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コムジョの尺八歴史探訪📖

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尺八の歴史をマニアックに探究中✐ 虚無僧の実態を探ります!
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2022年11月の記事一覧

東京町田虚無僧寺『探墓行』其の二☆大沢寺

町田市にあったもう一つの虚無僧寺が、梅元山大沢寺。前回訪れた南大谷天神社から歩いて20分ほどの場所にあります。町田三天神の一つ、本町田菅原神社の別当寺でした。 虚無僧寺・南松寺についてはこちら↓ 南松寺跡の大谷天神社から、恩田川沿いを歩いて行きます。 本町田菅原神社 到着。 かつての虚無僧寺、梅元山大沢寺は、残念ながら、その遺跡などは不明。場所は現在の本町田菅原神社の鳥居の前、鎌倉街道をはさんだところにあったという。 丸で囲った辺りでしょうか。 地図は本町田菅原神

東京町田市の虚無僧寺『探墓行』☆南松寺

町田市には菅原道真を御祭神とする天満宮である天神社が三つあり、町田三天神と呼ばれている。 なんとその三つのうちの二つの神社の別当寺が虚無僧寺であったとのこと。 【別当寺】というのは、奈良時代から神仏習合説によって、神社に併設された寺のことで、神護寺、神宮寺、社僧ともいう。別当寺は神社の運営、行事に干渉した。 今回は、前回の神奈川の探墓行の続きで、尺八研究家の神田可遊氏と有志の方々に同行させて頂いた町田篇となります。 まずは南大谷天神社へ。神社境内にかつての虚無僧寺の遺

普化禅師ってどんな人?☆やっぱり狂人?奇人?それとも偉人?

普化禅宗の「開祖」、普化禅師は、一体どんな人なのか?!     普化禅師のことは『臨済録』『祖堂集』『景徳伝灯録』等に書かれている。         『臨済録』は、中国唐代の禅僧で臨済宗開祖の臨済義玄の言行をまとめた語録。詳しくは『鎮州臨済慧照禅師語録』。 『景徳傳燈録』は、中国・北宋代に道原によって編纂された、禅宗を代表する燈史。            以下、『景徳傳燈録』より臨済と普化のやりとりを読んでいきます。       【真面目(しんめんぼく)】本来

普化禅師ってどんな人?☆『明頭來明頭打 暗頭來暗頭打 四方八面來旋風打 虚空來連架打』を読み解く!

普化宗だとか、 明暗流だとか言ってるけど、 それって、どこから来てるの?   と、疑問をお持ちの方は一挙に解決。     まずは普化宗の名前の由来となっている、普化禅師のご紹介。      普化禅師、略歴。 生年月日不明。本名、不詳。住所不定。 中国、唐の時代に、鎮州という街にいた。 宣宗時代の大中年間(847~859年)、 盤山宝積禅師に師事。 西暦862年没。 夜は墓場で眠り、朝になれば街中に出て、鐸(鈴)を振りながら托鉢していたとのこと。