8-5 愛の剣士
にぎゃーーーーい。なにがなんだかサッパリじゃよーーーーーー。
とつぜん勝負を挑んできたイオリさんは、その場にへたりこみ、手の甲で目頭を押さえて、ぐしぐしと泣き始めた。
おれは完全にパニックになった。
お姿を拝見しているだけで息もできないほどドキドキする美少女剣士様が、いきなり目の前で泣き始めたのだから……。
どうしていいかもわからず、アウアウ言いながら、呆然と立ち尽くすしかないおれ……。
「…………はーーーー。負けちゃった!」
顔を上げたイオリさんが、とつぜん明るい声で笑った。
サッパリした顔だけど、目にはまだ涙が残っている。
「……まったくもう。私のまわりって、ウソみたいに才能がありすぎるオトコのひとばかり! 三人も居るんだから、まいっちゃう」
「え?」
「……まずは、私の兄さんでショ」
「格闘技の師範っていう?」
「うん。夜羽コクウ。酷夏流格闘術師範の天才格闘家。なにしろ生まれてから一度も負けたことがないって怪物。思えば、私に武道の才能がないのだって、全部兄さんに取られちゃったからかも」
イタズラっぽく肩をすくめるイオリさん。でも、その奥にある劣等感と悔しさが、おれにはよくわかった。
「……それから、そんな兄さんと初めて引き分けた男」
「……ササオミ?」
イオリさんは不思議な表情でうなずいた。
それは、どこか、ちょっと誇らしげな笑顔にも見えた。
「アイツも才能オバケでね。ロクに格闘技なんかしたことなかったのに、持って生まれた資質と勘だけで、兄さんと引き分けちゃったんだ。『最強の素人』ってのは、そのときついたあだ名。今だって、ロクに練習はしないし、ぜんぜんマジメに格闘技にも打ち込んでないんだけど、あの通りの強さ」
おれの脳裏に、凶暴な猛獣じみたササオミの姿が蘇る。
「せっかくの素質を活かさないでフラフラフラフラしてるササオミに、私、試合を申し込んだんだ」
「え?」
試合を……申し込む……?
「私が勝ったら、酷夏流の門下生になって、格闘技の道を進むこと。……で、私が負けたら……」
そこでイオリさんは顔を真っ赤に染めた。
!? お、お、おのれええええっ! ササオミぃぃぃ! いったいなにを……いったいなにをイオリさんと賭けたのだっ!!
「で、どうなったと思う?」
「ど、ど、どうなったんですかッッ!!??」
そして、ササオミになにをされたのですかーーーー!!
「勝っちゃったの。私が」
「へ?」
「アイツ、私にこてんぱんにノされてね。『ちくしょう。オメェ、女のくせにバカ強ェな! 仕方ねェ! 入ってやるよ、そのナントカってとこ!』……だって。…………バカにしてるよね」
「……………………………………」
「そのときも、泣いちゃった」
健気な笑みを浮かべるイオリさん。
おれの胸がチクリと痛む。
イオリさんは、そこで急に話を止めると、神社の境内をゆっくり歩き、砂浜が見通せる高台へ向かった。
あちこちの樹から、ミンミンジージーセミの声が騒がしい。
眺めのいい場所にふたりで並び、眼下に海を見ながら潮風に吹かれた。
「……そのとき決めたの。自分の弱さとか才能のなさを、頑張らない言い訳にしないって。できることを精一杯やって、努力して、今の自分よりも少しでも強くなって……」
「……………………」
「もう一度ササオミと戦って、今度こそアイツを本気にさせてみせるって! アハハ。へんな目標でしょ? 本気を出したアイツに負けたいって」
「…………その……三人めというのは……だれなんですか?」
ササオミのことになるとイオリさんは饒舌になる。それ以上、ササオミのことを話すイオリさんを見たくなくて、おれは無理やり話題を変えた。
「きみ」
「え?」
「きみだよ。ヤギハラくん。最初に見たとき、すぐにわかった。ああ、このひとは凄まじい剣の才能をもっている。このひとこそ、剣の神様に愛されたひとなんだって」
「おれが?」
そんなばかな。おれは本当に弱くてだめなヤツなのだ。
「……そして、きみはアリバっていう不思議なチカラまで与えられた。どっちも私には無いもの。……なのに、せっかくの才能も、その選ばれたチカラも、ちゃんと向き合おうとせず、自分は弱いとか、情けないとか、ダメだとか簡単に言って、逃げ出そうとする。私は、それが……悲しかった」
イオリさんがうつむく。
この美少女剣士がそこまで言う相手が、自分であることを、まったく信じられない……。
でも、イオリさんは、一途で、マジメで、ひたむきな女性……おれをからかう冗談なんて絶対に言わないはず。
「…………イオリさん。聞いてくれますか。いや、聞いて欲しいんです! おれがどうして自信ないかを。どうして、戦うのが怖いかを……」
気がついたらおれは、誰にも打ち明けたことがなかった、中学時代の黒歴史を話していた。
イジメられていた過去……魂に刻まれた古傷……。
「…………そう……だったんだ…………」
聞き終わったとき、イオリさんは、おれに深々と頭を下げた。
「…………ごめんなさい。ほんとうに……ごめんなさい! ヤギハラくんのこころの傷を知りもせず、勝手なことばかり言って……」
「に、にぎゃっ! そんな……もったいないお言葉っ。むしろ、こっちがカウンセリング料をお支払いしたいくらいで……イオリさんに聞いてもらったら、なんか、スッキリしました」
「…………ヤギハラくん」
「あの……おれ、アリバのメンバーから抜けさせてもらうの、やっぱりやめようと思います……イオリさんの言う通り、もう少しがんばってみようかと……」
イオリさんは、ニッコリ笑って「それがいいよっ」と言ってくれた。
「私も、一歩一歩、少しずつでも強くなる。だからヤギハラくんも頑張ろうよ。……一緒に強くなろうね!」
◆
浜に戻ると、海水浴場は異様な雰囲気だった。
砂浜に大勢のひとが倒れてる!
