ひさびさコム活☆高山にて
中央道を関東から西へ西へ。
八ヶ岳も久しぶりに拝みました。
美しい。
秋ですなぁ。
先週、先々週と週末に台風が2週続けてきましたが、今週末は爽やかな秋晴れ。陽射しの下では暑いくらいでありました。
高山の観光地独特の和やかな雰囲気の上三之町にて、辻立ちコム活。
目の前にはたくさんの人々がそぞろ歩きをしております。
コムジョスタイルが、高山の古い町並みに溶け込みすぎて、ただ写真だけ撮っていく人が多い気がする…。
そして午後。
高山の商店街は5時には閉まるためその前にまた上三之町に向かいます。
てくてくと図書館の駐車場を横切っていたら自転車で、「すみません」と追いかけてくる女性が。
「遠くで見かけたので…」とわざわざお布施を下さいました。仏心に感謝。ちゃんと僧侶系の人だと分かってもらえて(コスプレには見えなかったのが)これも嬉しい。
さて、先程辻立ちしていた同じ場所に着き、
「ツレーーーーー」
なんてやり始めまたらすぐに、今度は通りすがり自転車の男性が目の前で止まり、
「人の敷地で商売するな!」
と言い去って行った。
(ハイ、スミマセン)
そうなのだ。この窪みは人の家の敷地なのだ。元は目医者であったよう。自転車やバイク置き場になっており、初めてここでやろうとした時に、ここの家のピンポンを何度も押したが誰も出てこなかったため、迷惑なら通報するだろうと勝手に始めたのだ。あれから3年ほど。何度かここで辻立ちしているが、何もないのでずっとここでしていた。私に注意した人は三軒程先の店の前に自転車を置いて中に入っていった。ここの家の人では無いようだが、迷惑と思われているなら仕方がない。
「商売」
と、言われると確かにそうかもしれないが……………。
ま、即時撤退!アタマを切り替え今度は門付けにするとしよう。
置き偈箱を首に下げ、ズラリと並ぶ商店の入り口先で門付けを始める。
もちろん、先程の人が入っていった店の前でも吹かせてもらう。最高に心を込めて。中からの反応は無いが通りすがりの人が拍手をくれた。笑
すると、隣の食堂屋さんから女性が出てきて「これどうぞ」と紙袋に入れたジャガ芋の煮っころがしを、爪楊枝とお手拭きまで添えて差し入れてくれたのだ。
拾う神、現る。
このお店の人が差入れをくれるのはこれで三度目くらい。感謝感謝🙏
人によってこうも対応が変わるのを体感できるのが虚無僧ってやつだ。
そして通りすがりの観光客と思われる人が二人ほど続けて、私の首から下げている偈箱にチャリンチャリンと入れてくれた。小さな男の子も熱心に私を見ていて、お母さんからもらった小銭を入れてくれた。
ありがたや🙏
排除されると、そこそこハートブレイクなので、好意的な方々に会うと心の傷は即座に癒やされる。
その後、宮川を渡り、アーケードのある地元の人が行く店も入り交じる通りを門付け。
ここの商店街も、何度か門付けしているが、それほど反応があるわけではない。しかし今まで反応の無かったお店の方が出てきてくれたりした。
中には小さな封筒にわざわざ入れてくれたり。
高山も祭りはあるし、時々市内の僧侶も門付けにくるそうなので、街の人も慣れているのでしょうか。
感謝🙏
川のせせらぎに癒やされる…。
街中に川が流れているのっていいですね。
小さな店がひしめき合った観光地の商店街で起こることは、虚無僧が現れると、どの店の前に来ても店の中やレジの奥はもぬけの殻になることだ。
通りの先で起きていることはすぐに分かってしまう。
何の宗派か、本物なのか?きっと疑わしいと思う人もいるだろう。
私自身はハッキリ言って怪しい人間だが、吹いている曲は江戸時代より以前から吹き継がれているような曲もある。由緒正しい曲だと伝えられないのが中々辛いところだ。
あと、宗教的には興味はないかもしれないが、尺八の音色に興味を持って貰えれば、この音に何かを感じてもらえれば、と思い心を込めて吹いている。それに反応が無いという事は、私の尺八もまだまだという事なのだ。
アタマから無視を決め込んだ人の心にどうしたら入り込めるか、大きな課題ではあるが、
そこまで頑張らなくてもいいとも思う。
大丈夫、
必ず、拾う神や観音さまが近くにいるのだ。
それに、私も袈裟を取ったら客になる。
門付けしている僧侶さんたちもお客さんになるのだ。
逆の立場にならないと見えない事もある。
誰に対しても親切にしようと改めて思える機会を頂いているだけで感謝だ。
高山の皆さん、いつも感謝🙏
そして、歴史に胡座をかかないよう、通りすがりの人々が何かを感じる尺八の音色が出せるよう、鍛錬鍛錬である。
古典本曲普及の為に、日々尺八史探究と地道な虚無僧活動をしております。サポートしていただけたら嬉しいです🙇