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童子切安綱の怪異

天下随一とも言われる大名刀、童子切安綱。
今回の話は「薫山刀話」に収録された話になります。
「童子切の怪異」という題で童子切安綱の所有者の間に起きた不運が書き連ねてあります。
不運が重なる事から江戸城中には童子切を置かなかったようです。
個人的には読んでる限りまぁ普通に起こり得る事かな(たまたまかな)、と思うのですが皆さんはどう思われるでしょうか?

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(画像転載元:童子切安綱wiki


①童子切所有者へ起こった不運

・童子切の持ち主である室町将軍足利義輝が松永久永に殺される

・その後の所有者の織田信長は本能寺で殺される

・その後は徳川秀忠の手に移り、秀忠の娘が松平忠直に嫁入りする時の引き出物として持参。
松平忠直は結城秀康の長男であり、大阪夏の陣で真田幸村を討ち取るほどの戦功をあげたものの、29歳で豊後荻原という山奥へ島流しにあい、遂に許されることなくその場で死亡。

・その後、松平忠直の妻(秀忠の娘)の長男光長に授けたが、家臣が東西に別れて大喧嘩。幕府に呼ばれ重罪に処され光長自身も無能という事で城地を没収&伊予へ島流し。

・その後光長のいとこの松平直矩の子である宣富を養子に立てて光長の家を17年かけて再興。その17年間の間は童子切を伊達家に預けて江戸城へは入れなかった様子。(授かったわけでは無く、預けていただけなので祟りは無かったのではと著書では触れている)

・その後、光長の家を再興した宣富は童子切を返してもらったがほどなくして早死。

・宣富の子の浅五郎が9歳で藩主になるも14歳で死亡。10万石が5万石に減らされる。

・その頃童子切に錆が出てからか本阿弥に研ぎに出す。研いでいる時に本阿弥の近所で火事。

・時は流れ昭和(その間の出来事については記載無し)。中島飛行機の社長の中島喜代一が欲しがり当時10万円という大金で話がまとまるも、財閥解体や旧円封鎖があり業績悪化、中島喜代一自身もA級戦犯容疑に掛けられていて10万円のお金が用意できなくなり本間薫山の友人であり剣道で名高い玉利三之助が代わりに購入。

・しかし玉利三之助の商売が思わしくなくなり、童子切が抵当に出たり入ったりするように。

・天下の大名刀が抵当に出たり入ったりするのはみっとも無いので、日本特殊鋼の社長の渡辺三郎が預かると提案し話がまとまる(貸したお金を返してもらえればいつでも童子切を返し、利子も取らない、つまり別の蔵に保管するだけといったような提案)。
しかし童子切を預かって間もなく渡辺三郎が死亡。

・渡辺三郎の子息に童子切を預かっている事を伝え、その後しばらくたって玉利三之助がお金を返すから刀を返してもらいたいと伝えた所、訴訟問題に発展。結局は玉利三之助の元に童子切が返る。
その時に本間薫山が玉利三之助に「こういうものは国に譲った方がいい、個人で持っているといい事が無いから」という事になり国が買い上げた。

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(画像転載元:童子切安綱wiki


②終わりに

皆さんはどう感じましたでしょうか。
本間順治(薫山)氏は日本刀界の巨頭であり、刀は美術品であると提案し戦後の刀の大量廃棄から刀を救ったのもこの方になります。
今でこそこういった名刀は美術館で容易に観れますが、昔は大名家に秘蔵されており拝見すらままならなかったようです。
その人が各大名家を訪ね歩いた時の体験談など他の本では読めないような面白い内容が、「薫山刀話」には他にも沢山載っています。
山鳥毛や有楽来、大典太、大包平、日光一文字などとの出会いの話も。
古い本になりますが、実話ですので興味のある方は是非読んでみてください^^

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(画像転載元:刀剣鋼月堂


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それでは皆様良き御刀ライフを~!

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