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沖田総司の菊一文字は則宗ではなく、丹後守兼道あたりではないか

沖田総司が所有した刀は3つと伝えられています。
加州清光、大和守安定、菊一文字則宗。
加州清光は池田屋騒動の折に修復不可となり破棄されたと見られ、他の2振りもいまだ発見には至っていません。

今回は沖田総司の菊一文字則宗について個人的な見解を書いてみます。
因みに以下は「新選組血風録(1998)」より沖田総司が菊一文字則宗を拝領するシーン。

今見ると明らかな模造刀感に加え、本来の菊一文字則宗とは似ても似つかないですね^^;
本物の刀を鑑賞するようになってからというものの、昔は気にならなかったこうした内容とは関係のない部分で見る気が少し失せてしまう事が多々あります。内容に違いは無いのですがどうも役者の方の演技が安っぽく見えてしまい…。そういう意味では本物にこだわった黒澤明監督の映画に緊張感があり引き込まれるのはそういう所が影響しているのかもしれません。(まぁあちらは白黒映画ですが。)

話が逸れましたが、菊一文字則宗は存在しない、空想上のものだ、とすら言われる事がありますが実は1振まさしく菊一文字な刀が存在しています。
それが菊御作に一の銘が入った作で、現在は特別重要刀剣に指定されています。
それが以下。

第11回特別重要刀剣図譜より
第11回特別重要刀剣図譜より


茎に菊紋と一文字の文字があります。

しかしここまでの作になるともはや神器であり、大大名クラスでも所持は難しかったと思いますし、そんな状況下でましてや当時町の刀屋にポンと入り新選組隊士が手に入れられるような太刀として出て来るとは到底思えません。

では沖田総司の菊一文字の話がどこから出てきたのかと言えば、もともとの出所としては「新選組始末記(著:子母澤寛)」の中で、沖田総司の刀が「菊一文字細身のつくり」と記載されていたことから広まったとされているようです。
この新選組始末記は関係者への取材などを取りまとめられていることから、新選組に関する代表的な資料とも捉えられているようで、信憑性が高いとされてきたのかもしれません。
更にその後は「新選組血風録(著:司馬遼太郎)」の中では、沖田総司が菊一文字則宗を手に入れたとしています。

という事で、なぜ司馬遼太郎氏が則宗と入れたのかは分かりません(菊紋といえば後鳥羽上皇ですが、その正月番鍛冶を務めたのが一文字の祖である則宗であった事からそうなったのかもしれませんね)が、「菊一文字の細身作り」という点だけで考えれば実は沖田総司でも手に入りそうな刀があったりします。

それが「丹後守藤原兼道」という江戸初期の刀工。
京の丹後守吉道の二男と言われる刀工で大阪でも鍛刀をしています。
初代、二代といますが、菊紋に一を切るのは初代のみらしいので、代別はしやすいとの事。
因みに細作りと言えばそうも見えなくもない気もします。

(画像出典:丹後守藤原兼道 菊一(菊一文字) 明倫産業


ということで、仮に沖田総司が本当に菊一文字の刀を持っていたとするなら、この辺りが妥当な気がしますがどうでしょうか。
是非専門家の方の調査を待ちたいと思います。

尚、新選組隊士の刀を熱心に集めている愛刀家さんもいらっしゃいます。
2023年には芹沢鴨の刀と思われる刀を手に入れたそうで、然るべき場所で歴史が動いている感じも見受けられます。
沖田総司の愛刀が見つかるとしたらこの方の元に引き寄せられそうな気がしますがどうでしょうか。
今後出てきたら嬉しいですね!

(画像出典:facebook 佐藤ケイスケ氏)


(※2024/3/2追記)

このブログ投稿後、装剣金工の片山さんから横山祐永と思っていたという情報を頂きました。

調べてみると新々刀期の備前伝で、反りもあり細身である事から菊一文字則宗とより近い作風と言えばこちらの方が近そうな気がしますので、情報載せておきます。


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↓この記事を書いてる人(刀箱師 中村圭佑)

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