遊興系尺八奏者たち☆『四条河原遊楽図屏風』より
賀茂の河原は刑場であった。名のある武将も、名も無き民も、数しれぬ人々がここで首を打たれた。また葬う人のない死体もここに運ばれ捨てられた。
刑場の河原には世間から賤しめられている人々が小屋をかけてすんでいた。すなわち河原者であった。他にすむべきところがないからであった。
こうした河原者のなかに傀儡師や曲芸師や、その他見世物の芸人たちがいた。小屋をかけて興行をいとなむ。娯楽を求めて京の内外の人が見物に集まった。その中心が賀茂の四条河原であった。
上の解説と、画像は『日本美術全集