要約
・刀に拵を付けないのは娘を裸にしておくようなもので、綺麗な着物を着せてあげるべきだ

・拵の「工芸としての総合美」を理解せず刀身ばかりを見ている巾の狭い美意識、文化意識が刀剣界の一般傾向である

・故に刀装の金具などをバラバラにして売り捌く解体屋が多すぎるが、刀剣人はこの事をもっと痛切に感じるべき

・以上の事から拵は危機にある。古い拵を大切にすると同時に新しい拵を作る努力を皆がすべき

さてこのコラムが寄稿された時から40年近くが経っているわけであるが、今はどうなのだろうか?
私自身この刀の世界に飛び込んでまだ5年しか経っておらず詳しい事は依然分からない事も多いが、刀装具に興味が無い愛刀家の方は今も多いと肌感覚で感じる。

例えば日刀保東京都支部の鑑賞会に行っても、刀の鑑賞刀や鑑定刀の方には数名~10名近くの行列が出来るが、刀と同じ位の刀装具の名品が並んでも刀装具の方はガラガラで見ている人は全体でも数人程度である。
他にも例えば横浜支部で刀身の事だけでなく刀装や刀装具の話をしたいと感じる事があるが、人数も減ってしまったことも相まってか刀装具について話せるベテランの方がいない、という事もあり会では終始刀身の話しか出来ずに終ってしまう事も多い。

反対に刀装具が好きな人は尚友会など刀装具の鑑賞会に集まる傾向があるが、刀身にはそこまで興味が無い人も多い気がする。
とはいえ、刀装具が好きな人も入りが刀身である人は多いので刀身に全く興味が無い人ばかり、というわけでもなさそう。
という事で刀身、刀装具共に同じ位に興味があり蒐集している人というのは実は物凄く少ないのではないか?

因みに私が今までお会いした中で、刀を買ったら必ず拵を作ると仰っていた方は3名程いる。
凄い事に思う。

私自身今は刀装具、刀共にどうしようもなく気に入った物があれば買って楽しんでいるが、確かに両方やっているとお金が2倍速で出ていくような感覚がある。
それもそうだ。
普通は刀を買うのを我慢すればその間はお金が減らないが、刀を我慢していても刀装具を買っていたらお金が減るのだから。

そうして出金という名の出血を止めることなく絶え間なく集めた金具類を用いて拵を作るなら更にその製作費が掛かる。
そこまでしてなお拵を設えるというのは、まさに「愛娘に着物を着せる」という表現がぴったり合っているような気がして、このコラムに書かれた内容は実に言い得て妙に思える。

そういえば昔、刀身と同じ位の費用を刀装にも掛けなければつり合いが取れない、という話を聞いた事がある。
100万円の刀には100万円の拵、1000万円の刀には1000万円の拵(1000万の拵はなかなか無いので400~500万位の重要刀装クラスだろうか)。
これは今実感するがその通りに思う。

加えて今は拵をコーディネートする難しさを感じている。
どんなテーマでどんな金具を使い、柄糸や鞘の色、素材はどうするのか。
鐔はこれを使って目貫はこれで、柄や鞘はこの位の厚みにして…というように完成形のイメージを具体的に想像出来る人が果たしてどの位いるだろうか。
いざ具体的に考えようとすると手が止まる。
それゆえに以下のような形と素材の異なる鐔を用いた大小拵には度肝を抜かれたし、このような異種の組み合わせでまとめ上げた先人達のセンスに驚かされる。
鐔や目貫単体で集めていても、拵製作となるとまた別の視点が必要になる気がしている。


バラバラにして売り捌く解体屋が多いという内容について

コラムで触れられていたこの件についても、今は生だし品自体も少ないそうでそうした事はあまり聞かない気がするが、昭和の時代は多かったと聞く。
これはひとえに刀装として完成体で売るよりも、ばらして金具を別々で売った方がお金になるからそのようにされているのだろう。
重要刀装具などに指定されれば、鐔だけで500万円以上する事もあるが、一方で重要刀装など拵として指定されても400万位で売られている所を見れば、人間の行動心理から見ればそうなってしまっても無理もない。
勿論例えば荒木東明や後藤一乗の一作拵などになれば、重要刀装でも果てしない金額になる。
拵は伝わってきたままの状態で残しておくべきというのはその通りだが、その売買で生活している人もいるわけであるからそんな綺麗事ばかりが通用するとも思えない。


・終わりに

このコラムの締めとして、寄稿者は拵の重要性を多くの愛刀家に広める方法として「重要刀剣や特別重要刀剣審査に申請する刀剣については然るべきを付ける事で、拵の重要性を速やかに広く深く刀剣人に認識せしめることになるであろう」と一案を綴っている。
今の時代となっては残念ながらもはや実現が難しい事になってしまっている。

しかし筆者の言うように拵は日本刀を語る上で1つ重要な要素である事は間違いない事であるし、それを理解するにはその時代の文化の理解が必要になり、刀身を見て鑑定だけする事とは別軸の広い教養が必要となってくるのだろう。
まともな拵を作ろうとするとその後のフェーズになるので、非常にハードルが高いとは思うし、正直奥が深すぎて私自身は拵作りの段階まで全くいけていないのだが、刀装具は刀装具で単品で見ても非常に面白く、そうした底知れぬ沼がある事もまた事実であるように思う。

時間はかかるかもしれないが、まずは刀装具にはまる愛刀家を増やす事がいずれ拵の重要性の認知に広がるのではないか、と個人的には考えている。
しかしそうは言っても金銭が絡まなければ人間なかなか広まらないのかもしれない。
しかし美術品としての価値で見てもまだまだ刀装具は低く見積もられている気がするし伸びしろは多い気がしている。
個人的には投資目的で刀装具をお勧めするわけでも集めているわけでも無いのでこの辺りは別にどちらでも良いが。

それはそうと刀装具がアート界隈で注目され、刀剣以上に需要が広まる時代がもし今後来るとしたら一体刀業界はどうなるだろうか?
想像してみるのも面白いかもしれない。


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↓この記事を書いてる人(刀箱師 中村圭佑)

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