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粟田口6兄弟

粟田口と言えば名刀の代名詞ですが、粟田口は国家を租としてその下にいる6人の兄弟がいたとされています。
それが国友、久国、国安、国清、有国、国綱の6人で鎌倉前期に活躍したとされる刀工です。
更に国友の下には則国がいて、その下には国吉、国光、国延、吉光、正光がいるなど粟田口派の中に似たような名前の刀工が沢山いてよく分からないのが正直な感想ですが、取りあえず今回は6兄弟について触れてみます。
粟田口と言えば吉光がとても有名ですが、その前の6兄弟の中には御番鍛冶を務めた刀工が3名もいるなど、その時代から粟田口の評価が頗る高いです。

①粟田口6兄弟を紹介

粟田口6兄弟を順に紹介します。(※「五ヶ伝の旅 山城編 著:田野辺道宏」より一部引用省略しているものもあります)
特に国友、久国、国安の3名は御番鍛冶に選ばれており、粟田口の名声を高めていたようです。

・国友

御番鍛冶。長男。
藤林左衛門と称したとも伝えられている。
在銘の中で確実作と言えるも作は熱田神宮の太刀と、特重太刀の僅か2振のみらしい。
細身で小切先、腰反り姿、直刃調の古風な作風が特徴とされている。

・久国

御番鍛冶。次男。
匂口の冴えや小板目の地鉄の冴えが抜群らしく、技巧品格共に筆頭の評価。
地斑映りのたつものもある。
在銘は少ないが太刀と短刀がそれぞれ数振現存。

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・国安

御番鍛冶。三男。藤三郎と称したとも。
在銘作は6兄弟の中では比較的多いらしいが、短刀の確実作は現状無いとの事。
細身の優美な姿のものと、身幅が広めのものがある。
地鉄は積んだものもあるが、どちらかと言えば肌立ち大肌交じり、沸映りが立つような作風との事。匂い口はうるみがち。

・国清

四男。在銘の現存作はわずか2振。
兄である国安の作風に似ているが、少し刃幅が広く取った感があり、飛び焼きや湯走り、金筋や砂流しなど働きが盛んで来国行の先駆けを想わせるような作風らしい。

・有国

五男。在銘作は伊勢神宮の重文ただ1振だそう。
嘉元二年紀のある重美短刀が1振あるが、6兄弟の有国とするには年代的に整合しないとみられ、後代作の可能性を含めて検討が必要な様子。

・国綱

六男。鬼丸国綱の作者。
後に北条時頼に召されて鎌倉にいき、相州鍛冶のルーツとも考えられている(他にも一文字助真と三郎国宗がルーツとされている)。
姿や鍛、刃文が清美な地鉄をしている粟田口の中では異色らしく沸も少し荒くなるようです。
国綱の在銘確実作も少ないとされ、「五ヶ伝の旅山城編」ではその内6振が紹介されています。

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②終わりに

粟田口の租である国家の作は今のところ作が確認できていないようですので、実質6人兄弟の作が粟田口派の中で最も古い作になると言えます。
しかしどの刀工作も在銘品は殆ど無く、あっても数振という事が分かった。
そりゃ見ないわけだ…。
粟田口の地鉄はとても清美で格調高いというのは古来からずっと言われている事ですが、その評価を高めたのはやはりこの6兄弟といっても良いでしょう。この6兄弟がいたからこそ後に吉光という名工が誕生したのかもしれないですね。

因みに私は本を読んだ程度の知識しかなく、この6人の作風の違いがまだよく分かっていません。
今後実際に作を拝見出来る機会に恵まれれば嬉しく思います。
いやしかし…物が物だけになかなかそういった機会も訪れないでしょう…。


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それでは皆様良き御刀ライフを~!

粟田口にも沸映りが現れるのをご存じでしょうか?
私はついこの前まで知りませんでした。よろしければご覧ください。

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