神奈川の虚無僧寺、西向寺のこと。
江戸時代、神奈川県内には三つの虚無僧寺があったそうな。
その一つが青木山西向寺。
神奈川県横浜市神奈川区高島台にある曹洞宗の寺院、1617年、本覚寺の隣にその虚無僧寺は創建された。
普化宗は明治四年に廃宗となったため、今は寺は存在せず本覚寺境内に西向寺の十五世蒼海友熙和尚墓碑が残されている。
先日10月9日に、この西向寺で奉賛会の献奏会が行われた。
この日は、尺八研究家の神田可遊氏とその同志の方が企画した『神奈川探墓行』に参加させて頂き、その探墓行の最後にこの西向寺の献奏会の参加があり、私も参加させてもらうことができたのです。
本覚寺は神奈川駅すぐ近くにある
神奈川駅は、神奈川県横浜市神奈川区青木町にある、京浜急行電鉄本線の駅。駅名は東海道の宿場・神奈川宿に由来するとのこと。
実は、神奈川駅という駅があるのを初めて知った次第。京浜急行電鉄も初めて乗りました。神奈川初心者です😅
神奈川宿は、東海道五十三次の3番目の宿場。
武蔵国橘樹郡、今の神奈川県横浜市神奈川区神奈川本町付近にあった(住所に神奈川が三回💦)。
付近には神奈川湊があり、物資の経由地として栄えた。
駅から線路を超えて高台にある本覚寺。とても分かりやすい。
この立地がアメリカ人ハリスに気に入られたらしい。開港当時、アメリカ領事館になったとのこと。
↓こちらが江戸名所図会の神奈川総図。
本覚寺が高台にあるのが見えます。
尚、西向寺については中塚竹禅著『琴古流尺八史観』にも書かれている。495〜498頁。「西向寺の隠居寺」「西向寺の本則」
西向寺虚無僧碑
十五世蒼海友熙和尚墓碑
十六世静海謙讓和尚が建立したようです。こんな立派な墓碑を建立したということは蒼海友熙和尚はよっぽど凄い人であったのだろうかと想像します。静海謙讓和尚は普化宗廃宗後、還俗したそうな...。
ここで謎なのが、虚無僧之碑には十四世となっていますが、墓碑は十五世蒼海友熙和尚。十四世澄源有道和尚の墓碑もあるのだろうか。。。
さて 、まずはお寺の本堂の横にある建物のなかにある皆さんが集まっている部屋へ。
献奏前に西向寺奉賛会、会長の渡邉照洞師のご挨拶と、西向寺についてのお話をしていただきました。
表紙には葛飾北斎の『冨獄三十六景 東海道程ヶ谷』。
この虚無僧さん、西向寺の虚無僧さんとのこと。
こちらの記念誌は横浜市立図書館に一蔵書されているので、お近くの方は是非。西向寺の墓碑、虚無僧之碑、本則などの写真も掲載されています。
↓こちらは歌川広重の『東海道五十三次の内 保土ヶ谷 新町橋の上の虚無僧』
さて、いよいよ献奏。
本覚寺、本堂
途中で雨が降りだし、その音がまた本堂に響く尺八の音に混ざり何とも良い感じでした。
新参者ながら独奏させていただき恐縮でした。
譜面台に置いてあるノートは、集まったときに参加者がそれぞれの氏名と演奏曲を書いたもので、その順番に演奏するという方法でした。これなら、スケジュール表など作らずともいいし、参加者が飛び入りでも記録に残っていいですね。
こんな貴重な体験をさせていただき思うのは、、、
古典本曲界の中では、私はかなりの若輩者で、大先輩方に囲まれているわけですが、その大先輩方の背中を見て色々と勉強させてもらえるのは本当に幸せだと痛感。尺八や虚無僧のことだけでなく、人付き合いの仕方や礼儀作法まで、実際に見て、聞いて、感じて、学習させてもらい、こうして人間というのは形成されていくのだなぁと改めて実感した次第です。
特にまた、最後の打ち上げが楽しい(笑)
私にとっては、先輩方の尺八話は大変おもしろく貴重な情報でもある。あそこに行った、ここに行った、誰に会った、なんて話はもっと聞きたい。いやぁ、虚無僧仲間が同年代にいらしてホント羨ましい...。
西向寺奉賛会のみなさま、
『神奈川探墓行』参加の有志のみなさま、
大変お世話になりました。
西向寺より以前の探墓行の記録は、また後ほどnoteします。
さて、
来年一月の話ですが、
また古典尺八楽愛好会主催で、調布の大正寺(かつての虚無僧寺、安楽寺の虚無僧の墓があるお寺)で、献奏会やります!
こちらは今年の一月の献奏会の記録です。
虚無僧さんを偲んで集いませう!
参加者募集中です♪
古典本曲普及の為に、日々尺八史探究と地道な虚無僧活動をしております。サポートしていただけたら嬉しいです🙇