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素人の坐禅 ~坐禅と瞑想~

坐禅を初めて少し時間がたったので、
坐禅について得たことを書いていこうと思う。

取り組んではいるが、お寺で師事して修行をしたわけでもなく、書籍などの二次情報から得たもの中で、日常生活のできる範囲で坐ろう、という思想なので素人の坐禅としている

そもそも坐禅はどういうイメージだろう。
仏教、お坊さんの修行みたなイメージだろうか。
瞑想の仏教バージョン、というイメージを持たれる方もいるかもしれない。

瞑想の文脈だと、
マインドフルネス瞑想法、という瞑想を聞いたことがある方もいるのではないだろうか。こちらはGoogle、Facebook、Yahoo!など名だたる企業でも取り入れられているし、マインドフルネスという書籍が出たりしているので、目にする機会が多くあると思う。
その他でも、ヨガの流れで瞑想をしたり、見聞きすることも多い。
(瞑想は種類が多くあるので、今回は特にマインドフルネス瞑想に着目する)

坐禅と瞑想、一般にこの二つは混同され同じような使われ方(集中、ストレスの解消、思考の整理など..)をされることが多いが、実は取り組むときの姿勢(体の姿勢ではなく考え方)が違う。

瞑想は、目的を持って行う。
(正確には目的を持つことについて言及してない)
特にマインドフルネス瞑想法は、集中、ストレスの低減、病気の癒し、など、自身の社会生活に活かすことを目的として開発されている。おそらく瞑想をしている多くの人がなんらかの目的を持って瞑想をしているのではないだろうか。
ヨガも然り。

一方、坐禅は目的を持たずに行う
坐るために坐る、ことを強調している。
坐っているその状態がこそが理想ということらしい。

「只管打坐(しかんたざ)」、ただひたすらに坐るということ。何か他に目的があってそれを達成する手段として坐禅をするのではありません。坐禅をする姿そのものが「仏の姿」であり、悟りの姿なのです。
( 曹洞宗 https://www.sotozen-net.or.jp/propagation/zazentop )

詳しく見ていくと宗派によって微妙に異なるらしいが、曹洞宗の開祖 道元禅師の教えがおそらく一番メジャーなので参考にしている。

坐るために坐る、シンプルでわかりやすく、美しい。
宗教なので目的 (悟り、自由、涅槃など..)はあるのだろうが、
それらを得ようとせずに、只、坐りなさい、そうすることで目的にたどり着ける、ということだと思う。

人間、どうしても効果を期待して行うと、
期待していることが起きなかったときにすぐ投げ出してしまったりする。
只、坐る。これはすべての人の日常に活きる思想ではないかと思う。

ちなみに、マインドフルネス瞑想は、禅やヨガなどをベースに宗教観を除いて構築されものなので、マインドフルネス瞑想の中でも、効果を期待せずにただ続けましょう、ということは言われている。

今後も、只、坐り続けてみようと思う。
コロナ渦が落ちついて、お寺が開かれたら坐禅会に参加したい。

コロナ渦の中、自宅にいる時間が長く不安になることも多いかと思います。
坐禅でも瞑想でも気になる方がいたら、ぜひ坐りましょう🧘🏻‍♂️🧘🏻‍♀️

おまけ

ここでは詳しく書かないが、大雑把に言うと、
坐禅も瞑想も、マインドフルネスという点は変わらない。
ポーズと呼吸を使って、今この瞬間に集中することを行う。

僕は、禅の思想に興味があるので坐禅を行なっている。
坐禅が気になる方は、このあたりを読んでみることをお勧めする。

坐ってみよ、
と思う方はザフがあると坐りやすので、気になる方はぜひ。

まさかのサウナ用もある。

瞑想だと、特にマインドフルネス瞑想が、わかりやすいので、今回多く取り上げた。宗教的な観念を取り払って具体的に社会生活に活かすことについて体系化されているのでとっつきやすく、わかりやすい。下記の書籍がとてもお勧めなので気になる方はぜひ手に取ってみてほしい。


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