見出し画像

焦燥感と時間

大人になってからというもの時間の進みが少し早くなったように感じる最近

なんていうかやりたいことというものがないからなのか

もしくは

『やりたいことを見つけようとしていないからなのか』

日常的にあるもののほとんどは誰かが無から生み出したもので、その無から生み出したものに対してたくさんの人が価値を見出して、研鑽して努力をして今の現代があるわけだけど、そんな世の中に自分がどっぷり甘えてしまっているように感じてしまう。

こうでなければならないなんてたぶん一般庶民にはないと思うのだけど、どうしても自分の中で他より劣ってしまっているように感じてしまう時がある。

少し前に面接を行った。
その際に今の職歴について聞かれ隠すことなく正直に話をした。

『自分が何をやりたいのかがわからなくなった』と。

自信を見せるためには、やっぱり着飾った言葉で嘘でもつけばいいのだろうけど、なんていうか嘘をつく自分が、その自分が今の自分の核心をついているようでとても嫌だった。

これはたぶん面接的にはマイナスになるだろうなと思ったのだけど、企業の方から言われた言葉に少し救われた。

やりたい事を見つける方が難しくてやりたい事を探し続けることが仕事だ。

今まで何かと猪突猛進に突っ切ってきたおかげで何が自分の中で得意なのか、結局過去を振り返ることしかできないし、結局未来ではなくて過去に縋ってしまっている自分が、他者と比べたときに少し情けなくなってしまったりする。

それが無駄に焦りにつながったり、時間を無駄にしてしまっているのではないかと勘繰ってしまったりする。

流れに身を任せて生きてきたけれど、流れに身を任せて生きるということは
ある意味自分を殺して進むものだと勝手に勘違いをしていた。

できること、やれることから自分を見つけていくこともできるということに最近気づいた気がしている。

人生いつ終わるか分からないからやれることをやっておいた方がいい。というのは本当にそうだけど、その一歩を踏み出すことの難しさが年を重ねるごとに難しく思う。

でも、何もしなくても1日は過ぎていくわけで。

何が言いたいのか分からなくなってきた。
過去を形あるものに残したいという気持ちがたぶんあるのだけれど、それは現在からの進行形でしか作れないもので、後悔なんてしちゃいけない。

後悔かどうかを決めるのは、自分で後悔したかなと思うこともいつかなにかしらの形で良い経験、いいものになると信じた先の話。

それが経験だし、それが今まで使ってきた時間だし、焦燥感に駆られる時はもちろんあるけれど、そんな時ですら楽しく自分らしく入れたらなと思う。

久しぶりのnoteなのに少し暗い。

書くのは楽しいな。
不定期に自分語りしていこう。

では、また。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?