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初期刀が生駒光忠という愛刀家

初期刀、つまり初めて手にした刀。
それが現国宝の「生駒光忠」という何とも贅沢な愛刀家がいました。
それが細川護立(1883年~1970年)です。
一体どんな人だったのでしょうか。
今回は古今東西の第1級の美術品から書籍、文房具まで、己の眼を信じひたすら美を求め続けた希代の美術蒐集家である細川護立氏について迫ります。(この記事は「薫山刀話」を参考資料にして書いています)

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(画像転載元:古美術光悦

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(画像転載元:日本刀買取 鋼月堂

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(画像転載元:日本刀買取 鋼月堂


①細川護立について

・細川家(肥後熊本藩54万石)16代の御殿様
・永青文庫の創設者
・国宝保存会(昭和3年~昭和25年)の会長
・国宝保存会解散後は文化財保護委員会委員(委員長職は辞退)
・有形無形文化財、天然記念物、建造物なんでも詳しい
・日本美術刀剣保存協会会長

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(画像転載元:細川護立wiki


②初期刀をなぜ生駒光忠にしたか?

刀の蒐集は特に若いころから始めたようです。
名金工の西垣勘四郎の末裔である西垣四郎作翁から色々勉強し、刀の入札鑑定も心得、薫山氏曰くなかなかの鑑識眼だったそうです。
そして1番最初に欲しくなったのが光忠だったから、というシンプルな理由でした。
光忠の中でも細川家旧臣の清田所有の光徳象嵌の光忠が昔から有名でありかつ身近にあったため護立はそれを欲しがったのですが、清田がこれだけはご勘弁と言うのでその光忠に負けない光忠を探して買ったのが同じく光徳象嵌の入った生駒光忠だったといいます。


③10代でお小遣いの前借りをして買った生駒光忠

護立が生駒光忠を買うときは母にお小遣いの前借りをして買いました。
金額は300何十円だったらしい。
明治時代の1円は今でいう2万円位なので、現代の価値に直すと、大体600万円位。
因みにこの時代の公務員の初任給が50円(100万円)位らしいので、生駒光忠は公務員の6年分の給料だったと分かります。
お小遣い…^^;


④なぜ名品を集める事が出来たのか?

護立が目利きだったのは言う事もありませんが、毎日毎晩のように各方面の学者や権威者を招いて、そういった人々の意見を聴取した事も影響してると考えられています。
むしろ細川家の名品は護立の時代に集まったものの方が多いらしく、例えば名金工の又七や西垣勘四郎、金家や雷文の明寿など、細川家伝来の名鍔は護立が集めたようです。

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(画像転載元:鋼月堂 霞雷文図鐔 埋忠明寿


⑤蒐集品はいざとなったら自分と共に散ってしまっても良いという考えをしていた

戦争が激しくなった時、蒐集したコレクションを疎開するように薫山が勧めたようですが頑として聞き入れなかったそうです。
自分で集めたんだから万が一の時は自分と共に散ってしまえば良いという考え方をしていたそうです。(因みに私は歴史ある文化財などは大切に保管して次の世代へ繋いでいくべきと考えています)

その後も説得を続けようやく細川家伝来の物だけ熊本の蔵に疎開したものの、疎開した先の蔵が焼夷弾で燃えるという悲劇…。(移動していなければ燃えなかった)
…これも運ですね…。


⑥終わりに

初期刀が生駒光忠であり、それだけに留まらず古今東西の第1級の美術品から書籍、文房具まで、己の眼を信じひたすら美を求め続けた希代の美術蒐集家である細川護立。
重要刀剣なんかの指定書にも名前が書いてあったりします。
普段読み飛ばしてしまいそうな場所ですが、どんな人だったか調べてみると意外に面白いかもしれませんね^^

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(画像転載元:江州屋 重要刀剣 無銘 延寿


細川護立についての書籍も販売されていました。
興味のある方は如何でしょうか。
私も今日買ってみたので届くのが楽しみです^^


今回も読んで下さりありがとうございました!
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それでは皆様良き御刀ライフを~!

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