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刀掛けの「右掛け」と「左掛け」

日本刀を刀掛けに掛ける際に、多くは右掛けと言って刀掛けを自分の背に置いた時に、柄が右手側に来る置き方が一般的とされています。
刀掛けを正面から見ると柄が左側に来るのでややこしいですが、以下が右掛けです。
美術館や刀剣店でも基本はこの置き方です。

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(画像出典:Aucfree

対して、左掛けというのは以下のような飾り方です。

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(画像出典:Aucfree

①左掛けは間違いではない

今まで左掛けというのを見た事が無かったので勝手に間違いと思い込んでいたのですが、どうやら間違いではないようです。
こちらの掛け方の方が、いざという時に右手で抜刀できるので素早い対応が出来ると言います。

因みに黒田如水(官兵衛)は左掛けをしています。
如水の時代はまさに戦国時代真っ只中でした。
戦が身近な武将はいつでも応戦出来るようにこのような掛け方だったのでしょうか?

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(画像出典:黒田如水像。福岡市博物館蔵)


②幕末も左掛け

他にも幕末の井伊直弼もこのような置き方をしています。
幕末も同じく激動の時代でした。

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(画像出典:井伊直弼画像、井伊直安作、豪徳寺所蔵。)

更に更に新撰組局長の近藤勇も左掛け。

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(画像出典:近藤勇写真(1866年、国立国会図書館蔵))

更に更に更に最後の将軍である徳川慶喜も左掛け。

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(画像出典:Pinterest

本来の刀の掛け方は左掛けが一般的だったのかもしれない。


③なぜ現代では右掛けが主流になったのか?

ではなぜ今以下のような右掛けが主流になったのか?

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(画像出典:Aucfree

考えうるに、現代は刀身と共に拵えを飾る事が増えてきました。
言うまでもなく展示の為です。

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展示では刀身は銘が手前に来るように飾る事が一般的です。
それに合わせて拵を展示すると、打刀拵であれば必然的に上記のような右掛けとなります。(上の写真は太刀を打刀拵に入れているのでちょっと分かりづらいですが)
美術館などでこのような展示が一般的になってきた事から、刀掛けでも左掛けが定着したのではないかと予想します。
個人的な予想なので正しいかは分かりません。

ではなぜ下の黒田長政の肖像画は右掛けで描かれているのか?
しかも脇差が上に掛けられています
現代は打刀が上で、脇差が下に飾るのが一般的なので現代とは逆です。
なぜ上が脇差なのでしょうか。

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(画像出典:黒田長政像。福岡市博物館)

肖像画をよく見てみると書物が目の前に積んであります。いつでも戦えるという姿にはあまり見えません。
この事から豊臣家が滅んだ後の平和な時代であるようにも見えます。
因みに先ほどの黒田如水(官兵衛)は黒田長政の父になります。
長政の時代も戦はありましたが、如水の時代の方が戦はあったはずです。

これも個人的な予想でしかありませんが、平和な時代は脱着順で刀掛けに掛けていたのではないか?
身に付けるときは「脇差→刀」の順かと思いますし、外す時は「刀→脇差」の順です。
脇差が上の置き方の方が効率的な気がします。逆であると身に付けるために拵えを取ろうとするとぶつかってしまいます。

またいざと言う時は脇差の方が室内で扱い易そうです。
いつでも取れる位置に脇差を置いていたのかもしれないという仮説も何となくですが立ちそうです。

④終わりに

という事で、今回の一番の驚きは何といっても以下の右掛けは間違いではなかったという事。
自身の中で常識と思っていた部分が覆されるのは何とも複雑な気分ですが、常識は持たない方が良いという良い経験となりました。

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(画像出典:Aucfree


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