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重要美術品の登録が増えた背景

日本刀は出来や歴史などにより色々な指定を受けてますが個人的には大体こんな位置付のイメージでいます。

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(特重は「重美に相当、重文に準ずる」という審査基準のもと指定されてますが、中には重文クラスも全然あるという話を聞くのでこのように位置付。重刀も同様の理由)

今回は国指定の一番下にある「重要美術品」の登録が増えた背景についてです。
※今回の記事は「薫山刀話 著:本間順治」を参考に書いています


①旧国宝と新国宝について

まず前提となる旧国宝と新国宝の話からです。
明治30年から始まった国宝指定。(但し刀の指定は明治42年~)
当時は古社寺保存法という法律で神社と寺院の物だけを対象にして指定されていました。
刀も中には良いものもあったそうですが、範囲の狭い中から国宝を選ぶので平均点で言えばかなり格は下がるようです。(大銘だけど少し疲れていたりなど)

それが昭和4年になると、新しく国宝保存法が出来ました。
これにより一般の物も国宝に指定できるようになったのです。
因みにこの時に古い指定品も全て再審査すればよかったのですが、一度指定したものはそのまま引き継ぐような形になりました。
ただ、昭和25年に文化財保護法が出来ると国宝指定品を一度全て重要文化財にしました。
そしてその中から優秀なものだけを集めて国宝を選びなおしました。
これが俗にいう新国宝です。

なので今国宝になっている刀は名刀ばかりなのですが、重要文化財にはなぜ指定を受けたのか、不思議な刀もあるという事らしいです。

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(画像転載元:新指定国宝・重要文化財展


②重要美術品の登録が増えた背景

今も国宝には様々な義務がありますが、当時は今以上に沢山義務があったようです(国宝をもし毀損した場合は所有者と言えども処罰されるなど)。
このように所有者が様々な責任を持たなければならない割には、所有者が得をする面が何もありませんでした。
なので所有者が国宝の指定を断るという事態が発生。

その後、重要美術品の法律が出来ます。
重要美術品は国宝と異なり、そういった所有者の責任というのが厳しくないので、それであればという事で指定を受ける人が増えたようです。(所有者変更の時は届け出ないといけない義務はあります)
そんな経緯もあり、上杉家に伝来した良い品などは一括で重要美術品に認定したそうです。
これが国宝なしで重要美術品が沢山生まれた背景のようです。

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(画像転載元:葵美術 刀:無銘(伝三原正広)(重要美術品)


③刀は他の美術品と比較して質のバランスが良いらしい

その後、重要文化財への位上げは重要美術品の中から各部門で大体2割くらいを目安にしようという話で出発したようです。
しかしこの線から言えば、昭和47年の「薫山刀話」出版時にもうそこにはほぼ到達しているらしい。
しかしまだ重要文化財にして良い物が他の部門との質のバランスからいって残されていたようです。
因みに当時の重文の決め方は、当局者にこういう名刀があると提案して、それから審議に入るそう(今は不明)。
他の部門からも提案が多いらしいので刀ばかりそう出すわけにはいかないという問題点もあります。
そんな事もあり、現在日刀保で指定されている「特別重要刀剣」の指定が生まれました。
当時は絞りに絞って重文に選ばれても良い刀をしていたそうです。
なので特重の中から重文を選べば誰しも大賛成、というのが当時の考え方のようです。

膨大な数の刀から国宝や重要文化財を選んでいく作業は並大抵の事では無いですね。
考えただけでも当時の労力が伝わってくるようです。


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