その真ん中に、まさに筋肉の塊といった大男がたたずんでいた。
まわりに転がっているのは……ニギャッ! おれの仲間たちっ。
ヤノさん、コミネさん、カスガさんという体格のいい猛者たちが、あっけなくその男に倒されている!
シンジローやクリハラ、ヨシオさんや、カワハラまで……。
カムラは居ない。とっくに逃げたみたいだ……。
そして、ハヤトさんとササオミが、ナミさんをかばうようにして、その男と対峙していた!
「あれは……兄さん!」
イオリさんが叫んだ。あ、あれがイオリさんのお兄さん!?
おれたちはその場へと急いだ。
「ササオミ! コイツなんなんだよ!? 俺の仲間が瞬殺されちまったぞ!」
「ハヤト! コイツはコクウ! イオリの兄貴。そして、俺様たち酷夏流の師範だ! とんでもなく強ェ格闘のバケモンなんだが、まさかコイツまで『おかしくなったヤツら』になっちまうとはな! ヤベエぜ!」
「……ササオミ!」
「イオリかっ!?」
「どうして? まさか、兄さんまで!?」
おれとイオリさんがその場に到着した瞬間、コクウが初めて口を開いた。
「オッパイ」
シーーーーーン。
海水浴場の時間が凍りつき、イオリさんがピシッと固まった。
「お、おいササオミ……」
「オッパアアアァァイイイ!!」
「おいササオミ! 『おかしくなったヤツ』どころか、『完全にド変態』じゃねえか! なんなんだ、なんなんだよ、コイツは!」
「クッ……コクウは、ふだんは寡黙でストイック、格闘技以外まったく興味がねェ朴念仁なんだが、どうやらその心の奥底に、オッパイに飢え、オッパイを求めてさすらう、『パイオツモンスター』の本性を隠してたらしい……!!」
「オオッパアアアアァァァァイイイイ!!!」
「……それが、ハヤトたちの言う『悪意』ってやつのせいで、表に出てきちまったってワケらしいぜ!」
「ま、マジかよ! ……てことは……」
ハヤトさんの目が、ナミさんの白いビキニに向く。
「このままじゃ、ナミの『大きさはそれほどでもねーけど、素晴らしくカタチのいいオッパイ』も狙われるってことか!? そうなのか、ササオミーーー!」
「オウヨ! ヤツは、巨乳、爆乳、美乳、微乳なんでもゴザレだが、ちょうどナミくらいの、『大きさはそれほどでもねーけど、素晴らしくカタチのいいオッパイ』なんて、むしろヤツの大好物! 真っ先に狙われるゴチソウだぜ!?」
「フザッけんなっ!! ナミの『大きさはそれほどでもねーけど、素晴らしくカタチのいいオッパイ』は、俺だってロクに触ってねえんだよ! それをみすみすビーチの変態野郎に触られてたまるかッ! 福岡市の平和とナミのオッパイは、この俺が守る……!!」
ドガッッッ!!
「オッパイオッパイやかましい!! 大きさはそれほどでもなくて悪かったなーーーー!!!」
ナミさんがハヤトさんをぶん殴った。
その勢いで水着のナミさんの胸がふにゅんと揺れ、それが刺激になったのか、大怪獣が目覚めたように、コクウがのっそり動き始めた。
「……ふーーー……オッパイ……ふーーー……オッパイ…………」
「なんとか止めるぞハヤト! コイツはバカで変態のパイオツモンスターだが、格闘技だけは国宝級《バツグン》! なにしろ公式戦499連勝ってバケモンだからな……!」
「チッ……そんなヤツが悪意かよ……」
ハヤトさんとササオミが、同時にダッシュ! コクウに向かっていく!
