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刀匠初の人間国宝「高橋貞次」

今回は現代刀のレジェンド的な存在とも言える高橋貞次について書きます。

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①高橋貞次の経歴

1902年~1968年の刀工で、刀匠初の人間国宝に指定された人でもある。
愛媛県に生まれ、兄の影響で刀鍛冶を目指す。
1917年、15歳で月山貞一に入門し、作刀や刀身彫を学ぶ。
1936年、34歳の時に松山に鍛錬場を開き、師から一字取り貞次と名乗る。
1938年、第1回刀剣展にて内閣総理大臣賞を受賞。
1940年、38歳の時、鎌倉八幡宮の御神刀を鍛える。
1945年、終戦と共に鍛刀禁止令が施行。自身の鍛冶場に住みながら家財道具を売って何とか生活していたという。
あまりの苦しさに自殺を考えるも、自身が死ぬ事で日本刀技術が廃れると考えた貞次は自殺を思いとどまる。
1951年、作刀が許可制になり、伊勢神宮式年遷宮の御神刀を鍛える。
1952年、無形文化財になる。
1955年、53歳の時に刀匠初となる人間国宝(重要無形文化財)に認定。
1959年、現上皇であられる明仁様と上皇后の美智子様の成婚時には、美智子様のお守り刀を鍛えています。その後亡くなる3年前の1965年まで、皇太子妃所生の皇男子のお守り刀を鍛え続ける。
1968年、66歳で死去。


古刀の作風を研究し続け、五ヶ伝に精通していると言われている。
アウンサンスー・チー氏の父でありミャンマーの指導者であったアウンサン将軍は高橋貞次の刀を所持していたという。

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(画像出典:Wikipedia アウンサン


②銘

以下のように銘には「龍」という文字を好んで使用している事が分かる。
何か龍に思い入れがあったのだろうか。

・龍泉貞次
・精鍛龍王子源貞次
・龍王子源貞次
・龍泉入道貞次
・龍貞次

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(画像出典:刀剣ワールド 短刀 銘 日本重要無形文化財龍泉貞次彫同作


③刀について

彫り物を得意として、龍や不動明王などのものがみられるものの、作品数は人間国宝に指定された刀匠の中でも一番少ないらしい。

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(画像出典:刀の蔵 彫同作 龍貞次(花押)昭和三十年正月吉日 一期三振

以下は高橋貞次氏の玉追い龍と思われる刀身彫刻。

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私自身まだ2振しか拝見した事が無いのですが、その時の印象としては
地鉄が良く詰み、光に刀身をかざすと雲のような柔らかい匂い口がぼわんと浮き上がる。
沸がとても小さく、匂い出来のようになっています。
備前伝のような作だからかもしれない。丁子のような刃文も見えます。

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因みに以下は月山貞利氏の玉追い龍。
月山派と言えば見事な龍の彫り物が多いですよね。
高橋貞次氏も龍の刀身彫刻を得意とするのはやはり月山貞一氏に師事していたからかもしれない。

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あと個人的に好きなのが鑢目。
高橋貞次は鑢目一本づつ線を全て手作業でけがいているようです。
考えるだけでも気が遠くなりそうですが、それもあり茎を触った時は感動。銘の入っている面だけでなく、茎全周に鑢目がしっかり繋がるようにけがかれている。
普通は作刀にかける手間を無くす為に全体に一気に鑢を入れそうな気もするが、あえてそれをしない所に一つのクレイジーさを感じる。

また、以下の短刀の茎裏に刻まれた文字が個人的に興味深い。

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(画像出典:刀剣ワールド 短刀 銘 日本重要無形文化財龍泉貞次彫同作

斯道三十有八年、漸悟相伝之奥技
不関毀誉耐苦難、遺精魂於後世矣

訳に自信はありませんが、

この道38年相州伝の奥技をだんだんに悟った。
苦難に耐え悪口や称賛に関わらず、後世に精魂残す。

みたいな意味だろうか?分かりませんがもしそうだとしたら当時の苦労が少し垣間見えてくるようです。


④終わりに

という事で、現代刀の中でもトップクラスに評価の高いと言われる高橋貞次の刀。もし手に取って見る機会があれば是非茎の鑢目も見てみて下さい。
字もとても美しくカッコいいです。


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それでは皆様良き御刀ライフを~!

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↓この記事を書いてる人(刀箱師 中村圭佑)

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