【浮世絵と尺八】続☆女虚無僧おその
前回に引き続き、第二弾、虚無僧女子お園特集です。
前回はこちら↓
お園が登場する彦山権現誓助剣の初演は、天明6年(1786年)大阪道頓堀東の芝居。
まずは上方の浮世絵師によるお園のご紹介。
合羽摺 と言われる江戸時代とくに上方で発達した技法の版画を得意とした有楽斎長秀の描いたお園
有楽斎長秀(うらくさい ながひで)は、京都、大阪とで活動した浮世絵師。
生没年月日不詳。 合羽摺版画をよくし、寛政から天保年間(1789-1844)に美人画、役者絵などの作品をおおく描いたとのこと。
合羽摺とは、
同じポーズのお園。
画中「名残狂言尽続五枚之内」とあり。
【一世一代】とは、能・歌舞伎の役者が、引退などを前に、以後再びその芸を演じない決心で、りっぱな舞台をつとめること。また、その舞台。舞台納め。
【名残狂言】とは、 役者がその地を離れようとする時や引退しようとする時に演じる最後の歌舞伎狂言。(精選版 日本国語大辞典)
丸丈斎国広は、大阪の浮世絵師。こちらも生没年月日不詳。
お次も中村歌右衛門の一世一代。
こちらは団扇絵のお園。
春好斎北洲も、上方の浮世絵師。生没年月日不詳。文政元年(1818)、春好斎北洲と改名し北斎が使った「よしのやま」の印を用いているとのこと。
お次は、揃物に描かれた歌川国貞のお園。
「国尽倭名誉」とは、国貞が歌舞伎役者を描いた揃物。
続きましては、お園ブロマイド浮世絵特集。
「復讐誓彦山」
迫力ありますなぁ。
浮気などした彼氏の手紙に添えるってのはどうですかねぇ。
国周の浮世絵はバックの赤がまた際立ってる。江戸時代後期にオランダから輸入された赤色色素で、幕末から明治にかけて浮世絵の印象もずいぶん変わりました。
「彦山権現誓助刀」
こちらはあまり怖くない。
「怒ってないよ〜」というメッセージを込めた手紙に同封したらいいかも。逆に怖い。
豊斎は三代目豊国、国貞に学び、国貞没後、二代目歌川国貞(四代目豊国)に学ぶ。1889年(明治22年)に三代目として国貞の名を継ぎ、香蝶楼と号し、1891年以降、豊斎と号した。大正時代の浮世絵。
お次は、刀無しのうっとりお園です。
「一味斎娘おその」
この微笑み、尺八袋の中に刀は入っているわけだし…。
「おその 嵐璃寛」
嵐璃寛 は歌舞伎俳優。五世まであり、三世以降は女方で活躍した。
中井芳滝は、江戸時代末期から明治時代の大坂の浮世絵師。一養斎芳滝、歌川芳滝などとしても知られる。
こちらのお園は貫禄ありすぎ。
最後に六助とお園。
「源氏雲浮世画合」
「源氏雲浮世画合」は源氏物語と、日本古来からの「故事」「浮世話」を結びつけて描かれた連作。
六助とお園、仲良くいい感じです。
以上、
お園コムジョ尽くしでした♡
美人が虚無僧姿で刀を振り上げているなんて場面は、絵にならないわけが無い。そりゃ、浮世絵も沢山描かれるわけですね。
また、お園の着物がみんな花柄などの柄物でカワイイんです。
ちょっと身長が高くて力持ちってだけで、フツーの女子っぽいお園。
あとは、父親想いで、勇気があって、行動力があって、強くて、美人だったのでしょう。フツーじゃないか…。
いや、いろんな女子、全て違う女子を総称して、女子という。
コムジョ、いたってフツーです。
こんな、お園みたいなコムソー女子が増えることを祈りつつ…🙏
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