ハヤトさんは左右のワンツーから左の胴回し蹴り!
ササオミは太陽を背にジャンプし、急降下しながら飛び蹴りを見舞う!
ボゴォッッ……! 正拳突きでハヤトさんが海まで飛んでいった。
ズンッッ! かかと落としでササオミの身体が半分砂に埋まった。
「…………オッパイ…………ボクっ子の…………オッパイ…………」
ギロリとコクウの射すくめるような視線がナミさんをロックオンする。
「ひっ」
胸を隠して、ナミさんが立ちすくんだ。
そんなナミさんをかばうように、イオリさんが前に出た!
「兄さん! 兄さんほどの格闘家が、自分を見失わないで! ……ていうか、妹に恥かかせんなコノヤロー!!」
……ジロリ。
コクウの鋭い目が、そんなイオリさんのキャミソールの胸元に注がれる。
「…………オッパイ…………」
「え? 兄さん……?」
「…………実妹の…………オッパイ…………禁じられたオッパアアアアァァァァイイイイ!!!」
「いやあああああああああぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!!!」
「イオリ! 逃げろオオオオォォォォォ!!!」
イオリさんの悲鳴とササオミの叫びが重なる!
そのときおれの身体の中で、何かが嵐のように吹き荒れた。
させぬ……そんなことは断じてさせぬッッ!!
イオリさんの聖なる双丘を汚すもの許すまじッッ!
そう強く念じた瞬間!
おれの脳裏に、イオリさんの剣技【夜羽の剣】の軌跡が浮かんだ!
ミズスマシ……オニヤンマ……アゲハチョウ……スズメバチ……。
イオリさんの美しき太刀筋。修練に修練を重ね、磨き抜かれた、お手本のように洗練された剣の型。
そのイメージが、おれの中で化学反応を起こし、おれを導き、おれの身体を勝手に動かしていた。
滑るように、地を走る!
「……夜羽の剣【水の太刀】……『旋風水馬斬り』!」
いままさに下劣な両腕を神聖なるイオリさんの胸部にあてがわんとしていた変態めに、おれは竹刀を連続で叩き込む!
「さらにッ……夜羽の剣【空の太刀】……『疾風蜻蛉突き』!!」
動きを止められながらもなおイオリさんの不可侵たる双丘を揉みしだかんとするパイオツモンスター目がけて、おれは鋭くジャンプし、切っ先を下に向けた必殺の突きを放つ!
「そしてトドメの! 夜羽の剣【舞の太刀】……『蝶舞裂風斬』!!!」
身体を沈みこませ、全身のチカラと風のアリバを凝縮し、一気に爆発させながら、乱舞斬りをコクウに放った……!
自分でも完全に無意識だった。
たとえこの身がどうなろうと、イオリさんを……イオリさんのオッパ……いや、操を護るという、ただその一念……!
……そこに、一片の恐怖も迷いもなかった……。
気がつくと、おれの目の前には、波打ち際に倒れた巨体があった……。
「や、ヤギハラ……おまえ……」
「さっきのザコが……あのコクウを……のしちまった……」
ボロボロになったハヤトさんとササオミが、身体を引きずるようにしておれのそばに来る。
「ヤギハラくんッ!」
その澄んだ美しい声で振り返った。
柔らかくていい匂いのする身体が、おれの胸に飛び込んできた!
「………………こわかった…………こわかったよ…………」
おれの身体にぴったり抱きついたイオリさんが、か細い声を出す。
おれは力強く応えた。
「……もう大丈夫でゴザルよ」
「ゴザル?」
ハヤトさんが素っ頓狂な声を出し、そしてため息をついた。
「……ったく。どうやら、やっと目覚めたようだな。ていうか、覚醒しすぎだろ?」
「ハヤト……これ」
水着姿のナミさんが、どこから取り出したのかまったく謎のタブレットを見ながら、声を出す。
「はいはい。来たな。……で?」
「信じられない」
「いいや。何が表示されていても俺は信じるぜ」
「…………うん。そうだよね! ヤギハラくんのステータスがすべて一新してるっ。必殺技も! この戦闘力は……コミネさんも上回って、仲間中ぶっちぎりだよ。……それに、なんだろうこの名前の表示。『愛の剣士ヤギハラ』?」
「はは。ナミ。男ってのは、女で変わるのさ。そうだろ、ヤギハラ!」
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?