見出し画像

自分が思う出来が良いと、プロの思う出来が良い

は違う事が多い。
自分の思う出来が良いとは、やはり自分の知識量の限界の中での良い物であり、知識がない物についての良さはイマイチ分からない。

例えば昔こんな事が。
刀剣店からこれは良い刀だよ、と言われて出された刀を見てみると鉄の表面に白い靄(もや)みたいなのがあって濁って見える。正直何が良いのかわからない。

画像2


その時は地鉄が詰んで刃が冴えたようなものだけが良い物と思っていたので、それを遮るような白い靄が自分の中でひっかかりました。
それ以外にも匂い出来で刃の締まった刀の良さも当時は分かりませんでした。
匂い口が深く、光にかざした時に広い範囲でギラギラと光る刀が綺麗で美しいと思ってました。
つまり備前長船景光など匂い出来で乱れ映りの出ている刀はあまり良い刀に見えてなかったのです。(ちなみに上の写真は康光の棒映り)
それよりも助広の濤瀾刃の方が地刃のコントラストがはっきりしていて綺麗に見えました。

でも時が過ぎて、白い靄のように見えていたのは「映り」だったと分かります。それも1つの刀の特徴なのだと知ってからはそれが逆に魅力的に見えてくるようになります。
匂い出来の刀の良さが分かってきたのは刀を好きになって2年経ってからと結構時間がかかりました。
静寂(騒がしくない)というか、そんな印象を刃から抱きます。

自分の中で一度どこが良いのかを消化出来ると美しいと思える刀の幅が広がる事は間違いないです。
なのでこの刀は良くないと思っても実は自分が良さを分かってないだけ、というのは多いかもしれない。
同価格の刀を2振見て好みが出るのは自然と思います。
が、だからといって好きでない方を美しくないと判断するのはまた違う話。

似たような話で10万円位の研ぎ減って疵だらけの刀を見た時に「美しい!」とは正直なかなか思えない。
美しいの基準が1000万円位の刀にあるとすれば、そこには天と地ほどの差があり、だからこそ値段にも正直に反映されてます。
疵もその刀の良さ、研ぎ減ってるのは研いででも何度も使いたくなる程の刀、それは正しいのですが、その刀の良さを受け入れる事とその刀を客観的に美しいと思うことを同一視するのは違う気がします。
なので、先の話で10万円の刀が悪いと言ってる訳ではありません。
(こうゆう事を書くと、これを同一視してる人から「安い刀は良くないと言うのか?!」と短絡的に怒られるのですが、そういうことではないです。)

ここを混同すると「自分が思う出来の良さ、とプロが思う出来の良さ」の間に乖離が大きくなり、刀の美しさの基準が世間の認識とズレて、果てにはそこを利用されて騙される可能性も高まるかもしれない。
100は無理としてもプロが思う出来の良さを出来る限り知ろうとする事は大事に思いますし、していて損は無いと思います。

そんな話でした。


今回も読んで下さりありがとうございました!
面白かった方はハートマークを押してもらえると嬉しいです^^
記事更新の励みになります。
それでは皆様良き御刀ライフを~!

画像1


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?