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著名工と同銘工は不憫

以前から何となく感じていた素朴な疑問。
「在銘品がそもそも存在しないと言われる作において、もし在銘品が現れた場合どのように真贋鑑定をするのか?」

例えば相州貞宗や郷義弘は在銘が無い刀として有名です。
在銘品があったとしても正真と認められるものは今まで出ていません。
故に正真と認める為の銘サンプルも無いので判断を別の所、例えば出来などにフォーカスせざるを得ず難しいはずです。
しかし出来が貞宗であっても銘だけ後世に刻まれた可能性もあり、必ずしも出来が伴っているからと言って銘が正しいかも分からない。
では一体何を基準にすれば良いのか…?

もし正真の在銘作が見つかったらそれこそ業界全体に電撃が走る位のビッグニュースになるのは間違いありません。
今後のお手本になる銘を日刀保が指定するには相当に慎重になるはずですし、過去も慎重に精査してきた結果が今なので恐らく今後も出ない気がします。

因みに貞宗、郷義弘と銘の入った刀が存在しないかと言えばそんな事はなく、物自体は存在しています。
ヤフオクなどでも時々出てきますね。
それらの多くは悪意を持って切られた銘かもしれませんし、もしかしたらそうでは無いかもしれません。
出来が著名工と違うから偽銘、といっても著名工の作とは違うだけで、別人の作としては正真かもしれない。
相州貞宗ではないけれど、備前貞宗ではあるかもしれません。(備前貞宗は架空の名前)

ただこれを正式に鑑定書で認めようとすると、備前に貞宗という刀工がいた事を裏付ける必要があり、これはこれでハードルが高そうな話でもあります。
それであれば著名工以外は全て偽銘、もしくは保留にするのが楽なのかもしれない。
というよりも資料が不十分でそうせざるを得ないのかもしれない。
正恒などの有名な刀工であれば同名でも正恒(古備前)、正恒(古青江)のように分けられている例もありますね。
(他にも信国など何代にも渡っている刀工であれば、信国(室町時代)といった感じで時代を追記されている場合もあります)
古来より著名な刀工であればそれぞれに裏付ける資料などがあるから出来える事なのかもしれません。

しかしこれは著名工同士の刀工だからこそ起こり得る事で、例えば古青江と古備前以外の正恒がいなかったとは限りません。
実際に「日本刀銘鑑 著:本間薫山、石井昌國」を見ると、正恒は相州にも大和にも備後にも豊後にもいたとされています。
備前と備中以外の正恒はそれらと比較したら確かに銘振りは違うかもしれませんが偽銘扱いになるのでしょうか。
ネットで「正恒 相州」などと一通り検索してみましたがどれも出てきませんでした。

だからと言って全く鑑定されていないというわけでは無いと思うのですが、古備前や古青江以外に極められた正恒の作は限りなく少なそうです。
裏を返せば多くが保留や偽銘として審査を通らなかった可能性もあると考えています。

そう考えると著名な刀工と同名だった刀工は偽銘扱いされる率が高くなり、仮に出来が良ければ銘を削られたりしてしまって歴史からも存在を消されがちで不憫だなと思う次第。

鑑定書で偽銘と言われても、別人として見れば正しいかもしれない。
それとも悪意を持った人が刻んだだけの偽銘かもしれない。
偽銘だと鑑定書が付かないというのは当たり前といえば当たり前でこれが変わる事を望むわけではありませんが、著名な刀工がいるが故に同銘の別刀工作に鑑定書が付きにくくなるのだとしたら、これは一つ鑑定書システムの弊害であるようにも思いました。

「売りやすくする為には鑑定書を付けなければならない→偽銘、保留鑑定→銘を消して無銘で鑑定書を取ろう」そう考える人が多くなるのも無理はありません。
鑑定書が理由で銘を簡単に消される事は減らされるべきに思いますが、とは言っても何か具体的な方法を示せるわけではないのでただの願望止まり。。

1人1人が鑑定書の結果に振り回されず、目の前の銘を大事に研究する姿勢が未来に繋がりそうな気もした次第です。

重要美術品 備州長船住景光 延慶二年七月日


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↓この記事を書いてる人(刀箱師 中村圭佑)

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