見出し画像

蝦夷目貫①

古美濃にも作域が似たような大変薄造りの目貫があり、蝦夷目貫などと呼ばれる。南北朝期の大太刀に付いていたものも多いからか得てして大きめ。
元々は山銅に鍍金することで金ピカであったはずであるが、経年と共に表面が擦れ、返ってそれが1つの味わいとなっている。
四分一地で蝦夷目貫の鑑定の付いたものや、金銅地のものも見た事があるので、山銅と四分一(朧銀)、金銅の3つあるのかもしれない。
尚、四分一が刀装具で現れたのは後藤宗乗の時と聞くので、山銅地の方が時代が上がる可能性もあるが、四分一がいつ頃から使用されるようになったのか、ここは例えば仏具など他のジャンルを調べる事で少し明確になるかもしれない。

この詫びた感覚は当時埋忠家も好み模倣したようで、蝦夷目貫のような作例をした埋忠の目貫も残っているようであるが、こちらは意図して擦れた表現をしているので経年で剥げた風合いとはまた少し異なるようである。
ただそれでも数百年経っている事に変わりはないのでどこまで違いがあるかはまだ私には分からない。

以前東京都支部の鑑賞会にて、裏行きが白っぽくなっているものは埋忠などの写である可能性があるとも聞いた。四分一で銀の含有量が多くなると白っぽくなるらしいので、埋忠は四分一を使用しているのかもしれないが、白くなる理由について明確な事は分からない。
何れにしても非常に薄作りで軽く、金が剥げたような風合い、裏が白っぽくなければ蝦夷目貫と考えて良いのかもしれない。
あくまで「かもしれない」である。
このあたりは私もまだ勉強不足なのでこれから蝦夷目貫や埋忠の蝦夷目貫写などを多数比較してみて知見を貯めなければならない。

尚この蝦夷目貫、興味の無い人から見たらガラクタに見えるようなその見た目も相まってか値段は安い(重要刀装具指定の名品でも100万程度)のであるが、しばらく探してみても物がそもそも殆ど見つからない。
時代で言えば南北朝時代から室町時代にかけてのものと思われている蝦夷目貫。
古くなればなるほど残っていないのは当然で、その現存少ない中で国内外問わず熱心な古物好きコレクターがいるので、大体はそうした方の元に収まっているのだろう。

海外にはこんなスレッドもある。


そんな折、私もようやく一点入手することが出来た。
それがこの牡丹図の蝦夷目貫である。

ここから先は

677字 / 10画像
このマガジンを購入すると過去記事も全て見れるようになります(単体購入記事以外)。初月無料なのでお気軽にご登録ください。 またまずは月に2~4回程を目標にここでしか読めないディープな内容も書いていく予定です。 このマガジンについて機能を探りながら出来そうな事をどんどんやっていくつもりです。読者限定の交流会(鑑賞会)などもやります。

日本刀の奥深さや面白さ、購入するに当たって持っておいた方が良い知識などについて日々発信しています。 今まで820日以上毎日刀についての記事…

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?