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来派の「来」の字の違いは奥が深そう

来国俊、その子の来国光、その子(もしくは弟子)の来国次。
この3人の「来」の字はそれぞれ意図的に?一部変えて切られているようです。(因みに来国行が来派の祖と言われていますが、「来国行」と切った銘は存在しません)

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(画像出典:「五ヶ伝の旅 山城伝編 著:田野邉道宏」P122より)

「来」の2画目の「、」と3画目の「 , 」が来国俊は一本の横棒に、来国光は左斜めに2点、来国次は真横に2点、点を切っています。
理由は不明ですが、意図的に分けて切っているように感じます。

次に殆ど知られていない来派の他の人の作。
まず「来国末」という人の銘。
来の字の切り方は来国俊に似ています。

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(画像出典:「神津伯押形」より)

以下は「来秀次」という人の銘。
師から一字取る事などを考えると名前的には来国次の下にいそうな名前をしている気もしますが、「来」の切り方は来国光のそれに似ています。

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(画像出典:「神津伯押形」より)

次は来国俊の子(もしくは門人)、もしくは来国光の弟と言われている来倫国の銘。こちらは来国次の来の切り方に似ています。となると、来国次の師はこの来倫国だったりするのでしょうか?

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(画像出典:「神津伯押形」より)

うーん、結構ごちゃごちゃになってきます。
銘の切り方の癖などは比較的弟子にも受け継がれる気がしますがどうでしょう。
いずれにしても来国真や来国安、来国末、来国宗、来国長、来国秀など、来派には沢山いたようですが、銘の残っている物は殆ど無いそうです。
それに対して来国俊や来国光など、在銘が結構残っています。
勿論一流どころの刀が大事にされてきたというのはあるかもしれませんが、代作などによりそもそもの作数も多かった可能性もあるのかもしれません。

専門家のような見方は私には出来ませんが、銘を見ているだけでも色々と想像が膨らんで面白いですね^^


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