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3年前に感銘を受けた重要刀剣を拝見して

良い刀を見るとその素晴らしさに感動するのは3年前も今も変わらない。
でも変わった事もある。
3年前に見た新刀の重要刀剣。
高低差のある大きなのたれ刃を焼いたその作は、匂い口がとても深く区から切っ先まで破綻なく綺麗に焼きが入っており当時感銘を受けた。
当時は刀についての知識は皆無だったので、匂い口が深いとか、破綻が無いというのがどういった事などかは一切分からず、ここでは説明の為に記載しているだけで、実際は「なんだこの美しさは…」という言葉にならない漠然とした感動を覚えただけ。
そしてその刀の茎には年期やら裁断銘やらがびっしり刻まれていた。
当時は刻まれた文字の意味もなんとなくしか分からない。
しかし「何やら凄そう」という事だけは感じていた。
そしてこの刀がいつか絶対欲しいと思った。(単純)

因みに所持したいと思っただけでこの刀を所持した経験はないのだが、そんな3年前の思い出の刀を最近改めて手に取って拝見する機会が。

この3年間で所持刀は増え、鑑賞した刀の数も当時に比べればかなり増えたと思う。刀の知識も少しは付いたと思う。
その状況で改めて見てこの重要刀剣がどう見えたのか。

結論から言えば、改めて琴線に触れることは無かった。
流石に健全で刃も明るく、匂口は深く柔らかい。小板目の地鉄も良く詰んでいる。
改めて見てもやはり綺麗で美しい。
しかし綺麗すぎて何か物足りない。
実にわがままな感想だと思う。

恐らく古刀を数見て行く中で好みが変わったのだろう。
なので3年前に感動した作が今同じく感動するかと言えば、きっとそんな事は無いのだ。好みは知識と共に移りゆく。
だから皆買い替えをするのだろう。

そういえば良い刀を見ると、こんな刀もあるのかと自分自身の中での刀の美しさの限界点が上がる。
今まで10美しいと思っていた刀は8くらいに下がり、新たに10の刀の存在を知る。そして暫くして更にその10と思っていた刀が8になり、新たに10の刀が出てくる。
加えて最近分かった事と言えば、その中で10は10でも違う10があること。
例えば地鉄のよく詰んだ粟田口と乱れ映りの立つ長船派の刀は同じ10でも、作風があまりに違うため同列には比べ辛い。
どちらが良いか優劣をつける事は出来ず、どちらも最高に良い。
もはや好みの問題。
なので刀に詳しい人はきっと刀工毎にこの点数の指標が明確になっているのだろう。

そんな感じで繰り返し良い刀を拝見していくうちに段々と自分の好みだけでなく自分の所有刀が大体どの位の位置(美術的評価と言う点で)かというのが、何となくではあるが段々と分かってきた気もする。
例えば国宝クラスの完璧なものを10とするなら、姿は8で刃文は5、地鉄は7みたいな感じ。差し表が8でも、差し裏が5という場合もある。
そしてそれらは良くも悪くも購入時の価格に現れている。
購入時に安い!と思っても所有者の人は月日と共にその値段の理由が段々と分かってくるのではないだろうか。

姿や刃文、地鉄全てが10の物が容易に手に入る世界で無いことは分かったが、一方で姿2、刃文9、地鉄9みたいな作は案外ある事も分かった。
刀に何を求めるかな所もあるかもしれないが、例えば刀の中で姿が好きなら、姿9、刃文2、地鉄2みたいな作は比較的手に入れやすい気もする。
他に出来る事と言えば出来が7の作があるとすれば、7の適正価格で買う事位だろうか。
でもそれはまだまだ私にはよく分からないし難しい。
なので信頼出来るお店探しをするのがやはり大事だろう事は言うまでもないが、信頼の基準も人によって違うだろうし、それは各自が色々なお店を周って自分自身で判断するしかないのだろう。

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