104.「カタカムナ文明 カムヒビキを以って悟る」

今日は、カタカムナの文化の内容をカムヒビキによって解説することにしたいと思います。
 
カタカムナ文化の内容を、感じるカムヒビキとは、カムのヒビキ、則ち、「カタチに見えないモノを、ヒビキを以てサトル」ということです。その内容は、現在の科学知識には反するものが多いですが、現代の科学、技術の在り方に疑問を抱き、人類の歩みに、反省の念をもつ人にとって、まことに大きな示唆をもたらし、現代人の考えを、根底からゆさぶるものがあります。
三種の神器の中に、「マガタマ」「ミスマルノタマ」の表象物の意味を今回のカムヒビキによって解説しますが、「カムナガラノミチ」については、別の回に述べることにします。従来、「カムナガラノミチ」と言われるものは、神道的な色彩でのみ扱われ、宗教的な、神秘思想の言葉と解されてきました。
しかも、「カムマニノミチ」とか「カムナマニマニ」等といっても、それがどういう道であるかという具体的な内容は何ら示されて居ません。私達は、カタカムナ文献の解読により、はじめて、「カムナガラノミチ」に、 『本末の両方の意味』のあることを知ったのです。
 
その内容は、まことに、容易ならぬ洞察がこめられ、簡単に説明できることではないので、改めて、詳述するにします。日本人の起源を求める思考が、万葉や飛鳥奈良の時代を探って、満足できるものでない、という事は、もはや明らかになってきました。又、古事記、日本書紀や魏志倭人伝あたりの古文書の研究によって、日本民族の発のもとを調べることも、ムリであったという事も判明しました。そのような従来の目のつけどころよりも、もう少し深く、遠くにさかのぼって、「日本民族の起源」を究明し、「日本文化の原点」を明らかにする手がかりはないものか?……相似象学の研究は、この要望にこたえうるものである。と私達は、あくまで過去の先入観や神秘思想にとらわれることなく、独自の概考を以て、「カタカムナ文化」なるものをとりあげたのです。
カタカムナの用語になれぬ人々の為に、解説や註を使いますが、カンのよい人々は、註などはとばして、カタカムナ人の「ヒビキ」をジカに聞きとっていただきたい。又、便宜上、現行のカタカナ文字で記載してある「ヒビキ」を、対応する図象文字にあてて、彼らの気持を、直接に、感受するようにしていただきたいと思います。
 
西洋諸国をはじめ、隣国のシナに於ても、立派に歴史上の存在を示して居た時代を、我が国に於ては「神代」と称して居たり、又、シナからの文物渡来以前には、全くの未開状態とし、大和朝廷以降のみで「日本史」を編纂する、というような、不自然な有様がまかり通ったのも、弥生縄文以前の、日本古代の歴史が、今の所、全くわからなかったからです。資料がないからといって、現在みつかったものだけで解釈してしまうわけにはゆきません。多くの古代研究の混迷やゆきづまりを打解する道は、どうしても、少くとも、「縄文前期以前」にさかのぼるのでなければ、辻褄が合うはずが無いのです。そこで、先づ私達が明らかにしておかねばならぬ事は「古代」といふ事の定義なのです。
他民族の歴史に比べれば、日本が古事記、日本書紀の時代に、既にあれだけのものをのこして居たという事は、驚くべき事であり、歴史の浅い国の人々にとっては、千年前でも古代ではありましょうが、日本民族にとっては、一万二千年前でも、まだ充分古代とは言えないのです。私達の考える日本の古代とは、縄文前期(一万年前)といわれる時代よりもはるか以前にさかのぼると思われます。
カタカムナの上古代をさして居る。それが、紀元前何年頃にあたり、原人やクロマニヨン等の人類とどのような関係にあるか等という事は大きな問題ですが、しかし、今の私達には、それを考証するだけの能力もヒマもありません。なぜなら、私達は、おそらく現在の一般の人々が、「古代」と思って居るよりはるか古い時代に、現代の我々の思いもよらぬ高度の文化を以て、我々日本人の祖先が、この日本の地に生存して居た、としか思えない文献を知り、その内容が、ただならぬものである事をつきとめ、その内容の解明に、最大の関心をもって、全精力を集中して居るからです。
 
その内容が、あまりにも、今までの研究者の、思ひもかけぬ種類のものであった為に、後代人にはその意味がわからなくなってしまい、僅かに神の名などとして、断片的に伝えられ、少くとも科学が、現代のレベルに達するまでは、そのナゾを解く糸ロすら、見つっからなかった、という事らしいのです。従来の、文学的、宗教的研究のみならず、近代の考古学的、又地球物理的、地名学、言語学、年代学等々の研究によっても解くことのできない、日本民族の起源、日本語の起源、要するに、日本の古代史のナゾは、私達のいうカタカムナの上古代と、漢字渡来以後の歴史との間の消息が解明されぬ限り不可能でしょう。
ところで日本の古代史の資料は無いといわれますが、果して本当に無いのでしょうか?今までに知られて居るもの以外に、資料は無いのでしょうか?我々は、この問題から、改めて考へ直してみる必要がありそうです。漢字採用による古事記、日本書紀編纂の前後、日本列島に、特に大きな天変地異があったとも伝わってはいません。とすれば、その間に、何らかの、為にする者の意図の介入のあった事が察っせられるのです。
日本の古代の謎を解き、「三種の神器」に、どのような意味があったかを知り、我々日本人が、真に回帰すべき、民族の心の故郷を見出すには、この何者かの意志によって、覆ひかくされた、そのカミの真相を、古事記以前にさかのぼって探るしかありません。私達は、その覆ひかくした者が、誰であったのか?それが、いつの時代で、誰と誰との間に、どのような争いがあったのか?といふような事を、調べようとするのではありません。
学者でも、専門家でもが、「カタカムナの文化」なるものを紹介するのは、それが、たとえ、何時代のものであれ、何民放のものであれ、これほどの内容の文化に対して、我々現代人は、謙虚に、それを扱ふべきである、と信するからです。
時代考証や、従来の資料との関連づけ等の仕事は、専門家にまかせて、私達が従事するのは、誰彼といふ名称や、事件の詮索ではなく、その内容の「実質」である。則ち、私達自身がもって居る、この日本人の心。外国人には不可解なものにうつるらしい我々「日本人の心理」のもとは何があったのか?後代、シナ、インド、西欧の文化をこだわりなく受け容れて、日本独自のものにつくりあげて来た、「日本文化」なるものの特徴は、どこにあったのか?要するに、日本民族の「特性」とは何なのか?その「原点」は、どういうものらのなのか?といふ、日本民族の、本質、本性を、そのカミ(起源)にさかのぼって、具体的に、明らかにしたいと思います。
 
今日はここまでです。




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