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舞台美術家、板坂晋治氏を偲んで。

2月25日のこと。戦争が始まったというニュースでざわざわしていたその日、頭が冴えてしまい、いつもより早く目が覚めてしまった。朝の三時。
何気にメールを確認すると、大阪の舞台美術家、板坂晋治氏の訃報が入っていた。2月22日に永眠されたとのこと。連絡をくれたのは劇団はぐるまの演出家、マコちゃんこと汲田正子氏。


ああ、とうとう逝ってしまわれた。
一つの時代が幕を閉じた。


と、そんな思いがした。



そして、戦争を体験していた板坂さんは、一体このニュースをどのように感じたのだろう。もっと沢山話が聞きたかった。


戦争ものの芝居もたくさん公演した。
時代がまた逆戻りしているみたいだ。


板坂さんの思い出を書こう、と昔の写真を探したり画集を見直したりそうこうしているうちに、もう半月も経ってしまった!
無駄にメソメソしている時間もあったりした。



私は、もともと舞台の大道具の仕事をしており、板坂晋治氏は、私の舞台美術の大師匠とも言える唯一の人なのだ。



私が勤めていた総合舞台の会社は、1955年から活動している劇団はぐるまという岐阜の演劇集団から派生した会社であった。その劇団はぐるまの座長であった故こばやしひろし氏が学生の頃、板坂晋治氏と出会い、以来劇団の美術プランの多くは板坂氏が担当することになる。


劇団はぐるまのHPはこちら↓


こばやしひろし氏曰く「いたやん中毒」にかかったということだそうだ。
とても良い人なのだ。


そして、たまたま絵が描けた私は、板坂氏の美術プランの絵を実現させるのに、活躍させてもらうことが出来、育ててもらった。



もともと私はデザイン事務所に入社したが、座りっぱなしが性に合わず退社し、その後ディスプレイ会社のデザイン部に入社したが、ディスプレイとは名ばかりの仕事内容だったので退社し、駅の本屋で立ち読みしたアルバイト情報誌anで「大道具募集」を見つけ、これなら体が動かせると綜合舞台に入社し、大道具の仕事をすることになる。その後フリーとなるが、三年前に虚無僧へと転職(?)し、今に至る。


と、いきなり自分の履歴話になってしまったが、いたやんこと板坂晋治氏の残した舞台美術の話は、途中まで書いていて収拾がつかなくなってしまっているのだ。すぐには書けそうにないので、また改めて書きたいと思う。



とにかくすごい人だった。


長身で白髪、ゆったり歩き、いつも素足に下駄でカランコロン言わせながらニコニコ笑顔、誰にでも親しげに話す大変気さくな人で、豪快に笑い、誰よりも元気で大きな声で話し、そしてリハーサル中に(いびきをかいて)寝てしまっているのだが、舞台転換の時にはしっかり起きて、ちゃんとダメ出しがあるという、


とにかくすごい人だった。



私は劇団はぐるまとの縁は今も続いており、今年はようやく公演があるとのこと。私もお手伝いしているのでその事もnoteしたいと思っています。もう30年近くのお付き合い。



タイトルに、『板坂晋治氏を偲んで』とあるのに何も偲んでいない気がしますが、今回は前置きということで。



今頃、天国で、こばやしひろし氏と板坂氏が「ようやっと会えたな〜」笑いながら楽しそうにおしゃべりしている姿が目に浮かぶ。



板坂さん、
どうか、安らかにお眠り下さい。
沢山の夢と希望をありがとうございました🙏




追記
にゃんにゃんにゃん(2.22)の日に永眠とは、板坂さんらしいと言うか、先に亡くなった、猫好きであった劇団はぐるまの元大道具の熊さんがきっと天国で羨ましがっていると想像します。



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