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適当小説 市立豊波高校その一 「底辺の向こう側」

 アタシの通った豊波高校は、地域選りすぐりのアホが集まる学校で、
日本の法律はあんまり通用しなかった。
生徒たちは、みな独自の言語“豊波語“を操る部族で、先生たちは豊波地区の自然保護官みたいな存在だった。
 部族は大きく二つに分けることができた。
素行の悪いアホ、純粋に頭の悪いアホ。
 素行の悪いアホ部族は、入学一週間目で部族内のヒエラルキーが固まる。
その頂点に立つのは、素行も頭もおまけに根性までもが悪い奴らだった。
そいつらは、得意の物理攻撃で大人しい他部族を虐げたり、自然保護区外へ出て略奪行為を繰り返したりしていた。
 一方、純粋に頭が悪いだけのアホはその心もまた純粋であることが多かった。
頭の悪さゆえに失敗をすることはあったが悪事は決して行ず、ちゃんと先生のいうことに従った。
そんなふうだから自然保護官である先生達にとっては、ウチら純粋なアホは愛すべきべき存在であったのだと思う。
素行の悪いアホ代表である沢村亮は、カピバラ似の三井一太郎を蹴り回して、一番最初に停学を喰らった。
入学後、一週間目のことだった。
 この出来事により、新入生たちは”校則”というものの存在を学んだ。
”校則”は、素行の悪い連中同士のいざこざに適用されることはない。
しかし、大人しい生徒をいじめるアホには厳罰が下される。
うっかり調子にのり、『弱いやつをいじめて三年間過ごそう』と考えていた沢村は、その後ちょっとだけ大人しくなった。本当にちょっとだけだけど。
それに、豊波ルールでは、教師による体罰は合法。
時には鉄拳制裁が加えられることもあったが、それを問題視する人間は誰もいなかった。
 一方、校外で起こる問題にはきっちりと日本の法律が適用された。
深夜のコンビニで缶チューハイを万引きし、それを止めようとした店員を殴った近藤と宮路は一発で退学になった。
これはゴールデンウィーク前の出来事であった。まあ、こいつらは前科もあったみたいだけれど。
そんなことが続いて、夏休みが終わる頃には素行の悪い部族の人数は半分くらいになっていた。
そうして、豊波ヒエラルキーの頂点を自称していた奴らはいなくなった。
三角形の上の角がスパッと小さく切り取られたわけだ。
 退学になった生徒の中には、少年院送りになる奴らもいた。
豊波語では少年院送りになることを、”あいつはあっち側へ行った”と表現する。
こっち側とあっち側。
地図の上では遠く離れていたけれど、豊波高校と少年院はいつだって地続きだ。
アホとは言えども、“あっち側“には行きたくないのが本音である。
数を減らし力を削がれた素行の悪い部族は身の程を弁えるようになった。
たまに部族内で小競り合いをする不良もどきの連中が残っただけだった。
こうして、”豊波嵐”と呼ばれる乱期が終わる。
何人かの先生もまた、この”豊波嵐”に耐えきれず学校を去っていった。
自然保護官の仕事も大変なのである。
 長いようで短い嵐がさった後、頭は悪いが可愛げのあるアホであるウチらは穏やかな豊波ライフを送っていた。
 
  *****

「あんたの数学、酷いな」
絵里奈はそう言って笑った。
まあ、我ながら酷い点数だったので、そう言われるのも仕方がない事だと思った。
「12点はまずいわな。赤点クリアが目標やったんやけど」
「私40点。楽勝や」
世間的には決して褒められた点数ではないけれど、絵里奈にとっては良い点数なのだから、喜ぶべきことなのである。
「せやけど、英語は83点、ウチ天才ちゃう?」
アタシがそう言うと、絵里奈はうんうんと頷いた。
「あんた、そういうのはめっちゃ得意やもんな」
「ウチ、言葉関係はいけるんよ。数字関係は全然やけど」
自分たちが“文系・理数系“なんぞという高いレベルの枠から外れた存在であることを、ウチら二人はちゃんと分かっていた。
「ま、しゃーない。数学だけは追試やわ」
「うわ、そしたらヤッコの勝ちやん。アタシは英語と歴史やもん」
絵里奈は独自の基準で、ジャッジを下した。
どうやらアタシの勝ちらしい。
頭は悪いが、仲は良い。
ウチら二人はじゃれあいながら、教室を後にした。

