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入札鑑定で本と睨めっこについて

昔まだ支部に沢山人がいたころ、私自身も入札鑑定というものを始めたばかりの頃の話。
当時の支部では入札鑑定において持参した刀剣本を見ながら解答を書く人が多く少しの違和感を覚えたのを記憶している。
前半こそ刀の鑑賞で人が並ぶが、30分もすれば刀の前から殆ど誰もいなくなり、鑑賞している人は私含め2~3名程。
他の方は並んだ刀をあまり見ずに黙々と本と睨めっこをしている。

当時なぜ刀が目の前にあるのに大部分の時間を本を見て過ごすのか理解が出来なかった。(今なお理解出来ないでいますが…。)
きっと本を見て似たような作風を探して刀工銘を書く為だろうが、その作業に意味があるのだろうか。
それは裏を返せば入札鑑定の目的が「刀工銘を当てる」事になっているように思えてならない。

入札用紙を出せば点が付いて返ってくるし、どうしても最初から良い点を取りたい(当てたい)と考えるのは人間の性にも思う。
小学校からテストで点が付けられる環境で育てばそうもなるのも無理はなさそうである。
点を見て一喜一憂するのも良いが、それよりも大事なのは限られた時間で目の前の刀を目に焼き付ける事ではないのだろうか。

本に載っているのは典型とされている作風であり、確かに入札鑑定には当てやすいように典型作が並ぶことも多いが、対照的に珍しい出来の物が並ぶこともある。
珍しい出来のものを本を見て当てる事は難しい。
例えば濤乱刃の助広が出れば当てやすいが、直刃の助広になると途端に難しくなる。
この時本は全く役に立たない。
何故なら本に載っているのは濤乱刃の助広が大半だからであり、本で反りの無い匂口の深い新刀直刃を探すと真改や肥前刀などにいってしまうからである。
これを理解するには、地鉄の様相や匂口の出来などをじっくり見て頭で記憶していないといけない。が、言うは易しで実際はとても難しい。
特に真改と助広の直刃の違いは今なお分からない。
虎徹の作にしても虎徹帽子などと言われる物があるが必ずしも全部が全部そうなっているわけでもない。
互の目でない虎徹も沢山ある。

何度も書くが本に掲載されているのはほんの一作風にすぎないのである。
そうした一例を照らし合わせる作業にどうも意味を感じる事が出来ないので本と睨めっこする事に疑問を感じてしまうのである。

初心者で刀工銘も分からない内であれば、本を見せて似た作風を探させるよりも、先に答えをこっそり教えて(入札しようがないので)ひたすら時間一杯鑑賞してもらうのが一番勉強にもなるし楽しいのではないか。
とにかく目に作風を焼き付け、家に帰ってから刀剣本と照らし合わせて振り返ればそれで良いのではないか。

入札鑑定の仕方や考え方などは人によってやり方が様々だろうし、今回ここに書いたのもあくまで私個人の考え方でしかない。
当然これを強制しようとも思わない。
ただ言い方を変えれば「1+3=?」という計算問題を解く時に算数ドリルを引っ張り出してきて「1+3」という同じ問題を探しだす作業に意味があるのか?と疑問に思っただけである。
目の前に出題された問題があり、それが刀であればその刀をひたすら見て考える方が大事なのでは、と思った次第である。

因みに刀屋さん曰く、刀の入札鑑定で一番大事なのは時代を間違えない事のようです。
例えば古刀を新々刀と間違えない事。
なので刀工銘を仮に見当違いなところに入れて点付かなくても時代だけでも合っていたら我々趣味人にとってはもうそれで充分じゃないでしょうか。
時代が合ってたらその時点で自身を褒めまくりましょう!


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↓この記事を書いてる人(刀箱師 中村圭佑)

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