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時間を置く

行き詰まってにっちもさっちも、いかなくなることがある。特にぼくの場合は、プログラムを書いているとき。
そんなときは、いったん時間を置くことにしている。
昼なら外を歩くし、夜なら諦めてその日は店じまい。不思議なことに、歩いていると別のアプローチ方法を思いつく。諦めて寝ると、次の日にはなぜかスルスルと問題が解決する。行き詰まっているときに、ずっと問題に取り組むのは、あまり効果がないとなんとなく経験で知っている。なぜかはわからない。

そんな時間を置くことに関して、なるほど、と思うことが、最近読んでいる外山滋比古先生の思考の整理学に書いてある。

見つめるナベは煮えない、ということわざがある。早く煮えないか、早く煮えないかと、ナベのふたを取っていてはいつまで経っても煮えないということのようだ。あまり注意しすぎては、かえって結果がよろしくない。 

寝かせておく、忘れる時間をつくる、というのも、主観や個性を抑えて、頭の中で自由な化合がおこる状態を準備することにほかならない。ものを考えるに当たって無心の境がもっともすぐれているのは偶然ではない。一晩寝て考えるのも、決して、ただの時間伸ばしをしているのではないことがわかる。

人間は意志の力だけではすべてをなしとげるのは難しい。無意識の作用に負う部分がときにはきわめて重要

対象を正視し続けることは、主観や個性が入り思考の自由を妨げるということらしい。
置いておくことによって、何も考えなかったり、別のことを考えたりする。
そうすることで、思考が主観や個性から解放され、無意識が作用し、直接関係ない思考が組み合わさり、良い方向へ進んでいくのだろう。

自分はもうひとりの他人、ということもあるが、ぼくの意識が時間を置いているとき、無意識中のもうひとりのぼくがなんとかしてくれていると思っておくことにする。
 余談だが、ぼくは歩いているときに思考が整理される傾向がある。おそらく、歩いているときは意識と無意識のバランスが絶妙なのだ。

逆に時間を置いても全然解決しないこともある。だいたいそれは、解決できないことへの焦りから、楽観的になれず意識から手放したいと思っていても離れない場合に起きる気がしている。ずっとナベから目を離せない状態。解決できないプログラムが夢に出てくるときなんかは最悪だ。
きっと向き合う時間、置く時間ともに足りてないのだろう。焦らず時間をかけ思考が整理された状態を作り出そうと思う。向き合い、情報を集め(関係のない情報も)、時間を置き、再度向き合う。
問題に取り組む上で時間を置くことはとても有効な手段。

おまけ (思考を整理する時間を作る)

最近リモートワークで、外を歩くことが減った。通勤とか休憩中の散歩とか。上でも書いたが、ぼくは歩いているときに思考が整理される傾向がある。
自然と存在していたこの時間がなくなってしまい少々困っている。リモートワークでも歩けよ!と言われてしまいそうだが、家にいると基本的に外に出たくない ...。

そこで朝机に着く前に、ボーっと考える時間を作り始めた。内容は、ストレッチと坐禅。ストレッチを40分~50分、坐禅を5分〜10分くらいの時間だ。呼吸を整え、固まった体をほぐしてリラックスしながら、ボーっと考えたり、何も考えなかったり。歩いたときの効果とはちょっと違うけれど、ポッとアイデアが生まれたりする。
目は覚めるし、頭がスッキリするので、思考を整理するために呼吸を整えるのはとてもよい。

参考





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