   *****

 数学は苦手だし、追試は面倒だと思った。
けれど、頭が悪いということに悩んだりはしなかった。
『しゃーないやん。悪気はないんやし。誰に迷惑かけるでもなし』、それだけだった。
 しかし世の中には“頭が悪いのはさぞ辛かろう“、そう感じる人間がいるのだ。姉の和歌子がそうだった。
「ちゃんと勉強したんやんな?」
「したで、それが証拠に英語は良かった」
「よかないわ。83点は“普通“や。それより数学12点は、どうするつもりや?」
「追試受けるだけや。慣れとるから大丈夫やで。ワッコ姉ちゃん、今日の筑前煮美味しいわ」
アタシはそう言って、姉が作ってくれた夕食を味わう。
「あんた、よう平気でご飯食べるな。不安ちゃうん?」
「全然。英語と数学、足したら95点やで。ええ感じやん」
「何で足すねん。二教科で95点て、むしろ悲しくなるやろ」
優等生の姉にとって、83点は普通。二教科で95点は悲惨な結果らしい。
頭がいいって、大変やな。
そう思っていると、姉は夕食を終えて立ち上がり洗い物を始めようとした。
「あ、お姉ちゃん。洗い物置いといて、残りの家事はアタシがするから」
「今週の当番、私やで」
「ええから。大学の勉強、大変なんやろ?学生の本分は勉強やで」
「そっちはどないやねん。でもありがと、予習時間確保したかったんや」
姉はホッとした様子で、自室へ向かった。
 姉の和歌子が学業のことで悩んでいるのを、アタシは知っていた。
お母ちゃんとの会話を聞いてしまったから。

   *****
 
 ある日のことだ。
台所から母と姉の話し声が聞こえた。
「お母ちゃん、ほんまごめん」
「ええて、あんたは真面目過ぎるんや。無理せんでええ」
深刻な話らしい。もちろんアタシは脱衣所で聞き耳を立てた。
「今回の試験はほんまダメやった」
いつもは強気な姉の声が、湿り気を帯びていた。
 姉は絵に描いたような優等生だ。
地域一番の高校を卒業し、地域一番の大学に進んだ。
しかし、いくら姉が勉強が出来たって、今の環境では周囲の人間もまた頭が良いわけで。
そんな中で、付いていけなくなったのかもしれない。
「このままやったら、私……、多分無理やわ」
ちょっと涙声になっている。
“落第“、“留年“。そんな言葉がアタシの頭をよぎった。
そうして、姉は絞り出すように言った。
「ごめんな。もしかしたら、首席はあかんかもしれん」
……は?今、何言うた?……
「絶対首席になってみせるって、お母ちゃんに約束したのに」
姉の言葉を受けて、母もまた湿った声で答えた。
「ええんや、首席じゃなくても。アンタらが幸せでいてくれたらそれだけで、お母ちゃんは幸せなんやで」
……しょーもな。心配して損したわ……
アタシはアホなので、風邪を引く可能性は低いけど、万が一のこともある。
二人の会話から離れて、急いで髪を乾かすことにした。
ドライヤーの音の中で、さっきの母の言葉を思い返した。
『アンタらが幸せでいてくれたらそれだけで、お母ちゃんは幸せなんやで』
確かにそう言った。
これは大事なことだ。
やっぱり、二人の会話を聞いて良かった。
さっきの損は取り消しや、いいやむしろ得したわ。そう思った。

   *****

 そんな思い出を筑前煮と一緒に噛み締めていたら、母が帰ってきた。
病院は母の勤め先でもあり、父が居る場所でもある。
「ただいま」
疲れた声で母が言う。
「おかえり、ご飯あっためるわ」
アタシはいつも通り元気だ。
母のために、ちょっと冷めてしまった筑前煮をレンジに入れる。
「ありがとう。いつもごめんな」
何に対してなのかは分からないが、この頃母はよく謝罪の言葉を口にするようになった。
「お母ちゃんも、仕事とお見舞いで疲れたやろ? お父ちゃんの具合、どうやった」
「まあまあや」
「ふーん。お父ちゃんの洗濯もん、こっち頂戴。まとめて洗うから」
「ほんまにごめんな」
家事をさせてごめん、母はそう言って謝る。
首席じゃなくてごめん、姉はそう言って謝る。
そう言えば、お父ちゃんも入院前に「迷惑をかけて、すまん」って言っとったな。
この家庭内謝罪大会には意地でも参加はすまい、アタシはそう決意した。
 受け取った洗濯物を仕分けしていると、キッチンから母の声がした。
「テスト返ってきたんやろ、どうやった?」
「まあまあや」
足して95点だから、嘘はついていない。
絵里奈を見習って、アタシは自分の基準でジャッジした。
 お父ちゃんの具合もまあまあ、アタシのテストもまあまあ。
つまり、そういうことや。

