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正宗抹殺論

正宗と言えば吉光や郷義弘と並び、天下三作として称される程に日本刀の名工とされている人物です。
鎌倉時代後期〜南北朝時代初期にかけて活躍した刀工で、新藤五国光→行光→正宗→貞宗の流れが通説とされています。
「備前物に見る匂を下に敷き、その上に鮮やかな沸を重ねている。このように匂と沸の重なりが正宗の刃文の見極め所」と表現されたりもします。

ですが正宗なんてそもそもいなかったんじゃ無いか?
いたとしても大した刀工ではない、という説が明治頃に囁かれます。
俗に言う正宗抹殺論です。

①提唱した人

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(画像転載元:http://chuo-toukenkai.org/doutou)

明治29年(1896年)、当時刀剣鑑識家として名高く、宮内省の御剣掛を務めていた今村長賀が、読売新聞の連載談話記事の中で提唱したのが始まりとされています。
根拠は以下の通り。

・正真の在銘作がない
・皆無銘のすり上げで秀吉の後に本阿弥によって極められた物ばかり
・秀吉の時代以降突然評価され有名になった(室町時代までは評価が低い)
・秀吉以前の武将が正宗を差し料にしていない
・足利義満(1368-1394)の時代に当時目利きであった宇都宮三河入道に選ばせた名工182工の中に正宗は入っていない



②現代の定説は?

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やはり正宗は存在し、名工であったという事で決着が付いています。
正宗の正真在銘作の発見や、桃山時代以前(信長以前)の文献で、正宗が名工だったことが記されている書物が発見。
今村長賀の掲げた根拠は否定され、同時に正宗抹殺論も否定されました。

ちなみに無銘の多さについては、「上位献上品」として作られた為という意見もあります。献上時、銘を入れる事が逆に失礼に当たるとしてあえて銘を入れていないというものです。
(正宗は名工であるが故に刀を見れば他の刀と区別が付くので銘を入れていないという説もあります。これは甚だ疑問ですが…)


③個人的には

正宗は実在して確かに作刀が上手かった。
上手いというより、従来に見られない奇抜な作風をしていたのが良かった。
純粋に上手いからもてはやされた訳ではなく、政治的戦略により意図的に高評価を与えられ、褒美の対象となったというのが、(他の方で言っている方もいらっしゃいますが)私も同意する所です。

奇抜な作風というのは得てして政治的に利用しやすいとは思いませんか?
例えば備前や粟田口といった古来からある名刀は、これらがどういう物かを知っている家臣は一定数いるはず。
しかし、正宗や郷という秀吉の前まで注目されていない刀工であれば家臣でも見たことのある人はおらず、新しい価値付けという点では効力を発揮しやすい。

上記を読むと、天下統一をした後、恩賞として家臣に授ける土地がなくなることを懸念した秀吉は折紙発行で刀剣に価値付けを行い、家臣の謀反を防ごうとした可能性がある事が分かります。
つまり刀に新しい価値を作る事で統治の道具にした可能性は高く、そして正宗の他に「郷」や「貞宗」の扱いもこれに繋がるのではないか?と個人的には感じています。
理由はどちらも正真とされる在銘が無いから。
(高木貞宗は確か黒田家伝来の重美が一振りあったような気がしますが)

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④終わりに

正宗について言えば無銘が多い事を良いことに実は志津や行光、はたまた古備前や古青江の作が紛れていたりは多そうです。
これが科学的に証明される事はあと30年位掛かりそうな気もしますが、刀の材質から作者が判るようになる時代が来るといよいよ歴史の闇が暴かれるかもしれません。
(まぁ今の時代も正しい事が分かる事によるメリットはあまり無く、分かる事で損失を被る人の方が多いのでいつまで経ってもなかなか導入されないとは思いますが)


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