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目に見えてしまうという事実

こんばんは。
どんどん夏に近づいてきている。そんな感じがしています。

相変わらず体調第一に日々生活していきましょう!!

さて、今回の題材は…

タイトル:『評決のとき』
監督:ジョエル・ショーマカー
上映時間:150分

この作品はかなりセンシティブな内容となっていて、見る人によっては耐え難いかもしれない。

でも、観れるなら必ず観てほしい。

観終わってそう感じた作品だ。

主なあらすじはこうだ。(伝えるのは下手くそです)

アメリカが舞台で、深刻化している差別意識の中、白人が黒人の子どもを拉致。
レイプなどの性行為を無理やり行い、投げ捨てる。
黒人の子どもの父親が加害者2名を殺害することで裁判が始まる。

といった感じの話で、白人対黒人の争いであり、裁判官、陪審員は白人主義が多く、窮地に立たされる黒人側を弁護する白人弁護士のお話である。

とても胸が苦しくなる作品であり、昔にこういう差別意識が蔓延っていたのも事実。

観終わった後に感じたことは。
人種というものは目で見て判断するもの。

例えば、目を瞑った状態で共通言語を使い互いが話をしていたとしよう。
言語が同じであっても特徴があるためそこで判断できてしまうかもしれないけれど、相手がどの人種なのかは確実に判断することは容易いことではない。

しかし、目に見えてしまっているからこそ、心無い言葉やアクションを起こせてしまう。

それはなぜか。

たぶん、『自分とは違う』という意識だろう。

しかし、体の構造も備わっているものも人間全て同じ。
持ってして生まれた才能や技術、遺伝というものはあれど、

人を形成しているものは同じはずである。
なのに、なぜ争いが起こってしまうんだろう。

この辺りをとても深く考えてしまう作品。
ラストに関しては正直映画だからだろうなという感じで終わってしまうのだが、この作品を観て一番に伝えたいこと。

誰しもが相手の気持ちに立って、痛む心を持っていたら…

人を傷つける時、人を陥れる時、人を苦しめる時。

当人は相手がそれをした時にどのような想いになるか考えて行動をしているのだろうか。

もし良心がないのであれば、それを自分がされてしまったらと考える心を持っていないのだろうか。

別に偽善者になりたいわけじゃない。
僕だって嫌いな人はいるし、ムカつくことはあるけど、範疇がある。

その範疇を越えるエネルギーは果たしてどこからやってくるのだろうか。

憎しみは連鎖するというけれど、憎しみに乗っかているだけの人もいるのではないだろうか。
加担することで誰かしらを傷つけてしまう可能性だってあるんだ。

世界が平和にいくとするならば相手側に立ち、苦しみや悲しみを同じだけ共有することなのだろうと、考えれるこんな作品はぜひ時間がある時に観てもらいたい。

同じ痛み、同じ感情を持ち合わす事ができない人間の苦悩の様を体験する事ができた。

またこの内容の作品を映画化しようと考えた製作陣には多大なる拍手を送りたい。

とっても名作である。


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