   *****


 三回目の数学の追試を受けるのは、アタシ一人だった。
底辺オブ底辺の豊波高校でも、これは稀なことだった。
そもそものテスト自体がアホ向けに作られている。
追試ともなれば、更なるアホ向けに大幅に改善(?)されているのに、
まさかそれを突破するアホがいるとは。
井脇先生の顔には、はっきりそう書いてあった。
アタシは申し訳ない気持ちでいっぱいだった。
アホ専用の追試問題を作るのは、頭のいい人にとっては」大変なことだ。
そんなことに、日本一偏差値の高い大学を卒業した井脇先生の頭脳を使うのはもったいないと思ったからだ。
そこで一つ提案をしてみた。
「なあ、先生。アタシ、英語は83点やったんや。それと数学の12点を足したら、95点やん。これを適当に半分に割ったら、50点くらいになるやん。吉井先生が良いって言ったら、英語の点数ちょっとこっちへ持ってきたらええんちゃう?そしたら、アタシ専用の問題作らんで済むし」
先生はアタシの顔を見つめた後、小さく頭を振った。
きっと何もかもダメだったんだろうな。
「駄目だ。そんな話が通るわけが無いだろうが」
その後、先生は一瞬何かを考えた。
“この目の前のアホは吉井先生のところへ言って同じ話をするんつもりじゃないか。そして吉井先生が了承する可能性もゼロではない“
先生の顔には、はっきりそう書いてあった。
「例え吉井先生が良いとおっしゃっても駄目だ。俺の方で駄目だ」
と言葉を足した。先生の日本語も怪しくなってきた。
締め切った教室で二人きりだから、アタシのアホが感染ったのかもしれない。
「兎に角だ。これが最後の追試だ。最後の意味、分かるな?」
「うん、先生。一緒にがんばろうな」
アタシがそう言うと、先生は呆れと戸惑いが入り混じった表情を浮かべた。
井脇先生は、豊波嵐で去っていった西先生の代わりに赴任してきた人だ。
だから、まだまだ豊波ルールには慣れていなかった。
 豊波高校では、素行が悪い生徒達は割と簡単に停学をくらい、あっさりと退学になる。
しかし、成績が悪いという理由で生徒を落第させてはいけなかった。
三回目の追試を受ける際には、事前に教師と生徒の間で話し合いの場が持たれる。確実に解ける問題を作るために両者で落とし所を探るのだ。
「それで、どんな問題なら解けそうなんだ?」
気を取り直して、井脇先生が聞いてきた。
「そやね、因数とか関数とかルートとかは全滅や」
先生は、真っ直ぐにアタシを見つめた。
“今までどうやって生きてきたんだ?“
また、はっきりと顔に書いてあった。
アタシは数学とは相性が悪いけど、どうやら井脇先生とは相性が良いらしい。こんなに心を読み取れるなんてすごい事だ。
なるべく先生の手間を省こうと、言葉を継ぎ足した。
「あとな、掛け算とか割り算とかも好きじゃない。分数とか通分とかも分かりにくいわ」
「……」
先生の心に虚無が浮かんだ。
あかん、何とか明るい話題を振らねば、と思い、
「でも、足し算と引き算は出来るで、三桁以内なら。あと九九も全部言える」
先生はメモをとった。
とても綺麗な文字で
“たしざん、ひきざん、だいじょうぶ“
と書いてあった。
全部ひらがなだ。やっぱりアホの感染力を舐めてはいけないのだ。
 その場で最後の追試問題が作成され、その場で採点が行われた。
見事アタシは合格点を頂いた。
自己ベストだ。
嬉しくなったアタシは、先生に向かって言った。
「やった68点、楽勝や」
「……」
もはや先生は言葉もなく、虚無の表情を浮かべた。
「ありがとう。先生のおかげでお母ちゃん泣かさんで済むわ」
アタシは自分なりの言葉でお礼を述べた。
そんなアタシをみて、先生はちょっと口元を緩めてから言った。
「佐倉はいい子だな」
お手を教えた犬がおすわりをした時の飼い主はきっとこんな声色だろう。
それでも褒められたことに違いはない。
アタシは仔犬のように喜び、明るく言った。
「うん、アタシ頭悪いからさ。せめて機嫌のいい人間でおりたいねん」
すると、井脇先生は心からの笑顔を見せた。
追試も上手くいったし、今日も最高の一日だった。

***今日はここまで 多分続きます ではでは***





     











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