父が遺してくれたもの

・家系図を作ろう
・信頼は宝
・父母のような夫婦になろう

2019年1月7日、父が67歳でこの世を去った。
2017年7月に急性骨髄性白血病と診断され、2018年2月には一度は寛解した。
しかし、8月に再発。その後、肺炎を患い、還らぬ人となった。

明るく、人当たりの良い人だった。
一方で、とてもキッチリした性格で、家電製品の説明書はもちろんのこと、箱までキレイに保管するような人だった。
その性格は私もしっかり受け継いでいるようで、箱や袋を取っておくと妻に「お父さんそっくりだね」と笑われることもあった。

家系図を作ろう

そんな父だから、遺品もキッチリまとまっている物が多かった。
その中に、父が祖父から相続したと思われる書類が一式入った箱があった。

かつて、親戚が集まった時などに我が家の成り立ちを聞くことが何度かあった。
我が家の歴史は決して古いものではなく、私で5代目のようだった。

高祖父(初代)-曾祖父(2代目)-祖父(3代目)-父(4代目)-私(5代目)

当時大学生だった私にとって、祖父母以前の親戚関係がイマイチ分からなかったこともあり、家系図を作れば分かりやすいだろうと思ったのだが、如何せん口頭で聞いただけでは到底理解できず、人によって話す内容も微妙に異なったため、その時は結局、家系図を作ることは断念した。

今回、父が遺してくれていた書類の中に、当時の戸籍謄本があり、それを紐解くことで正確な家系図が作れそうだと分かった。
かつて家系図作りを断念した時から、ずっと気になっていた我が家のルーツを私が可視化しておくことは、きっと私の子どもたちにも有益だろうし、何より父の法要の際に親戚一同に見せたら喜んでくれるのではないかと思った。

きっと父にも見せたら、子供みたいに嬉しそうな顔をするんだろうな。

信頼は宝

今回のことで、もう一つはっきりと分かったことがある。
それが「信頼は宝」だということ。

祖父と父は、家族経営でガソリンスタンドをしていたこともあり、地元の人にとっては生活の一部として必要不可欠な存在だったのだろう。
葬儀には多くの人が駆けつけてくれた。
新聞の「お悔やみ欄」を見て来てくれた人も多く、母の予想よりも多いくらいだった。

印象的だったのは、「生前お世話になったから」という人が多かったことだ。
私や母に「困ったことがあれば力になるからね」と力強い励ましの言葉をかけてくださる方も多かった。
実際に葬儀の後の手続きを教えてくれた方や、父の代わりに農地の手入れをしてくれる方、父が使っていた機械の処分に困っていたところ、買い手を探してくれた方もいた。

本当に感謝しかない。

そして、その度に私はいかに父が信頼されていたのかを実感し、それだけ父は多くの人に貢献していたのだと気付かされた。

「信頼は宝」、父がその生き様で私に教えてくれたこと。

父母のような夫婦になろう

最後にもう一つだけ、書いておきたいことがある。

実は、父が亡くなる数日前に、近所の幼馴染の同級生のお父さんも病気で亡くなっていたのだ。
葬儀の際に同級生が語っていた話では、看病が大変だろうと母親を気遣った時は「ずっと側にいられるから幸せなのよ」と言われたそうだ。

このエピソードを聞いた時、私の母も同じことを言っていたのを思い出し、涙が止まらなかった。

また、母から聞いた話では、父は亡くなる直前に母の手を強く握り、短い会話をし、母と約束を交わし、そのまま息を引き取ったそうだ。
そんな映画やドラマみたいな最後が本当にあるんだと驚いた。

同級生のご両親も、私の両親も、固い絆で結ばれた本当に良い夫婦関係だったんだなと思い、自分もそんな夫婦になりたいと思わずにはいられなかった。

この話はまだ少し照れくさいので、父に話すのはもう少し後にしておこう。

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