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正宗の「剣」はなぜ存在しないのか?

日本の剣と言えば他国とは違い、実戦で使うものではなく仏教の器として使用されたもので、武士の持ち物ではなく僧侶の持ち物として存在していたといいます。
現在にも名工の作が多く残っている事からも刀同様に大切に残されてきた事は言うまでもありません。

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しかしここで一つ疑問が。
それは正宗をはじめ相州伝の剣を見た事が無い、という事。

剣で残っている作と言えば、山城であれば、五条国永や粟田口(吉光とか国吉)、来(国俊とか)、信国など。
備前で言えば、古備前や長船派(光忠、長光、兼光、元重など)、一文字派(吉房とか)。
他にも備中の青江派や、大和の千手院、九州の方で豊後国行平などなどが現存しています。
新刀以降も、埋忠明寿や堀川国広をはじめ、多くの名工が剣を作って奉納しています。

しかし、例えば正宗の剣は聞いた事が無い。
新藤五国光や行光、貞宗なども聞いた事が無い(知らないだけかもしれないが)

これはなぜなのか?
特に鎌倉後期から南北朝に掛けてと言われる正宗について、秀吉あたりの時代からあれだけ名を馳せたにも関わらず、1振も存在しないのは不自然ではないか?
正宗という刀工は本当に存在したのだろうか?
秀吉が土地の代わりになる褒美作りの為に正宗を評価した(作り上げた)という説は個人的には可能性は高いようにも思う。
因みに正宗について現在は「存在している」と答えが出ているが、仮に存在はしていたとしても古来は剣を作らせるほどそこまで評価が高くなかったのではないか。

しかしでは新藤五国光はどうか?
こちらは古来から既に評価が高く技量的にも十分だったはず。
一説には国光は粟田口国綱の子で三郎国宗に学ぶという説や、元は大和の人だったりという説がありますが、いずれにしても粟田口、大和どちらにも剣は存在しています。
なのになぜ新藤五国光の剣は無いのか?
当時鎌倉に僧侶がいないわけはないはず。
それとも昔は現存していたのだろうか。

もしくは剣自体そもそも需要が多くなく(生産数が少なく)、先に挙げた一部の流派にだけ特別に依頼して賄っていたのだろうか。
いずれにしても正宗の剣が無いという事は大名へ下賜、献上されるようなものでも基本的になかったという事だろうか。

…と、ここで何か結論を出す事が出来るわけではないのですが、素朴に疑問に思ったのでメモとして残しておきます。
どなたかご存じの方がいらっしゃいましたらご教授下さい。


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