調布つつじヶ丘、延浄寺にて『無憂』の人生をどう生きるか。
二年前、京王線つつじヶ丘駅で虚無僧をしていた時に、調布の延浄寺のご住職に声をかけられたのがご縁で、先日そのお寺の歌の会の尺八演奏をさせて頂きました。
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2年ぶりの訪問です。
お寺の門にはちょうど八重桜が満開。
お寺の掲示板。
お寺の集会場。
今回は私がひとりで演奏です。
まずは自己紹介。虚無僧の説明をしつつ、短い曲の「大和調子」を演奏し、その後ウクライナの子守唄を三曲続けての演奏。
住職は尺八でも西洋の音楽が演奏できるんですねとしきりに感心してくれた。
やはり、尺八と言えば民謡など日本の音楽の演奏のイメージが強いのかもしれない。
すると、
「キエフの鳥の歌」という曲がレパートリーにあるそうで電子ピアノの演奏で披露してくださいました。
良い曲ですね。
その後は童謡、歌謡曲など。
とにかく皆さん素敵な歌声。
曲の合間合間にフィリピンでの第二次世界大戦での話をして下さいます。
恥ずかしながら、フィリピンの特攻隊のことは存じませんでした。
特攻隊員も、一番若輩の者が爆弾を積んた飛行機に乗り、熟練者は護衛した。戦争は一番弱い人から犠牲になっていく。そして、一番立場の強かった人は生き残り、戦後に会社経営者などになって私欲を肥やしていったというようなお話もしてくださいました。
住職の網代正孝氏は、フィリピンに学校などをつくり今でも出かけて支援を続けているそうです。
日本フィリピンボランティア協会会長でもあり、2002年ミンダナオ国際大学(日比両国に必要な人材関係をめざし、新しい日比関係をどのように築くかと考え実践する大学)創設、2009年日比平和記念館設立、アジアに残る戦争の歴史を伝え平和の尊さを訴える活動に情熱を注いでいるというすごい人。
舞台の裏方で大変お世話になった岐阜の劇団はぐるまの座長、こばやしひろし氏を思い出します。
人間愛に溢れる網代住職が、こばやしひろし氏と重なるのは、偶然にも寺の住職であること、寺の呼び名が同じである事、そして元教師であったこと。
こんなに偶然に重なる人がいるもんだなと、こばやしひろし氏を懐かしく思い出します。
先生特有のまるで生徒一人一人に話しかけるように、◯◯さんどう思いますか?なんて話しかける住職。
高齢の方ばかりの集まりに、ご自身の自虐ネタなども披露しつつ笑いが絶えません。
住職曰く、
「無憂」という言葉があるとのこと。
アコーディオンを弾きながら歌い、皆さんどうしたって生きなきゃいけないんだから「無憂」で生きましょうとのこと。
お寺の境内にも「無憂」の碑
後半、ピアノ伴奏の方がダニーボーイを選曲された。
歌詞は住職がご自分で書き換えたもの。
戦争に行った我が子を想う歌。
聞いていて涙がうるうるときてしまった。
と、今度は「ふるさと」
これも改めて聞くと泣けるなぁ。
と、今度は住職お得意の「愛の讃歌」!
おお、泣いているヒマは無い!
これぞ「無憂」か!笑
…と、あんまりこんな歌ばかり歌うと後ろの人がうるさいんです。、
なんて言いながら仏像を指差す住職。笑
終わってから一緒にパチリ📸
住職、なんだか怖そうなお顔ですが、めちゃめちゃお優しいです。
境内には、「不忘の碑」
「前事之不忘 後事之師也」
前の経験を忘れず後の教えとする(史記)
こうして戦争に対する思いを、形にしている住職を尊敬します。
以前noteでもウクライナの尺八奏者のPlatonさんの支援を募りましたが(ご支援してくださった皆さま改めてありがとうございました🙏)、彼は今、兵役に入ることを決め、合格する為に目の治療をしているとのこと。兵士の支援ではなく自身が兵士になると決意。
もう、かける言葉が無いです。
ウクライナの彼は、きっと『無憂』でいるために兵士になったような気がします。
自分自身だったらどうするか…。
そしてまた、このような碑が建てられることになるのでしょうか。
一年前の投稿。
我が大師匠もまた生涯を通じて反戦と平和を訴えています。
平和の運動を通じてこそ、個人の人間性も芸術性もたかめられる。
竹内史光
人間性も芸術性も高みを極まっている延浄寺の網代ご住職、86歳。
どうか、いつまでも健康でお元気でと願うばかり。
そして、
「前事之不忘 後事之師也」
(前の経験を忘れず後の教えとする)
胸に刻みます。
古典本曲普及の為に、日々尺八史探究と地道な虚無僧活動をしております。サポートしていただけたら嬉しいです🙇