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真改、助広合作刀の小話

大阪を代表する井上真改と津田越前守助広の合作刀が存在している事は有名です。
そして現在この刀は「刀剣ワールド財団」に収蔵されており、9/25から刀剣博物館で行われる「日本刀 珠玉の名品展」にも登場します。(この合作刀が展示されるのは3期展示の11/23~です)

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(画像出典元:刀剣ワールド 刀 銘 津田越前守助広 井上真改


この合作刀についての小話が「慶長以来新刀辨疑 現代語訳」に書いてありますので今回はその話の紹介です。
(文章の訳に自信があるわけではないので、原文を最後に載せます。そちらも是非ご覧下さい。また間違いがあれば是非教えてください!)

宝暦(1751~1764年)、私が京都にいた時、丹波国の富ある豪農家に真改と助広の合作があると聞いた。その頃はまだ奉仕して慌ただしく、見に行く事が出来なかった。
その後、天明2年(1782年)の冬の事、刀商鍔屋新六という者が一つの刀を携えてきた。
茎を隠して鑑定を乞うので見たところ、100年は経ているだろう事が分かった。破鞘に入っていて、研ぎは石質の荒い粗砥の折れ杭(おれくい)が残る荒々しいもので、いなか塗研(?)、黒錆、赤錆、全体の半分を過ぎたあたりには朽ちた錆が見られる。
まず真鰭(人名)と長龍(人名)に見させると、真鰭は助広であろう、長龍は助直の最上出来のものだろうと言った。
私がこれを観るに並の作ではなく、地鉄が至って精美で、潤いがあり、大沸小沸が入り乱れ、匂口の深きこと春の山に日の光が当たるかのよう。
刃文は大きくも小さくもならず、すべて玉を連ねるようである。(濤瀾風の刃文の事を指していると思われる)
これを見るに、寛文の終わりから延宝の初期頃の助広家のものに疑う余地はない。二人の見方は正しい。
そして茎を開ければ真改と助広の合作であった。
30年前に両作の合作刀があることは聞いていたが、今初めて見て感動を抑えきれない。研師の内海佐右衛門によって磨いた所、疵一つもない。
見た目の美しさと実を兼ね備え、極めて珍しい様は他に例えるものがない。
誠に両傑の作たるゆえんである。

門人が言った。
「先生、この合作刀に会えて感動しました。ところで、辨疑において真改の上に助広を置いていますが、この合作刀は表に助広の銘、真改は裏に銘を入れているので先生の見方が正しい事が分かりますね(合作の通常のルールは表に銘のある方が上位者と見なされる)」

私は言った。
「この合作刀は位列が出るところにない。これは必ず真改に求める者があって、真改が主となり、助広を客として呼んで作ったものだろう(因みにこの合作刀は助広が召し抱えられていた青山家に伝来していました)。そのような時にどうして優劣があろう。この両作のみにあらず、他もまたこれに習え」
門人は納得して退いた。


上記は以下を自分なりに意訳しています。
間違いもあるかもしれませんので、正しくは以下をご覧ください。
特に最後の方は自信ありません

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(出典:「慶長以来新刀辨疑 現代語訳 訳:内藤久男 P401、P402」)


昔から話題になっている井上真改と助広の合作刀。
刀剣博物館で見る事が出来るのはとても楽しみですね^^!

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