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ラップの芯とタイムスリップ

 これは昔話である。
当時我が家は、定年退職した母、出戻った長姉と甥っ子二人、
未婚社会人の妹と私、という七人家族で暮らしていた。
ちなみに父はすでに鬼籍に入っておりました。

 ある日仕事を終えて帰宅すると、甥っ子二人が大喧嘩をしていた。
兄は八歳、弟は五歳。
口喧嘩くらいならいつものことだが、
掴み合いとなると、ちょっと、いいやだいぶ珍しい。
その横のテーブルで夕飯を食べていた母(彼らの祖母)と姉(彼らの母)が
「こら! そんなに暴れられたら、ご飯に埃が入るがな!」(母)
「静かにして~、もうすぐKinKi Kidsが出るんやから。」(姉)と
躾の概念から三万光年ほど離れた言葉で二人を叱りつけていた。
 ここはもう、私が教育的に正しい対応をするしかないと思い、
まだ鼻息を荒くしたままの兄弟に聞いた。
「原因は何なん?」
「これや! 僕が見つけたのにケイタ(弟)が横取りしたんや!」
『言いつけてやる!』と言わんばかりの口調でハヤト(兄)が言う。
弟のケイタだって負けてはいない。
「ちゃう! 僕がゴミ箱から拾って置いとったんを兄ちゃんがとったんや!」
見ると、二人は一つの白い筒状のものをヒッシと掴み、
互いに離してなるものかと睨み合っている。
その何かは、『食品保存用ラップの芯』であった。

 「え、あなた達はこれをめぐって争っているのですか?」
驚きのあまり、私は標準語になってしまった。
「ほんまにアホらしいやろ?」と口をもぐもぐさせながら母が言う。
「これを一体何に使うのですか?」
標準語のままで私は聞いた。
 姉の説明によると、彼らは作品(そうとしか言いようがない謎の工作です)
作りにハマっており、
このラップの芯はその中核をなす重要なパーツらしかった。
そりゃ、ラップの芯よりカレイの煮付けやKinKi Kidsの方が大事やわ。
私の心は一気に、母と姉の方に傾いた。
 絶対に弟には負けたくないのだろう、
ハヤトはひしゃげたラップの芯からパッと手を離し
「ケイタのせいで壊れたわ、もんいらんわこんなゴミ!」
と別の作戦に打って出た。
一方のケイタはラップの芯を更に硬く握りしめ、
「兄ちゃんが壊したんやからな!」と応戦する。
「壊れたも何も、最初からゴミやんかそんなもん!」
もはや仲裁する気も消え失せてしまい、私は言った。


 すると夕飯を食べ終えた姉が
「先に寝たもんが勝ちやで、競争や~。」と新たな火種を投下した。
(こいつ、KinKi Kidsのために我が子を追っ払う気やな)と私は思った。
作戦が功を奏した。
年の差分だけ頭の回るハヤトが
「僕が先や!」と、新しいルールに素早く対応した。
ケイタも先ほどまでは宝物だったはずのラップの芯を
ゴミのようにポイっと放り投げ、
「僕の方が先や、兄ちゃんはズっこい(ずるい)ねん!」と
二人で小突き合いながら寝室へ向かう。
戦いに終止符を打つのは、また別の戦いなのだ。
人類は(少なくともウチの甥っ子たちは)、常に争いながら生きているのだ。
「はぁ、しんど……。お風呂入ってくるわ。」と浴室へ向かおうとする私。
そこへ2階からドタドタと音を立てて、
私たち三姉妹の末っ子 ミッコ が降りてきた。
「お風呂お先!」と私に向かって言い、サッサと浴室に入ろうとする。
「あ、あんた今日仕事休みやったんやろ! 姉ちゃんに譲り!」
と言い返したが、
「こう言うのは早い者勝ちなんや!」とピシャリと浴室のドアを閉めてしまった。
ミッコは長風呂なので、一時間は出てこない。諦めきれない私は妹を追いかけ、
「ちょっと! 私の方がお風呂早く済むんやから!」
と浴室のドアをこじ開けようとした。
その後ろから、母が
「ヤッコ(私)、早よご飯食べてしまって! 片付かんやろ!」と私を叱る。
その横では姉が、「もう、KinKi Kidsだけが私の癒しなんや……。」
と周囲の現実を全て無視してテレビに釘付けになっている。
 我が家は家族全員が、
「相手の言うことは全く聞かず、己の欲望の赴くままに行動する」
イカれた感じの一家であった。

 その後も、幼い兄弟二人は、大切なラップ類の芯(アルミホイルetc)を巡って何度もも喧嘩をした。
私たち大人は、可愛い甥っ子(我が子・孫)のために、
そして何より己の平穏な生活を守るために、
ラップに関する作戦を練ることにした。
ラップの芯が1本だけだと、それを巡って争いが起きてしまう。
一度に2本用意しようにも、
ラップの芯はそうそう家庭内で量産できるようなものではない。
なんせ本体のラップが無くならないと出てこないんだから。

 そのため、ラップ類を購入する際はなるべくロールの短いものを購入し、
消費速度を速めるように努めた。
1本がなくなるとその芯は吊り戸棚の高い位置に隠して一旦保管し、
2本のラップの芯が揃うと、ようやく兄弟二人にそれを渡す作戦だ。
私たちは、「これで下らん争いごとから解放される!」と喜んでいた。
が、そうはならなかった。
 芯の質にバラつきがあったためだ。
ラップの芯はやや柔らかく白い紙で出来ている。
クッキングシートの芯は硬さは十分で、色は白くやや細め。
アルミホイルの芯は一番硬いのだが、紙の色が茶色い。
人気の順位は、ラップ>クッキング>アルミであった。
紙の色が白いと、自分たちで色付が出来る。
己の芸術性を発揮した個性あふれる作品を世に送り出すことが出来るからだ。
芯を渡す際に同じ種類のものを渡さなくては不公平感がある。
 我々は更に工夫を凝らした。
格下扱いされているアルミホイルの茶色い芯に、
兄弟二人が好きなおもちゃのチラシなどを巻き付け、
芯をグレードアップしたのだ。
そうすると、アルミホイルの芯は一躍一番人気となり、
また別の問題を引き起こしたりもした。
 あの時の我が家は間違いなく、
宇宙で一番アホな事に必死になっている家族だったと私は信じている。
その無駄な努力により、更に複雑化していたラップの芯問題ではあるが、
ある日唐突に解決するに至った。
兄のハヤトが作品作りに飽きてしまったからである。
これで弟のケイタが芯を独り占めすることが出来、
大喜びするかと思ったがそうでもなかった。
「兄ちゃんがいらんなら、僕もいらんわ。」らしい。
何やねん、それ!
せっかくためておいたラップ類の芯は、単なるゴミとなってしまった。
まあ、元からゴミだったんですけどね!

 月日は流れて。
私は結婚を期に実家を離れ、甥っ子二人ももう社会人になっている。
それでも、私はいまだにラップの芯を見ると考えてしまうのだ。
「ああ、あの時にタイムスリップして、この芯をあの場に残して帰りたい。」と。
はたから見れば、「そんなアホな事に、せっかくのタイムスリップ使うなよ!」
「“本能寺の変“とか、あのあたりに行って歴史を塗り替えてこいよ!」
と思われるのは、承知してはいるのだが、
私の心は今でも、ラップの芯の呪縛から解き放たれていない。
離れて暮らす実家の家族はどうだろう?
次の帰省の折に聞いてみるのもいいかもしれない。

おしまい







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